2021

04/27

低中所得国との関係は変化しつつある

  • 国際医療

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国立研究開発法人国立国際医療研究センター(以下、NCGM)国際医療協力局国際連携専門職の岩本あづさ先生は、入職から20年間、グローバルヘルスの中で重要視されてきた母子保健、特に新生児保健に関わる仕事をしてきた。子どものころから地域医療に憧れていたという岩本先生に、昨年まで赴任していたカンボジアを中心に、活動や医療事情、海外生活、また今後日本で取り組みたいことなどを伺った。

ドクターズプラザ2021年5月号掲載

海外で活躍する医療者たち(32)/国立国際医療研究センター

発展目覚ましいカンボジアで新生児の命を守る

必要とされる地域で働きたい

―岩本先生は、なぜ医師を目指したのですか。

岩本 小学校3年生の時に読んだ「ヒマラヤの孤児マヤ」という本がきっかけです。ネパールで結核対策に取り組んだ岩村昇医師の妻、史子さんが書かれた本で、「私もお医者さんになって、必要とされる地域で働きたい」と思いました。10歳まで栃木県・日光の山の中で育ったせいか、地域医療に携わりたいと考えていました。ただ私は数学が苦手、不器用でゆっくりした性格なので、医師としての適性に悩みつつ大学生活を送りましたが、「人」に関わる医療は自分の天職だと思っていました。

小児科を選んだのは、子どもの全身を診るからです。そのころは、血液、循環器、消化器などと細分化された教育が中心でしたが、私はどんな疾患でも初期対応ができるようになりたいと思い、国立岡山病院(現:独立行政法人国立病院機構岡山医療センター)の小児科で研修を受けました。

岡山病院は、WHOとユニセフから先進国で初めて「赤ちゃんにやさしい病院」に認定された、新生児医療で有名な病院です。当時の私は新生児に触るのも怖いくらいでしたが、新生児当直などを経験するうちに、卒業後3〜4年ごろから赤ちゃんをケアすることの楽しさが分かってきました。話ができない赤ちゃんが全身で訴えていることをキャッチするのは、どの国でも変わりません。それが強みであり面白いところだと思います。

―NCGMに入職した経緯は。

岩本 岡山病院での2年間の研修後、一時期母校の滋賀医科大学で公衆衛生の勉強をしました。その過程で受けたNCGMの研修では、国際協力の全体像を教えていただき「やっぱり自分が目指したい世界だ」と思いました。その後、国際協力に関わる人材育成プログラムにも参加し、NCGMの先生が参加していたベトナムのプロジェクトで、実践の研修を受ける機会をいただいたご縁もあって、2000年にNCGMに入職しました。

―これまでどのような仕事をしてきましたか。

岩本 2000〜2003年ぐらいまでは、NCGMの先生方がリーダーを務めていたバングラデシュやホンジュラスのプロジェクトに、新生児医療の短期専門家として参加しました。日本とはかなり異なる状況の中で、現地の医師や看護師と一緒に赤ちゃんに向き合いました。2004年以降は、ラオスで2つのプロジェクトに参加しました。1つは「キッズスマイルプロジェクト」と呼ばれ、当時死亡することが多かった子どもに、良い保健サービスを提供できるようにするもので、行政に近い仕事でした。

2つ目は、2011〜2013年に参加したセクター・ワイド・コーディネーションのプロジェクトで
す。ラオスには多くの国々がさまざまな支援をしているため、ラオスの保健省が各国からの支援を整理し、体系化できる仕組みを作るもので、母子保健の分野を中心に取り組みました。その後、2016年5月からカンボジアのプロジェクトに、長期専門家として参加しました。

新生児ケアの改善を目指すプロジェクト

―カンボジアでのプロジェクトはどのようなものだったのでしょうか。

岩本 「カンボジア分娩時および新生児を中心とした母子継続ケア改善プロジェクト」というもので、私はチーフアドバイザーとして赴任しました。「継続ケア」というのは、妊娠、出産、産後、新生児、乳幼児と、それぞれの時期に必要なケアを切れ目なく続けて行うことです。このプロジェクトでは、その中でも多くの問題が残されていた、陣痛が始まってから出産に至るまでの分娩時から新生児期までに焦点を当て、改善を目指しました。

当時カンボジアでは、お産でお母さんが亡くなることは大幅に少なくなっており、また子どもの死亡もかなり減少していましたが、相対的に新生児の死亡が目立つようになっていました。新生児とは、おおむね生まれてから1カ月以内を指しますが、最も亡くなることが多いのは、一番弱い状態である生まれたての赤ちゃんです。その状況を改善するには、出産してからの対応では間に合わず、お腹の中にいるときから赤ちゃんの心音などを観察して、適切な対応を行う必要があるのです。

―指導はどのように行われたのでしょう。

岩本 プロジェクトの対象は、プノンペンにある国立母子保健センターと、日本の県に相当する州のうちの2つ、首都の隣のコンポンチャム州と、ベトナム側に突き出したスヴァイリエン州でした。国立母子保健センターは、地方の病院を指導する役割も担っており、優秀な医師や助産師さんたちがたくさんいます。そういうスタッフの皆さんと一緒にカリキュラムや指導方法を考え、現地のスタッフが指導していきました。

今思うのは、これまでの詰め込み型ともいえる教育だけではなく、自分の頭で考える訓練も必要だということです。お産は病気ではないので、どこからが異常なのかを見極めるのが難しいといわれ、教科書には書かれていないこともたくさんあります。土台となる知識や技術はもちろん欠かせませんが、今どういう状態なのか、なぜこれが必要なのかなど、自分で考える訓練はまだまだ足りないと思っています。

―医療事情はどうなのでしょうか。

岩本 カンボジアに進出している日本の私立病院もあり、そこでは日本に近い医療を受けることができます。費用は高いのですが、カンボジア人の患者さんも多いようですから、それだけ経済的に豊かになってきているということでしょう。

一方で、地方の医療との大きな格差を感じることも多かったです。カンボジア政府は、村の医療の中心として、だいたい10の村(住民1万人程度)に1カ所、保健センターを配置しています。日本の診療所のような存在なのですが、最大の特徴は、通常のお産ならば保健センターでするということで、カンボジアが母子死亡率の低下に成功した理由の1つは、保健センターに助産師を配置したことといわれています。しかし、医師がいない、助産師がいても一人しかいない、医療の質が十分でない、というところも多いのが実情です。私たちが行った調査によると、村で薬を売っている人がいたり、保健センター職員が副業として自宅で子どもを診たりしているので、まず近所に相談に行く村人も少なくないようです。

海外でなくても、国際協力と通じる分野で

―カンボジアでの生活はいかがでしたか。

岩本 ラオス、カンボジアと、東南アジアに計9年住んでいましたが、人々は穏やかで、日本人に似た雰囲気で、物価も安いので暮らしやすかったですね。カンボジアは、農作物は豊富だし、海も川もあって、食事はとてもおいしかったです。和食屋さんもたくさんあるので、おいしくない店は生き残れないくらいです。加えて都市化が進み、日本人もたくさん入ってきているので、美容院、クリーニング店、学習塾など、何でもあります。日本の大型ショッピングモールもでき、日本での買い出しは不要になりました。

私が住んでいたのは高層アパートです。勤務先である国立母子保健センターまでは、車で20分ほどでした。基本的には治安は良い方ですが、ひったくりに遭いやすいので、不用意には歩けず、運動不足気味でした。メコン川は大河ですが、街なかを流れているので毎日脇を通りました。雨季は荒々しく、乾季は水量が減って中洲が見え、私はミルクティー色をしたメコン川の流れを眺めると心が落ち着きました。

―印象に残っている出来事はありますか。

岩本 カンボジアで4年間一緒に仕事をした、国立母子保健センターのセンター長が、何度か「ふるさと」を歌ってくれたことがとても印象に残っています。内戦で亡くなられたお父さまが1960年代に日本に留学された経験があり、いつも日本の話をしてくれて、この歌も教えてくれたそうです。折り紙もお上手で、「心が落ち着くから」と折り鶴を作っていたので、日本に帰国した時にきれいな千代紙を買って、お土産にしました。何より強烈に印象に残っているのは、昨年3月の日本への退避帰国です。コロナ禍で、5月までの任期が短縮されました。通知から帰国の日までのたった2日間で、4年間暮らしたアパートと職場を片付けなければならず、夜逃げのような状態で帰国しました。東南アジアの比較的落ち着いた状況の中で仕事をしてきましたが、最後はドタバタで帰ってきてしまったのが残念です。

―これからどんなことをしたいですか。

岩本 コロナ禍で本来業務ができなくなったことは痛手です。でも、カンボジア赴任中の後半から「日本と同じような生活もできるほど発展してきている国に、私がいる意味は何だろう」と考えるようにもなっていました。世界の健康格差をなくしていくことが使命だとしたら、国際協力の場は日本国内にもあるのではないかと。一方で日本の子どもの貧困なども大きな問題になっており、小児科医として日本の保健分野で私ができることを探したいとも思っていたところでした。

現在、国際連携専門職として関わっている業務の1つは、コロナ禍で、言葉などの問題で困っている日本にいる外国人の方たちへの支援です。海外に行けなくても、国際協力と通じる分野で、できることをしていきたいと思っています。

―国際医療協力に興味を持っている学生にアドバイスをお願いします。

岩本 地域保健と国際保健は共通点があるといわれています。コロナ禍という共通の困難を経験したことで、日本と世界がつながっていること、似ている部分もたくさんあることは、より明らかになったと感じます。グローバルヘルスの勉強や、低中所得国での経験を早く積みたいと焦りを感じる人もいると思いますが、まず日本で、みんなのためになる良い医療者になることを目指してほしいと思います。私自身の経験からも、それこそがアイデンティティーであり続けるので、大切にしてほしいです。

私たちは、低中所得国を「支援する」という立場からスタートしましたが、だんだん対等になりつつあり、相手国の方が優れている点もあります。これから医療者を目指す若い人たちは、低中所得国といわれる国々と新しい関係を築いていけるのではないかと期待しています。

カンボジア王国

●面積/18.1万㎢(日本の約2分の1弱)
●人口/16.3百万人(2018年I M F推定値)
●首都/プノンペン
●民族/人口の90%がカンボジア人(クメール人)とされている
●言語/カンボジア語
●宗教/仏教(一部少数民族はイスラム教)
(令和元年7月29日時点/ 外務省ウェブサイトより)

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