2022

01/20

ニオイを感じる建築

  • 病院建築

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服部 敬人
株式会社伊藤喜三郎建築研究所
設計本部 プリンシパルアーキテクト
一級建築士 認定登録医業経営コンサルタント

ドクターズプラザ2022年1月号掲載

病院建築(12)

コーヒー豆を買った帰りは、香ばしい匂いがカバンを包み込み不思議に幸せな気分になります。ニオイ一つで、その日の気分も変わるのです。整然とした病院内にも洒落た喫茶店があり、そこからコーヒーの香りがするだけで、病院独特のニオイ、ゾクにいう「病院くささ」も少しは解消することでしょう。

「病院くさい」は過去のこと?

病院は機能が複雑であるように、ニオイの発生源もさまざまです。消毒液の臭い、汚物の臭い、検査室のホルマリン臭、厨房からの調理のニオイ……などなど、このような「臭い」を前にして、設計者は、発生源の適切な配置と区画、さらには換気、脱臭設備により対処します。発生源になるエリアには前室を設けて離隔を取ることや、吸排気口の近接によるショートサーキットの回避を考慮します。部屋の換気回数(部屋の空気を1時間当たり入れ替える回数)を増やし、事務室では5回のところを、ニオイのきつくなる汚物室や治療室では10〜12回とします。気流調節も重要です。清浄領域から汚染領域へ空気を流し、臭気のみならず、ウイルスや放射線物質の拡散を防ぎます。また、EОG滅菌機や内視鏡洗浄機に使われている毒性があるエチレンガスは適切な処理が必要であり、厨房のレンジフード排気は屋上までの専用排気ルートを確保し、周囲の環境にも注意します。

近年は発生源の臭気を断つべく、空気清浄機の導入や消臭効果のある空調フィルターの採用、クレゾールに代わる臭いの少ないアルコール系消毒液への転換がはかられています。加えて消臭効果のある材料や製品が増えたことにより、「病院くさい」という形容詞そのものが薄れつつあります。遮断、排除するニオイばかりではなく、例えばレストランや喫茶コーナーなど憩いの場からの「匂い」や屋外との連続性を確保することで季節感のある「匂い」は、場所の雰囲気を補完します。ニオイを積極的に利用する設計も求められています。

設計で出会ったニオイ

これまでの設計で出会った、ニオイにまつわるエピソードを3つほど紹介しましょう。一つ目は30年前の心身障がい児病棟の話です。トイレ時間が長い子が多いため、臭気がこもらないようにしてほしいとのことから、臭気が立ち上がらないように天井に設ける換気口を便器の後ろの床ぎりぎりに設けたことがありました。今はオムツ対応が多いこともあり障がい児病棟のトイレは減ってしまいましたが、臭気対策は病院の特性によって、個別に対応すべきことに気付かされました。

二つ目は、新築から間もない病棟の話です。夏場に室内の湿度が高い状況が続くのですが、高温高湿の外気が影響していること以外はっきりした原因がつかめませんでした。新築の仕上げ材の臭いを気にされたスタッフの方が、食堂やデイルームの窓を夜間開放していたことが分かりました。24時間機械換気が稼働していますので、取扱い説明にもひと工夫必要であったようです。

三つ目は、オゾン脱臭装置を高齢者施設に導入した際、脱臭したい臭いに加えて、食卓や花の香りまで消してしまい、生活感がなくなったという残念な出来事です。医療福祉施設では、臭いに限らず導入した設備や仕上げが期待以上の効果を発揮し、マイナスの効果を生んでしまうことも多いのです。

マスクを外した時に・・・

さて、感染症が蔓延している状況が、建築を取り巻く環境とニオイの関係にも微妙な影響を及ぼしています。外出時のマスク装着が、建築材料のニオイ、食事のニオイ、水、植物・木のニオイ、外気のニオイなど、ニオイの感受性を遮断し、ひいては建築の質感を遮断しているのではないかと懸念しています。

ニオイの粒子はウイルスの百分の1の大きさといわれています。ウイルスの粒子0.1㎛(1万分の1㎜)に対して、ニオイはおよそ0.001㎛(百万分の1㎜)ぐらいとのことです。不織布のマスクは、間違いなくニオイの粒子を通します。通しますが、ニオイの感じ方は鈍くなるはずです。実際、マスクを外すとニオイの感覚は鮮明になります。さらに、マスクの影響により、顔の表情の半分は伝わらなくなってしまいます。赤ちゃんが母親の感情を捉えにくくなるとか、男女の恋愛感情が生まれにくくなるという現象は、既に報告されています。同じように、マスクの常用が、息苦しいだけではなく、いろんな意味で「鼻が利かない」世界をつくってはいないかと危惧します。人間は何かを察知する能力を持ち続けることが必要であり、「臭いもの」であっても簡単に「ふた」をしてはいけないのでしょう。

コロナ禍が“清潔先進国日本”に一層の拍車を掛けています。あまりの清潔感のゆえに、人間に必要なニオイまで消し去ってしまうとしたら、多少の「病院くささ」は、残しておいても良いのかもしれません。マスクを外した時に、少なからずニオイを感じることができる建築でありたいのです。

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