2023

08/01

介護のその先の「人生のしまい方」について考える

  • 介護

川内 潤
NPO法人となりのかいご・代表理事

隣(となり)の介護(26)

介護相談の中でも、さまざまな考え方のある「延命治療」や「孤独死」の問題についてお話しさせていただきます。

まずは「延命治療」について考えてみましょう。

一家の大黒柱だった父の急展開から

Aさんの父親は、働き者として一家を支えてきました。70代半ばで仕事を退職し、趣味のゴルフや映画鑑賞など、セカンドライフを楽しんでいました。

ある日、自宅で脳出血を起こし救急搬送されました。医師からは「非常に厳しい状況なので、延命治療について、ご家族で話し合って決めてください」と言われ、動揺したAさんは、「緊急で介護相談ができないか」と病院の外から連絡してくださいました。至急、リモート面談をさせていただくことにしました。

本人と家族の想いを分けて考える

私はAさんの感情を受け止めつつ、次のような質問をしました。

「お父様はどんな方ですか」

「印象に残る思い出はありますか」

質問の意図が飲み込めないながらも、父親について語るAさんは、とてもいい表情をして父親との思い出などを語ってくれました。私は「そのようなお父様だったら、どんな判断をするか、考えることが大切ですよね」と、父親とご家族の想いを分けて考えるように、促していきました。

その後、Aさんは母親とともに、父親の想いを想像しながら「家族思いの父なら私たちに負担をかけるような、延命は望まないだろう」という決断を導き出しました。

延命治療の可否の前に、生活に対する想いに触れる

本人の望む延命治療を考える機会づくりとして、「ACP:アドバンス・ケア・プランニング」や「人生会議」という言葉のもと、国も普及啓発活動をしています。ただ、話の切り出し方が分からず、何もできない方がほとんどではないかと思います。

そこで、次のような互いの生活に対する想いを意見交換することから始めてみてはいかがでしょうか。

「自分はここから10年は〇〇を大切にして生活していきたいと思っているけど、父さんはどう思っている?」

さらに話を深めていくツールの一つとして、延命治療の話題にも触れていただくのが自然な流れかと思います。このプロセスの途中で急展開があっても、Aさんのケースのように本人の想いを大切にした意思決定をすることもできます。大切なのは延命治療の方法を決めることではなく、親の生活に対する想いを知ることです。親が元気なうちに自分の将来の話とともに、家族でのよりよい対話を進めてみてください。

次に、生き方が多様化する中での「孤独死」について考えてみましょう。

“孤独死”は本当に寂しいものなのか

近年、「おひとりさま」など1人で暮らすことも生き方の選択肢の1つになっています。一生独身を選択したり、友人との共同生活を選んだり、生き方も多種多様です。ならば、人生の終わりも自分自身で選択していいのかもしれません。

“孤独死”がかわいそうで寂しいものだと決めつけているのは家族や周囲の人です。「最期くらい自由でいたい」「家族の世話にはなりたくない」など、自ら1人でいる最期を選択する人もいるのです。

最期を選択するということ

「終活」という言葉があるように、最期の瞬間まで自分の生き方を選択する人がいても不思議ではありません。死を迎えるのは自分自身であって、家族でも親戚でも友人でもありません。本人が望んだ最期なら、「終わり良ければすべて良し」と納得できます。家族に看取られるだけが選択肢ではないことを知っておくことで、互いに気持ちが穏やかになれるでしょう。

最期を決めた自分にできること

最期まで1人でいることを決めても「介護が必要になったら?」「病気やケガをしたら?」と、不安になる人もいるでしょう。まずは、どのくらいのサポートを望むのか、どこで過ごしたいのか、基本軸を決めておきましょう。事細かに決めるのはハードルが高く、それだけでも負担になります。基本的な枠組みを考えておけば、それに適したサポートを受けることができます。

1人気ままに……、を選択した親に家族ができること

家族は、最期はそばで看取りたいと思うかもしれません。しかし、同居でお互いがストレスを抱えるくらいなら適度な距離感を保ち、良い関係性を維持するほうが幸せです。

1人気ままに最期を迎えたいと言う親に家族ができることは、説得や考えを改めさせることではありません。その選択をした理由やそこに至ったプロセス、想いを聞くことで、その後の対応が見え、お互いの生活が尊重される形をつくることができます。本人の意向を尊重することも家族にできるサポートの1つです。

時代が変われば生き方も最期の迎え方も変わる

大切なのは、どのようなプロセスを経て選択をしたかです。本人が望み、好きな形で最期を迎えたのなら、孤独死も決して不幸なことではありません。これからは、施設を利用したり、1人で最期を迎えたり、多種多様な人生の終わり方があっていいのかもしれません。

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