2024

12/06

PTSDは増えた?

  • メンタルヘルス

西松 能子
博士(医学)、大阪医科大学医学部卒業後、公徳会佐藤病院精神科医長、日本医科大学附属千葉北総病院神経科部長、コーネル大学医学部ウェストチェスター部門客員教授を経て現職日本外来臨床精神医学会理事、現在あいクリニック神田にて臨床を行う。

よしこ先生のメンタルヘルス(70)

決して珍しい症状ではないPTSD

このところPTSDに関する報道を見ることが増えた、という実感をお持ちの方も多いと思います。実際この数年を振り返っても、地震や水害、土砂崩れなど、気候変動に伴うトラウマとなり得る事象や、戦争や難民など現地の惨状など、トラウマとなり得る事象の報道が増えていると同時に、昨年来のジャニーズの性加害事件に代表される多くの性加害報道などがあり、トラウマに関する報道が多くなりました。PTSDに罹患したと訴える声を聞くことが多くなったことが一因でしょうか。実際、私たちの外来でも、PTSDを訴えて受診する方が増えている実態があります。私どもの外来全体の疾患別の割合を見ると、実際に増えていました。2021年は3%未満でしたが、2024年3月時点で6%でした。

ところで、トラウマ的事象に生涯で私たちはどの程度遭遇し、PTSDはどの程度発症するのでしょうか。日本では、トラウマ的事象に一生で遭遇する確率は60.7%であり(川上ら,2014)、PTSDの生涯有病率は1.3%とされています。統合失調症やパニック障害が1%であることと比較すると、決して珍しくないメンタルヘルス上の問題だといえるでしょう。

安全なストレッサーはストレス耐性を養う

発症の要因は、トラウマの増加にあるのでしょうか、あるいはトラウマ的事象を受け取る人々の心の状態にあるのでしょうか。間違いなく、最近の気候変動、戦争、テロ、二極化した社会対立、対人関係の希薄化に伴うハラスメントの増加など、トラウマ要因の増加はありそうです。一方、最近の人々の育てられ方を見ると、人側の要因もありそうです。安全な環境の中で健康に過ごしている人に、ストレッサー(トラウマであったり、それ以下であったり)があると、一時的に神経回路(以下、HPAアクシス)の活動性が高まりますが、ストレッサーがなくなると、この活動性も元に戻ります。つまり、ストレス耐性ができるのです。健康な人が処理可能な短期間のストレッサーにさらされた場合は、それ以降、HPAアクシスを刺激するストレッサーにさらされても、多少のことは形成されたストレス耐性で乗り切ることができる可能性があります。

例えば、兄弟げんかでストレスを受けても、親が介入し、短い時間でそのストレッサーが去ってしまうとすると、過活動であったHPAアクシスは、間もなく落ち着くことになります。何回もこのような体験をすると、もう少し成長したときに、クラスで悪口を言われる、いじめられる、教員に叱責されるといったストレス負荷に対し、乗り切る力を準備できていることになります。つまり短時間、比較的安全なストレッサーにさらされた人はストレス耐性を養う可能性があり、その後その回路を刺激するストレッサーにさらされても症状が出にくくなり、受け流したりやり過ごしたりすることができるようになります。

現代社会は子ども時代に安全な環境の中で兄弟げんかをしたり、守ってくれたりする人目がある中で近所の大人から𠮟責されるなどのストレッサーに対し比較的安全な環境を失いつつあります。家族は核家族化し、安全で清潔な環境の中で育つようになりました。私たちは蚊に刺されることもノミに食われることもなくなり、近所の大人に叱責されることや、電車の中で大声で怒られることもなくなりました。

しばしば子ども時代に深刻なストレッサー(トラウマ)を受けた場合について報道され、親たちは安全で清潔な環境を提供しようと努力しています。確かに子ども時代に深刻なストレッサーを受けた人は、ストレス回路が過活動になったままで、症状を呈さない潜伏期を持ち、その後のストレッサーに対し脆弱になります。幼少期に虐待を受けたり性加害を受けた子どもたちは後のPTSDの準備状態にあるといってもいいでしょう。もちろん、津波や戦争被害、性被害に遭った大人も、その後の人生で準備状態にあることは同様です。トラウマに遭いながらも発症しなかった人たちもまた、ストレス感作を受け、その後発症する確率は一般人口より多いでしょう。どの程度のストレッサーが心を強くし、どの程度のストレッサーがストレス感作となり、将来の脆弱性となるのか、われわれ一人一人は知らないのです。

遺伝子が弾を込め、環境が引き金を引くという、有名な言葉がありますが、私たちはいつ引き金が引かれるかを知らないで今を過ごしています。子ども時代に安全でささやかなストレッサーを積み上げ、いかなるストレッサーにさらされてもメンタル不調に陥らないようにしたいものですね。

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