2023

08/05

「これはわれわれラオスのプロジェクトだ」

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国立研究開発法人国立国際医療研究センター(以下、NCGM)国際医療協力局・運営企画部・保健医療開発課の村井真介先生は、自身の経験から医師がいるだけでは医療サービスは提供できないと感じて国際協力を学び、実践の大切さに気付いたことをきっかけにNCGMに入局した。 
歯科医師である村井先生にチーフアドバイザーとして長期赴任したラオスでのプロジェクトを中心にお話をうかがった。

~現地の人たちが協議し、自分たちの言葉で作った質改善モデル~

海外で活躍する医療者たち(39)

歯科もできる国際保健の専門家に

――村井先生は、なぜ歯科医師になろうと思ったのですか。

村井 小さい頃に行った最初の歯の治療の記憶が矯正歯科だったせいか、私自身も矯正歯科医になりたいと思っていました。プラモデルを作るのが好きで、粘土のような柔らかいものを触っているより、ワイヤーを曲げたりする方が得意だったので、矯正歯科は合っていたのだと思います。

歯学部での矯正歯科の講義も、論理的でとても分かりやすかったですね。

――では国際保健に、携わるようになった経緯は。

村井 沢木耕太郎の深夜特急を読んだことがきっかけで、大学3年生頃から、バッグパッカーとして東南アジアと南アジアを何度も旅しました。旅の中で、カンボジアやタイなどで歯科医院を見たり、NGOで歯科に取り組んでいる歯科医師にも会ったりする機会があり、日本を拠点に同じような取り組みをしている方々とコミュニケーションを取るようになりました。

カンボジアにて口腔保健のNGO活動に参加

大学を卒業する頃になって、教授に矯正歯科の道を尋ねたところ、卒後の修行に5年かかると言われました。「それはちょっと長いな」と思って進路をいろいろと考えるようになりました。ちょうどその頃、スリランカのペラデニアで、JICAの大規模な口腔保健の技術協力プロジェクトがありました。チーフアドバイザーが歯科医師で、他の専門家にも歯科医師がいるという例を見て「これをやってみたい」と思い、卒後の進路は矯正歯科ではなく、国際保健学の分野に進むことにしました。

インドの山奥を旅していて歯の詰め物が取れてしまった時に、どの歯医者さんにも「ここでは材料がなくあなたが望むような治療はできない」と断られた経験があります。治療を根付かせるには医療従事者だけでなく、材料や機器、またそれらの流通などいろいろな要素が必要だと感じていたこともあり、保健システムと質に取り組んでおられた東北大学医学部の上原鳴夫教授に師事し、歯科の国際協力を学ぼうと思いました。

――東北大学ではどのような研究をしていたのですか。

村井 歯科そのものの研究ではなく、保健情報システムの研究をしていました。歯科も含めて保健省の様々な保健プログラムでは、どんな指標をみていて、そのデータがどのように集まってきて、データの質はどうなっているのかを横断的に見ていく研究でした。2カ月に1回程度、フィリピンでフィールドワークをやっているうちに、歯科だけにこだわらなくてもいいのではないかと考えが変化していきました。

また上原先生の教室では、日本の医療の質・安全にも取り組んでいたため、徐々にその分野への関心も高まり、技術なども身に付き、歯科もできる国際保健の専門家になろうと思うようになりました。

――博士課程修了後、東北大学医学部で国際保健学分野の助教を経て、2013年にNCGMに入局されましたね。

村井 はい。助教時代は、医療の質・安全の研修や会議なども行っていました。理論的なことや研究成果などの紹介はできたのですが、現場の人から「これを私たちのプロジェクトでどう使えば良いのか」と聞かれると、答えられませんでした。研究や人材育成も重要ですが、実践ということも瞬時に引き出しから出てくるようにならないと、専門家としてあまり良い仕事はできないなと思いました。

東日本大震災でボランティアに参加した時にも、実践が大事であることを感じていたこともあり、次は実践も充実しているNCGMに進もうと考えました。

ラオスの人々が目標を決め、自主的に取り組んだプロジェクト

――NCGMでは、これまでどのような国のプロジェクトに携わってきたのでしょうか。

村井 主にベトナムとラオスです。まずベトナムについては、2015年から3年間、「病院の質管理能力強化プロジェクト」に携わりました。ベトナムは2013年12月から医療の質・安全の取り組みを本格化させていました。このプロジェクトは質管理部門の方たちをトレーニングするために、日本に招いて研修を行う(本邦研修)というものです。本邦研修は研修後のフォローアップが難しいのですが、このプロジェクトでは、研修の結果であるアクションプランなどを現地のフォーラムで発表してもらうことでサイクルを作り、さらにネットワーク作りにも貢献し、大きな潮流に繋げていけるように工夫しました。フォーラムは現在も続いています。

――では、ラオスはどのようなプロジェクトだったのでしょう。

村井 JICAの「保健医療サービスの質改善プロジェクト」で、経緯はベトナムと似ています。ラオスでは2016年8月から医療の質改善の取り組みを本格化させており、ラオスの病院が医療の質を改善できる仕組みを作るというプロジェクトでした。私は医療の質・安全の短期専門家として関わってから、チーフアドバイザーとして、2017~2021年まで携わり、赴任先は南部4県(チャンパサック、サラワン、セコン、アッタプー)でした。

短期専門家から長期専門家へ以降するときに、ベトナムのフォーラムにラオスの人たちを連れて行きました。ベトナムの取り組みを見たラオスの人たちは、自分たちもラオスでフォーラムを開催できるのではないかと考えるようになりました。

――プロジェクトでは何から着手したのですか。

村井 これまでの経緯もあり、産科が先行していたプロジェクトを、病院ガバナンスのもとで、産科、外来、入院病棟など、病院横断的なプロジェクトにすることから着手しました。調査した結果、一番不満が多かったのはトイレだったので、患者さんに喜んでもらえるきれいなトイレにすることにも取り組みました。

――改善するには目標が必要だと思うのですが、どのように目標設定をしたのでしょう。

村井 改善すべき質というのは、期待と現実のギャップなので、ラオスの人たちが何を期待していて、どんなことなら改善できるのかが大事です。そこで、ラオスの人たちで協議してもらう場を作り、彼ら自身に質の目標を作ってもらいました。われわれ専門家は、あるべき姿を示して引っ張るのではなく、彼らの目指すことがいろいろなガイドラインや科学的な根拠から逸脱しないように調整したり、助言をしたりするという役割に徹しました。

例えば「PDCAサイクル」は多くの方がご存じだと思いますが、それを彼らに説明したところ「例えば?」と質問されました。私は、彼らが理論からではなく、プラクティスから入った方が理解できるということに気付かされました。おそらく彼らは、今もPDCAそのものを説明することはできないと思いますが、PDCAサイクルの機能を持ったモデルを彼らの言葉で書き上げているのです。

――特に印象に残っていることはありますか。

村井 プロジェクトのダイレクターである、ヘルスケアリハビリテーション局の局長さんが、ことあるごとに「これはJICAのプロジェクトではない、われわれラオスのプロジェクトだ」と言ってくれたことはすごく印象的でした。言葉だけではなく、協議の場では自分たちでどんどん話をしてまとめていくし、運営委員会の立ち上げるなども、主体性を持って取り組んでいました。

ラオスは、援助によって外からプッシュされてきた歴史もあるので、むしろ自分たちの考えが実現できるという状況設定は良かったのではないか、と私は思っています。

――作り上げた質改善モデルは、その後どのように展開したのでしょうか。

村井 ラオスでもベトナムと同じようにフォーラムを開催しています。通常なら南部4県のモデルは一地方の事例にしかならないのですが、フォーラムで全国の病院がその効果を目にしたことで、保健省による全国展開に繋げることができました。

フォーラム自体も、彼ら自身がいろいろな人を巻き込んでいってくれたので、副大臣も出席してくれるようになりました。このプロジェクトは、一緒に走っている感じがして、私自身すごく良い経験をさせてもらったと思います。

ラオスで見舞われた2度の水害

――ラオスではどのような生活でしたか。

村井 ラオスには家族で行きました。首都のビエンチャンにもオフィスがあったので、家族は学校のある首都で暮らし、私は月の半分は単身赴任で南部へ、残り半分はビエンチャンに戻って仕事をするという生活でした。

南部ではホテル住まいでした。チームのみんなで食事をする以外は、日本で爆買いしてきたレトルト食品などを温めて、ホテルの部屋で食事をしていました。そのために、電子レンジも自分で買って、部屋に備え付けました。

赴任中には、2度の水害に見舞われました。1度は南部のダムの決壊で、1つの郡が完全に水浸しになってしまいました。もう1度は、私が北海道に帰省している時に起こりました。メコン川の水位が、ある時すごく高くなったのです。知らせを聞いて、急遽ラオスに戻りましたが、結局、オフィスの1階は完全に水没してしまい、そこにあったものは全てダメになってしまいました。国際協力では何があるか分からないので、支援することだけでなく、災害対応も一緒に考えなければいけないなと感じた出来事でした。

ラオスの水害で被害を受けたオフィスの入り口

――現在、先生はどのような仕事をしていますか。

村井 2021年1月末にラオスから帰国し、その年の9月から1年間、厚生労働省の国際課に出向し、世界保健機関(WHO)のガバナンス会合に出席するなどしていました。今は後任が出向しているのですが、私は国際課のNCGM側の窓口になっているので、WHOのガバナンス会合などに際してNCGMのコメントを集約したり、連絡、調整を行ったりしています。また後任のサポートとして、日本の代表団にも加わり現地で会合に参加しています。

――今後はどのようなことをしたいと思っていますか。

村井 実際に経験して、行政の仕事より技術協力をしていきたいと思っています。今の技術協力はどうしても専門家の経験に依存するところが大きいような気がしているので、皆さんそれぞれが考えていること、経験してきたこと等を共有して、何か技術協力の定石のようなものを整理できたらと考えています。まだ私の妄想の段階ですが、今すぐでなくても、いつかできるといいなと思います。

――最後に、国際協力に興味を持っている医者や学生にメッセージをお願いします。

村井 国際協力には、WHO、日本政府、JICA、NGOなど、いろいろな関わり方があります。誰にも、得意なこと苦手なこと、やり甲斐を感じること、感じないことがあると思うので、いろいろやってみた上で、何をしていくか決めるといいのではないかと思います。

ラオス

●面積:24万㎢
●人口:約733.8万人(2021年、ラオス統計局)
●首都:ビエンチャン
●民族:ラオ族(全人口の約半数以上)を含む計50民族
●言語:ラオス語
●宗教:仏教
(令和5年2月3日時点、外務省ウェブサイトより)

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