2020

09/25

病院建築に「ファクターⅩ」を探せ

  • 病院建築

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服 部 敬 人
株式会社伊藤喜三郎建築研究所 執行役員 プリンシパルアーキテクト
一級建築士 認定登録医業経営コンサルタント

ドクターズプラザ2020年9月号掲載

病院建築(8)

日本国内の新型コロナウイルスの感染拡大が比較的に緩やかなのはどうしてなのか? 「ファクターX」と呼ばれているこの疑問は世界中から注目されています。日本人が罹患してきた感染症が似たような抗体を持っているとか、接種率の高いBCGが免疫力を向上することに関係しているとか、「ファクターX」には、いくつかの説があるようです。今回はこの「ファクターX」の話題を、医学の世界ではなく、ささやかながら建築の世界に求めてみました。もっとも、これからのお話しは、仮説の域を越えていませんので、くれぐれも、お気軽にお付き合いください。

日本の病院は“きれい”です

都心の病院から地方の病院、大きな病院から小さな病院まで、とにかく日本の病院は“きれい”です。これは先進国の病院と比べても、きれいさのレベルは高いのではないでしょうか。“きれい”というのは、清掃が行き届いているだけではなく、建物の機能・デザイン、使い方を含めて整理されているということです。これは、きれい好きで几帳面な日本人の性格と日本の建築技術力の成果でしょう。

また、皆保険制度により全国の病院が一律同等以上の基準により受診できること、つまり、診療報酬による施設基準の網がかかっていること、加えて建築基準法、医療法の基準により守られていることが大きく影響しています。例えば、アメリカの医療保障制度は、高齢者と障がい者を対象とする「メディケア」と、低所得者を対象とする「メディケイド」の2つのみ、他は民間保険しかありません。その結果、高級ホテル並みの病院が存在する一方で、医療設備の格差も激しく、国民全てに同じような医療を提供できる環境ではないのです。日本の病院を統計用語に例えると、偏差値は高く、標準偏差(ばらつきの大きさを表す数値)が小さいということになるでしょう。このことが、建築の「ファクターX」の一端であると思われ、病院を設計する立場から見ても、最低限の基準を確保した上、継続的な運営が期待できるのですから、“きれい”な病院を提案していくだけの意味があるというものです。

靴を脱いで生活する日本家屋

さて、日本特有の文化の中に「ファクターⅩ」を探すことができないでしょうか。話題になっているのは、靴を脱いで家に上がる生活様式が、ウイルスを家の中まで持ち込むことを減らしているという指摘です。さらに靴を脱ぐという行為が帰宅後の手洗いやうがいの励行につながっているのではないかと思えます。外出時にマスクの装着習慣があることも、靴を履く行為と同様に考えると説明がつくのではないでしょうか。

引戸の文化が病院建築に

私が注目した「ファクターⅩ」は引戸の文化です。元来、日本家屋の建具は扉ではなく引戸です。欧米は扉の文化であり、日本は引戸の文化なのです。これは、日本の気候、木造建築のつくり方に由来しています。日本の病院や福祉施設、特に病室をはじめ患者さんの通行、診療や搬送に有効な部分には、「吊下げ式引戸」を採用することが普通です。今でこそ当たり前になりましたが、この方式の引戸の採用は1970年代にさかのぼります。弊社の先輩設計者が、そば屋の玄関の引戸が錘の重力により自閉することからヒントを得て、メーカーと共同開発した製品が、日本初の、そして日本発の「病院の引戸」普及に貢献しました。まさに、伝統文化と技術の融合です。病院の引戸は世界標準になりつつありますが、これだけ普及しているのは、今現在日本だけでしょう。引戸は扉に比べて、開け閉めのスペースを気にすることがありません。これが最大の魅力です。また、開閉時に不意の衝突もなく安全ですし、開閉音も静かです。一方、気密性と遮音性は扉の方が高規格になりますので、そのような機能が必要な諸室では扉を採用することになります。

引戸が感染のリスクを減らす

それでは、なぜ引戸の文化、病院の引戸が、「ファクターⅩ」なのかを、解き明かしていきましょう。もとより、ウイルスや細菌など病原体の感染ルートは、①接触感染、②飛沫感染、③空気感染、とされています。

1つ目の接触感染を避けることは、「触らない」ことです。扉のノブは、しっかりつかんで回転しないと開閉できません。引戸の場合は取手を握らなくても、ちょっと触れるだけでも開閉できます。接触感染の代表格が扉のノブを介しての伝播なのです。

2つ目の飛沫感染を防ぐことは、「近づかない」ことです。引戸の場合は全開にしておくことや、ちょっと開けて見ることができるため、部屋に入る行動が少なくなるのではないかと想像します。また、人の気配を察知しやすいので、近づく頻度が少なくなるとも推察します。

3つ目の空気感染では、「よどまない」こと、つまり換気が重要です。日本の病院では、機械的に換気必要風量が確保されていますが、引戸の隙間や開放しやすい機構は換気には有効です。

いかがでしょうか。日本独特の柔軟な文化、引戸の文化が効を奏しているのです。このような吊下げ式引戸の採用が、「ファクターⅩ」の一つと認定してもよいのではないかと推理しています。少し強引でしょうか。まんざら、ハズレでもないように思えるのです。

 

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