2020

01/19

~真の意味での地域密着を目指す総合病院~

  • 僻地・離島医療

  • 秋田県

ユネスコ無形文化遺産にも登録された“「男鹿のナマハゲ」の里”として知られる秋田県男鹿市。人口2万7045人を擁する男鹿市内唯一の公立病院「男鹿みなと市民病院」は、1998年にこの地に開設した。医師不足という全国共通の悩みを抱えつつ、近年は働き方改革に取り組むなどして医師の人材確保を図り、少子高齢化が進む地域の医療を支え続けている。

ドクターズプラザ2020年1月号掲載

僻地・離島医療(16)/秋田県・男鹿みなと市民病院

高齢者医療のみならず観光振興にも真摯に向き合う

市内の交通機関が脆弱な現状で高齢者の健康増進に工夫を凝らす

――病院の概要について教えてください。

下間 当院の前身となるのは終戦直前の1944(昭和19)年に、当時の南秋田郡船川港町、現在の男鹿市船川港船川小沢田地区に開設された日本医療財団船川病院です。戦後、日本医療財団の解散に伴って1948年に船川港町国民健康保険組合の直営診療施設となり、翌49年に船川港町に移管されました。1954年から55年にかけての市町村大合併によって旧男鹿市が誕生した際、男鹿市立総合病院として発足。1998年に現在の場所に移転し、名称も男鹿みなと市民病院となりました。
現在の標榜診療科は、内科、精神科、神経内科、小児科、外科、整形外科、皮膚科、泌尿器科、産婦人科、眼科、耳鼻咽喉科、リハビリテーション科、放射線科の13科。病床数は一般病床が145床です。
医師は現在、常勤13人のほかに非常勤の医師が多数おります。また看護師は114人、薬剤師4人という体制です。

――医療圏としては。

下間 男鹿半島全域と、八郎潟の西側にあたる若美地域が主な医療圏となっています。来院する患者さんも、男鹿市内在住の方が大半を占めています。

――男鹿市の人口は。

下間 2019年9月30日現在で人口2万7045人、世帯数1万2896世帯となっています。少子高齢化が進んでおり、市内の高齢化率は2018年度末で45.1%と、秋田県内で最も高い数字となっています。いまだに昔ながらの大家族で暮らしている世帯もありますが、高齢者の大半は独居もしくは高齢夫婦のみの世帯です。お子さんが近隣に住んでいる場合は週末などに自動車でやってきて買い物などを手伝うケースもありますが、仙台や東京といった遠方にお子さんが住んでいると、なかなかこちらに帰ってくることもできません。市内には路線バスがありますが、高齢者にとってはあまり便利とはいえず、通院や買い物などで外出するたびに苦労する高齢者も少なくありません。もっとも買い物に関しては、昨今ではネットショップが普及していますから、近くに住むお子さんにネットで買い物を頼む人も増えているようです。

また、一時期は廃れていた小規模な移動販売車なども、近年の少子高齢化に伴って復活しています。当院への通院は、バスが利用できない人はご近所の人に頼んで自動車に乗せてもらったり、いろいろ各自で工夫しているのが実情です。市内では福祉タクシーも営業していますが、うまく活用できていない高齢者もいるようです。とはいえ、高齢者の通院が難しいことは、地域の医療にとっては大きな課題となっています。実際、男鹿市内に住む高齢者の特定検診の受診率は非常に低く、「検診会場への移動手段が整備されていないことが原因だ」ともいわれています。

――何か対策は。

下間 当病院と男鹿市の共催による「男鹿市民健康フェスタ」を定期的に開催し、健康増進の啓蒙などを行っています。直近では2019年7月20日に、市中心部にある男鹿市民文化会館で開催しました。血圧や血糖値、骨密度などを測定する各種健康チェックや、糖尿病相談、介護予防運動体験などを行うブースを設置したほか、各種講演を行いました。9時〜11時30分までの開催でしたが、200人ほどの来場者がありました。また、地域の老人クラブなどと連携して、当院の医師が講師となり、市内10地域で年1回健康に関する講座を開いています。

観光の町を医療面でサポートし外国人にも真摯に対応する

――現在、男鹿市はどんな産業が中心となっているのですか。

下間 周囲を海に囲まれているのでかつては漁業が盛んでしたが、高齢化の進行とともに徐々に廃れつつあるのが現状です。農業も同様ですが、田畑は所有しているだけで税金がかかり、かといって買い手もなかなかいないと嘆いている人も少なくありません。一方、観光業は比較的堅調で、日本国内だけでなく海外からの観光客も少なくありません。地理的にロシアに近いので、昔はロシア人をよく見かけていました。当院にもたまにロシア人の患者さんが来院していたので、医師の中にはロシア語を覚えようとする人もいました。ここ数年は状況が変わり、アジア諸国からの観光客が急激に増えてきました。いまはスマートフォンの翻訳アプリなど便利なツールがたくさんあるので、病院の医師や看護師全員が、可能な限り対応させていただいています。

――そうした観光客の治療で、特に心掛けていることはありますか。

下間 遠方から来ている観光客などに対しては、治療にどれくらいの日数が必要で、費用はどれくらいかかるかなどを判断し、患者さんにとって最善の選択肢を提示するようにしています。私どものような地方の総合病院の強みは、地域の医療資源に精通し、連携できること。当病院だけでなく、他の医療施設なども選択肢として考慮し、観光目的で訪れている患者さんの負担をできるだけ軽減するように心掛けています。
もともとこの地域に住む人たちは、観光客に対して親切ですからね。当院でも、診察などで対応した際にとても喜んでくれる旅行者の患者さんが多いです。

――地域の観光事業と直接連携することもあるのですか。

下間 観光客が多く集まる地域イベントには、常になんらかの形で協力するようにしています。
例えば毎年7月に「男鹿ナマハゲロックフェスティバル」という音楽イベントが開催され、2019年は3日間で約1万7000人が来場しましたが、当院ではこのイベントに救護班として参加しています。また毎年8月には「日本海メロンマラソン」が開催されますが、そこにも救護班として参加し、熱中症にかかった参加ランナーなどの手当てをしています。こうしたイベントには、医師だけでなく看護師も手伝いで参加するなど、病院全体で協力体制を敷いています。

病院内の働き方改革を進め医師の確保を図る

――多くの地方で医師不足の問題が顕在化しています。こちらのエリアはどうですか。

下間 この4月以降に、地元の診療所が2カ所、閉院しました。後継者がいないことが原因だったと聞いています。こうした傾向は数年前から顕著になっており、その影響は当院にも及んでいます。
10年ほど前の話ですが、当院の内科医師が全員辞めてしまったことがありました。というのも、閉院した開業医の患者さんが当院に来ることによって、当院の医師の負担が大幅に増えてしまったのです。耐えかねた1人の内科医師が「辞めて別の地域で開業する」と言い出したら、他の医師も次々に「病院を辞め開業する」と言い出した。医師が辞めることによって増える負担を自分で背負うのは、誰だって嫌ですからね。1人、大学から派遣で来ていただいていた医師が最後に残ったのですが、その医師も他の病院に移ってしまいました。

――どう対処したのですか。

下間 取り急ぎ、自治医大から医師を1人派遣していただいて、急場をしのぎました。でもこのままでは、この先、新たに医師を増やしても同じ結果になってしまいます。そこで、医師の働き方を少しずつ見直すことで、労働環境の改善を図りました。

――「働き方改革」ですね。

下間 例えば、それまで当院は主治医制を取っていたので、担当患者が亡くなったら夜中でも主治医が病院に行かなければいけませんでした。医師にとって何かと負担が大きいこの主治医制を止め、夜中に何かあったときには当直医が対応するなど、フレキシブルな勤務体制に改めることで、医師の心身にも時間的にも、徐々に余裕が出てくるようになりました。

また、医師不足で忙しいときには、学会や医療関連イベントに参加することが難しかったのですが、時間に多少余裕ができてきたら、そうした学会やイベントなどにも積極的に参加させるようにしました。もちろん、まだ医師の数が十分に足りているわけではないので、医師が学会などで休むのは、病院にとっては厳しいときもあります。でも、「どうせ医師が少ないのは変わらない」とある意味開き直って、「気にしないで行ってきなさい」と送り出すのです。忙しいからと下を向いて仕事をしていても何もいいことはありません。この仕事を楽しいと思ってもらうことが先決なのだと考えました。

そうこうしているうちに、手伝ってくれる医師が全国から集まり始めました。医師が増えれば個々の負担は減っていき、余裕を持って仕事ができる。そういう職場には、さらに多くの人が集まってくるという好循環が生まれました。
余裕が生まれたところで、さらなる“労働時間短縮”にも取り組むことができました。現在は、「当直医以外は全員18時に帰る」が合言葉になっており、実践もできています。さらに当直医の連続当直をなくし、当直明けは午後を休日にすることで、リフレッシュもできるようになりました。

――看護師に関してはどうですか。

下間 全国の病院における看護師の離職率は10%超くらいといわれる中、当院は比較的定着率が高いとみています。ただ、そもそも看護師のなり手が不足している一方で、看護師の業務内容が複雑化するなどして、個々の看護師に負担がかかっているのも事実です。今後は看護師の負担軽減と人材確保にも取り組んでいかなければいけませんね。

心に残る言葉をもらった教授や先輩との出会い

――下間先生が医療の道を志すきっかけはなんでしたか。

下間 私は地元秋田出身で、薬種商の家で育ちました。姉は大きくなって薬剤師になりましたが、私は親と医師になるという話は全くしていませんでした。
中学生のとき、担任の先生に初めて「君は医者に向いているから、将来は医者になりなさい」と言われました。ただし当時の自分は、将来は会社の社長になりたいと漠然と考えていたので、先生の言葉にはあまりピンと来ていなかったと思います。高校に入学してからは物理学者になりたいと考えたこともありました。
その当時、医学部の人気がすごかったんですね。私も高校卒業後の進路を真剣に考え始めたとき、急に中学の先生の言葉を思い出して、「医学部に進んで医師になるのもいいかもしれない」と思ったのです。それで地元・秋田大学の医学部を受験して、合格。そこから医療の道に入っていくことになりました。
ところが、大人になってから中学の同窓会に出席したとき、私と同じように先生の助言で今の仕事を選択した同級生が大勢いました。何と進学する高校のアドバイスより将来の仕事をアドバイスしてくれた中学担任でした。まずは皆で感謝しました。一人だけ「俺はお前の将来が心配だ」としか言われなかったとのことで大笑いしました。

――外科を選んだ理由は。

下間 最初は内科に行こうと思っていたのですが、周りの先輩が熱心に誘ってくれるので「外科の方が良さそうだな」と。学生というのは移り気なものですよね(笑)。でも実際に外科に入ってみて、自分の肌に合っているなと感じました。

―大学入学後もずっと秋田にいたのですか。

下間 30歳の手前くらいまで、ずっと秋田でした。1週間以上、秋田を離れたことすらなかったんですよ。自分でも「住む世界が狭いな」と思っていたのですが、東京のような都会が嫌いだったのです。30歳を間近にして、横浜にある秋田大学医学部付属病院の関連病院に2度ほど派遣されて、そこで初めて秋田を離れました。初めての都会暮らしは、楽しかったですよ(笑)。でも医療に関して言えば、やはり私には秋田のような地方の医療環境の方が合っていると感じました。
地方の病院では、同僚の医師の出身校やキャリアなどもだいたい分かりますし、お互いの顔が見えるから連携が取りやすい。一方、都会の病院では、キャリアをよく知らない医師とも一緒に仕事をすることになり、あまり意思疎通ができないと感じることが多かった。それで再び秋田に戻ってきて、それからずっと秋田です。

――これまで思い出に残る出会いなどはありましたか。

下間 医学部の教授や先輩など、いい出会いはたくさんありました。中でも私が入局したときの教授には、いろいろなことを教わりましたね。医療に関わることだけではなく、生きていく上で重要な言葉をいくつもいただきました。私がこの病院の院長になったときにも「自分が正しいと思ったことはやり抜きなさい」「たとえ結果が悪くても、自分のせいだと責めてはいけない。それでは院長なんてやっていけないから」「いいと思うことだけやりなさい。そして責任は取るな」と、いろいろ言葉を掛けていただきました。その言葉があったからこそ、いろいろつらい経験をしながらも、私はここまで院長を続けてこられたのだと思います。
教授は88歳になりましたが、今も元気です。先輩らの中にも教授を尊敬している人は多く、みんなで「また会いに行こう」と相談しているところです。

経験しなければ分からない地域医療のやりがい、楽しさ

――ご自身を取り巻く地域医療の現状を、どのようにみていますか。

下間 地域医療は、私にとっては非常に肌の合う環境で、楽しく仕事をしています。都会の病院と違って1人の医師があらゆることを診なければいけない総合診療は非常にやりがいがあります。ただそれは、自分で経験してみなければ分からないでしょうね。大学病院の中だけで地域医療を語っていても、決して理解することはできません。そういう意味では、若い医師の皆さんにはぜひ1度、地域医療を経験していただきたいと思っています。
実際、初期研修の研修医なども、この病院に数多くきています。半日なり1日なり一緒に過ごして、普段私たちが行っている医療をみてもらうだけでも、いろいろなことを感じ取ってもらえると思います。さらに患者さんや地域住民との交流など、都市部の病院では経験できないことがたくさんあります。

――患者さんとの距離の近さも、地方病院の特徴ですね。

下間 時には、その距離の近さがつらくなることもあります。患者さんの病状が悪化すると、自分自身も気分が落ち込みますし、ご家族からの要望が厳しくなって、追い込まれることもあります。そんなとき、私たち外科医は同僚らと「お祓いに行くか」と言って飲みに行くんです(笑)。そこでいろいろな愚痴や失敗談を言い合って、慰め合って、経験を共有する。そうすることによってストレスも発散されますし、「もっとこうしたらいいんじゃないか」という建設的な意見も出てきます。

医師というのは、自分1人で抱えて自分を責めてしまいがちです。私自身、これまで医師として人生を歩いてきて、うまくいった経験などはあまり記憶に残っておらず、「もっとこうしたら良かった」という思いだけが心に残っています。そういう思いを持ちつつも、前向きになれる環境が、地域医療の場にはあるのだと思います。とはいえ、最近は院内にも若い医師が増えてきたので、あまり飲みにいくことはなくなってしまいましたけどね。この先、市内の高齢化がさらに進むと、今以上に高齢者医療一色になってしまうかもしれません。ひとくちに地域医療と言っても、時代の移り変わりとともに環境は大きく変化しています。そうした変化も、今後も見極めていきたいと思います。

外観(写真提供:男鹿みなと市民病院)

●名   称/男鹿みなと市民病院
●所 在 地/〒010- 0511 秋田県男鹿市船川港船川字海岸通り1号8番地6
●施   設/地上4階建て
●敷地面積/15,460.7㎡
●診療科目/内科、精神科、神経内科、小児科、外科、整形外科、皮膚科、泌尿器科、産婦人科、眼科、耳鼻咽喉科、リハビリテーション科、放射線科
●病 床 数/ 145床(一般病床)
●開設年月日/ 1998年7月

 

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