2023

12/05

国際保健医療の中で対策が進んでない精神保健

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国立研究開発法人国立国際医療研究センター(NCGM)・国際医療協力局 運営企画部 保健医療開発課の馬場俊明先生の専門は精神科、精神保健、そして医療経済学。他の疾患より対策が後回しにされがちな精神科医療への情熱を持ちつつ、実務や留学での経験、医療経済学の知識を生かして、WHOのガイドライン作成支援などに取り組んでいる。精神医療の現状やガイドラインの評価という仕事を中心に、お話をうかがった。

海外で活躍する医療者たち(40)

~精神疾患もほかの病気と同じ。治療の大切さを知ってほしい~

一緒に解決法を考える

――馬場先生は、なぜ医師になろうと思ったのですか。

馬場 高校生の頃、国際協力に興味を持ち、そのためには何か専門性が必要だと考えて医学部を選びました。当時、人口や食料、環境などいろいろな問題がありましたが、中でも人を助ける、命を救うということが、私に一番響いた国際協力のイメージだったからです。

大学時代は、IFMSA(国際医学生連盟)に所属し、HIV感染予防のために、高校生、大学生に性教育を行うプロジェクトを進めたり、代表、副代表を務めたりしました。

2005年に大学を卒業してからは、初期研修の後、精神科の臨床、公衆衛生、精神保健を経験しました。

――専門として精神科の分野を選んだのはなぜでしょう。また精神科と精神保健はどう違うのでしょうか。

馬場 私が医師という仕事に惹かれたのは、相談に乗ったり、その人に合う治療法や解決法を提示したりできることです。精神科でも、もちろん薬を出すことはありますが、相談に応じながら一緒に解決法を考えていくということでは、究極的な分野なのではないかと思いました。

私は、精神保健は精神科の臨床と公衆衛生の重なる部分と捉えており、集団や政策面で人々の精神的な幸福や精神科医療を良くしていく分野と考えています。

――2012年からはイギリスに留学しておられますね。

馬場 はい。精神保健指定医という資格を取得してから、北海道の保健所や、精神保健福祉センターに勤務しました。その中で、医療政策はどのように決められているのか、その正しさはどう評価しているのかということに興味を持ちました。そこで、ロンドン大学衛生学・熱帯医学大学院・経済学・政治学大学院に留学し、国際保健と同時に、医療政策、特に医療経済学を学び、修士号を取得しました。

イギリスでは、医療政策を決めるに当たり、どれくらいお金がかかるのか、どんな効果があるのかなどを見える形で比較して選ぶという方法を採っています。それを行っているのは、NICE(National Institute for Health and Clinical Excellence、英国国立医療技術評価機構)です。NICEの診療ガイドラインのために費用効果分析の系統的レビューを行う修士論文を書いた後も客員研究員として残り、精神科のNICEガイドライン作りに医療経済学者のチームの一員として参加しました。

国際保健のスタンダードを精神科に生かしたい

――NCGMに入職されたのは2019年ですね。NCGMを選んだ理由は何でしょう。

馬場 帰国後、精神保健学の助教、JICAのフィリピン薬物依存症対策プロジェクトの短期専門家派遣などを経て、さらに国際保健分野に挑戦したいと思いNCGMに入職しました。国際保健の中で最も興味があるのは、自分の専門である精神保健の分野ですが、まずは定評あるNCGMで国際保健のスタンダードを一通り学んでから、精神科の分野に生かしたいと思いました。

――入職してからこれまで、どのような業務に携わってきましたか。

馬場 東京で勤務している際は日本の技術を途上国に展開する事業や国内外から研修生を受け入れる部署でさまざまな仕事を経験させてもらいました。それ以外では、留学中に学んできたことを生かし、政策や研修を組み合わせた複雑な介入の系統的レビューなどに取り組んできました。系統的レビューというのは、そのテーマに関して世界中で行われてきた研究を調査、分析して、結論を出すという手法です。

レビューを行ったテーマの一つは、地域薬局における薬剤耐性予防介入です。抗生剤の薬剤耐性は世界中で問題になっていますが、途上国では一般の市民が、薬局はもちろん、コンビニなどいろいろなところで抗生剤を買うことができます。そこで、薬局などに介入することによって、抗生剤の使用量、生産量の減少にどういう効果があるかを測るというものです。そのほか、病院内の感染予防のために、感染対策の専門チームが活動するという介入の効果についても、系統的レビューを行いました。

海外への長期派遣は、JICAの「モンゴル卒後研修強化プロジェクト」です。2015年から5年間実施された「一次及び二次レベル医療施設従事者のための卒後研修強化プロジェクト」に続き、2021年から行われているものです。日本の卒後研修の仕組みを輸出するようなプロジェクトで、医師、看護師、助産師の卒後研修の質を改善、拡大したり、管理機能の強化を支援したりしています。私は2021年から約1年間の派遣でしたが、プロジェクトは現在も続いています。

モンゴルから帰国してからは、厚生労働省の国際課に出向し、今年9月に戻ってきました。

モンゴルで勲章を授与されたときの写真

 

やりがいと責任あるWHOのガイドライン評価

――現在はどのようなことをしていますか。

馬場 今、私の中心的な業務は、主に厚生労働省の国際課が国際機関の運営に日本の意見を反映するための技術的な支援と、WHOや日本医療機能評価機構でのガイドライン作成支援・評価です。

WHOは、ポリオを除いて自ら大規模なプロジェクトを動かしてサービスを提供しているのではなく、科学的に何をするのが良いかというガイドラインを定めることが一番の任務です。そのガイドラインの質を保つために、客観的に評価するガイドライン評価委員会があります。私はその外部委員をNCGM入職前の2018年から務めており、現在もNCGMの業務の1つとして続けています。

日本でも、日本医療機能評価機構の中にガイドラインの作成を支援する機関があり、日本でガイドラインを作る際に費用対効果をどのように評価するかの基準やマニュアルを作ったり、作成支援をしたりしています。

――例えばWHOでのガイドラインの評価とは、どのように行うのですか。

馬場 ガイドラインの計画をスタートする時点では、作成方法が妥当で実現可能なのか、また出来上がったガイドラインについては、十分に基準を満たしているか、修正が必要か、発表して良いものか、などを評価します。

特に介入の効果評価以外の部分に、自分自身の専門性やこれまで学んできたことを生かしています。その1つは費用対効果です。WHOのガイドラインは、医療者だけではなく、政策レベルで意思決定する人たちにも使われます。純粋な医学研究者が大多数のチームで作っているガイドライン作成委員会では忘れがちな点ですが、費用対効果という側面も重要で、ガイドラインに沿って介入を行うといくらかかるのか、低中所得国でもその額をこの介入に使うことは妥当なのかどうか、なども検討した上で記載するよう提案することがあります。また患者さんなどの意見をできるだけ客観的にデータとして集めて結論を出すという手法は、精神医学や心理学研究が得意としている方法論の1つですが、そのようなデータをしっかりと採り入れているかをよく確認して指摘したり、複数のユーザーにガイドライン作成委員に入ってもらっているかは、最低限の工夫として個人的には強く指摘したりしています。

――とても大変そうですが、重要な業務ですね。

馬場 そうですね。やはり忙しい医療者が全ての論文を読んで治療法を決めることは現実的ではありませんから、WHOや各国の学会がしっかりと客観的な評価をして、ガイドラインを作成することは本当に重要だと思います。

自分が評価をしたり、何かを指摘したりして改善されたガイドラインが、世界中の多くの人に使われているということは、本当にやりがいがあるなと思う反面、責任が重い仕事だと思います。

2022年のWHO総会で日本として発言している様子

低中所得国では精神科医療が行き渡っていない

――今度は、精神科医療の現状について教えてください。海外、特に低中所得国の精神科医療は、どのような状況なのでしょうか。

馬場 1つの指標として、国の医療費の何%が精神科に使われているかという数字があります。西ヨーロッパでは10%以上の国もありますが、日本では6%ぐらいで、低所得国は1%程度、世界全体では2%程度といわれています。その1%も、首都の大きな病院で使われていて、地方には行き渡っていないという国も多く、精神科が全くない国や、あっても首都の1カ所だけで地方にはないという国も多いのです。人口の5~10%が何らかの精神疾患にかかっていることを考えると、全く不十分です。

比較的大きな国でも、医療システムを民間が主導している国では、富裕層が住んでいる都市部にはプライベートな精神科医がいますが、それ以外の地域には全くおらず、公的な精神科医療が提供されていない状況が多いと思います。精神科医でなくても、一定の精神科医療は訓練を受ければ提供することが十分に可能ということが分かっていますので、さまざまな工夫をしてメンタルヘルスのケアの普及を進めていく必要があります。

――精神科医療への理解が進んでいないのでしょうか。

馬場 COVID-19をきっかけに、世界中で精神保健への興味は非常に強くなってきています。少なくとも当初はCOVID-19で自分も死ぬかもしれない、外に出られず気分が鬱々とする、イライラする、ということを世界中の多くの人が感じたことで、メンタルヘルスの重要性が理解されやすかったのだと思います。みんなが言っていると自分も言いやすい、問題にしやすい、ということもあるでしょう。またCOVID-19の対応で忙しすぎた多くの医師や看護師が燃え尽きたり、辞めてしまったりしましたが、医療者の精神面のケアの必要性も世界中で強く認識されたと思います。

メンタルヘルスが人生にも仕事にも影響を及ぼすということは、徐々に認識されてきたのではないかと思いますが、それに比例して継続的に十分な投資が行われるかどうかはまだ課題です。

――費用対効果という点ではどうでしょう。

馬場 精神科医療の費用対効果は予防接種に比べれば低いですが、高血圧や糖尿病など慢性疾患と比較すると同じくらいです。例えば、高血圧の方を治療しなければ、後で医療費がかかったり、早くから働けなくなったりして社会への影響があります。精神疾患の多くは10代から症状が出始めますから、治療によって本人の症状が楽になるだけでなく、社会的な波及効果も大きいのです。

精神疾患は、単に疲れている状態などと見分けにくいかもしれませんが、ちゃんと治療法があって、投資の効果もあり、それが科学的に証明されているということも含めて、世界中でもっと知ってもらう必要があると思います。

――今後、どのようなことに取り組んでいきたいですか。

馬場 国際精神保健という分野は、まだ世界的に投資が集まりにくい現状がありますが、一方では、低中所得国で効果がある、一定程度のコストで十分治療できるなどの研究もかなり増えており、それを実施していけば成功することが分かってきています。

精神科の病気を持った人の中には、自殺などによって亡くなる方もいます。国によっては、治療は不要と思われたり、鎖に繋がれてしまったりする地域もあります。かつて非常に高価だったHIVの薬が、HIVと共に生きる人達自身による人権運動を原動力に低中所得国で安く調達できるようになり無料で配布されるようになったように、精神保健もその活動に学ばなければいけないと思っています。精神疾患の治療も大切であることを多くの人に知ってほしいですし、自分としても技術面で貢献していきたいなと思います。

――最後に、国際協力に興味を持っている読者にメッセージをお願いします。

馬場 私は国際保健医療の中で、まだ対策が進んでいない精神保健の分野を目指してやってきましたが、まだその分野だけの仕事をするのは難しいのが現状です。ただ、その分野の重要性が認識された時には、専門家が足りない可能性があり、とても必要とされるはずです。もし、まだメジャーでない分野に興味と情熱を持っている方は、国際保健に役立ついろいろなスキルも同時に学んで、他のチャンスもつかみながら、諦めずに進んでいっていただきたいと思います。

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