2025

03/05

免疫負債と感染症

  • 感染症

内藤 博敬
静岡県立農林環境専門職大学 生産環境経営学部 教授
日本医療・環境オゾン学会 副会長
日本機能水学会 理事

新微生物・感染症講座(18)

~感染症を“適切に恐れる”ために~

冬真っ盛りの2025年正月、隣国中国ではヒトメタニューモウイルスがインフルエンザに次いで感染が急増しました。1月29日に旧正月(春節)を迎える中国では、この正月休みに国外旅行をする人々も多く、日本は人気の渡航先となっています。国際的な人々の交流がコロナ禍前に戻りつつある昨今では、中国に限らず諸外国の観光客が何らかの病原体に感染したまま日本を訪れることが、また日本から持ち帰る場合があります。

一方で、2021年から2024年の日本では、コロナ禍で感染報告が減少していたヘルパンギーナ、手足口病、咽頭結膜熱、RSウイルス感染症、溶連菌、インフルエンザ、マイコプラズマなど多くの感染報告が増加し、あたかもわれわれの免疫が落ちて病原体が凶悪化したかのような情報も見受けられました。COVID-19パンデミックが落ち着いてきた中で私たちと病原体との間で何か起こっているのか、感染症を“適切に恐れる”ためにも科学的に考えてみましょう。

「免疫」は病原体から身を守る防御システム

疫病を免れることを意味した「免疫」は、病原体から身を守る防御システムです。このシステムは、好中球、好酸球、好塩基球、マクロファージ、樹状細胞、T細胞、B細胞などの白血球によってシステム化されています。また、皮膚によるバリア機能、咳やクシャミといった反射反応、涙や汗のような体外へ放出される水分、さらには私たちの全身で共生している常在微生物叢なども、病原体の感染を防ぐ防御システムの一部です。バリア機能、反射反応や常在微生物との共生は、病原体の種類を選ばずに防御する免疫で、病原体の体内(細胞内)への侵入や定着を防ぎます。好中球やマクロファージも病原体の種類を選ばずに捕食(貪食)する白血球で、これらの病原体を選ばずに対応する免疫を自然免疫と呼んでいます。自然免疫は、ほぼ全ての生物が持っている生体防御システムです。

私たち人間を含む高等生物の生体防御システムは、自然免疫だけでなく、病原体ごとに対応して体外へ排出する獲得免疫が備わっています。身体に入った病原体(抗原)一つ一つに対して、これらに結合して機能を止めたり、目印となって好中球やマクロファージに貪食させたりする「抗体」を作るのです。初めて身体に入ってきた病原体の情報がT細胞に伝わると、その性質を見極めて抗体を作るようB細胞に指令を出します。B細胞は分裂、分化して抗体を大量に産生し、病原体を身体から排除するのです。この時の病原体の情報を持ったT細胞やB細胞の一部は、病原体が体外へ排出された後も壊されること無く病原体の情報を記憶した細胞として身体の中に残ります。病原体の情報を持つ細胞を残しておくことで、同じ病原体が再び侵入してきた時には素早く強烈な抗体を作り出すことができるようになっているのです。この獲得免疫を利用した感染予防策に、弱毒化した病原体あるいは死滅した病原体を感染する前に接種するワクチンがあります。

ワクチン接種による“記憶”

2021年の夏、フランスの小児科医のグループから、COVID-19パンデミックでマスク着用や手洗いなどの感染予防対策が余儀なくされ、他者との接触も極端に減少したことで、コロナ以外の病原体に対する免疫の低下が懸念されるとの報告がありました。彼らはこの免疫低下を「immune debt」、日本語に直訳すると「免疫負債」と称しています(※)。

前述の獲得免疫は、病原体の種類によって記憶できる長さが異なります。また、ワクチン接種による記憶は、死滅した病原体や病原体の一部分を接種するワクチンよりも弱毒化した病原体を接種するワクチンの方が長く記憶されます。つまり、ワクチンを打っただけでは免疫の記憶の消失が早いため、ワクチンを打った上で当該病原体に曝露されることで、より長く強い免疫を記憶できることを意味しています。「免疫負債」の論文は多くの国の小児科医から報告がなされており、コロナ禍の感染対策でワクチン接種後の病原体暴露が十分でないことが要因の一つと考察しています。感染症は性差や年齢を問わず流行するので、社会全体へと広がることのないよう、引き続き感染予防するとともに、社会全体では小児や高齢者に対してワクチンの追加接種なども検討すべきかと思います。

生体防御システムは、維持するもの

コロナ禍で感染報告が抑制されていた感染症が世界的に増えており、コロナ禍の感染症対策が何らかの影響を与えていることは間違いないと思われます。しかし、感染症対策をしたことで個々人の免疫低下が起きたわけではありません。免疫負債は、感染予防を長期間続けたことでさまざまな病原体に曝露される機会が減少し、結果として特定の病原体に対する免疫の対応スピードが落ちてしまう可能性があるという仮説です。決して生体防御システムが破綻したり、機能低下するわけではなく、感染症対策で免疫低下は起こりません。不安を煽った非科学的な商品には気を付けましょう。

そもそも免疫は、前述のように白血球のパワー(力)ではなくシステムであり、単一の指標で測定できない「免疫力」という表現は医学的に定義されていません。主役は白血球ですから、何かを食べれば強くなるというモノでもありません。ただし、発酵食品や乳酸菌などは自ら微生物を取り込むことで、免疫負債とは逆にシステムのトレーニングになる場合もあります。システムは維持するモノなので、食欲、排泄欲、睡眠欲を適切に充たし、適度な運動と過度なストレスの回避を心掛け、免疫維持に努めましょう。

 

(※)Cohen R, et al. Pediatric Infectious Disease Group (GPIP) position paper on the immune debt of the COVID-19 pandemic in childhood, how can we fill the immunity gap?. Infect Dis Now. 2021 Aug;51(5):418-423.

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