2018

05/01

「本当に住民の役に立っているか?」を意識

  • 国際医療

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国立研究開発法人国立国際医療研究センター・国際医療協力局・運営企画部・保健医療開発課の平山隆則先生は、臨床や研究、厚生労働省での制度づくりを経て、国際協力の道に入った。昨年ザンビアの長期派遣から帰国した平山先生に、ザンビアの医療の状況やプロジェクトの内容、また仕事に対する考え方などを語っていただいた。

ドクターズプラザ2018年5月号掲載

海外で活躍する医療者たち(23)/国立国際医療研究センター

広いザンビアで、全ての人に医療を届ける

 

医師になりたくても、なれない人もいる

―平山先生は、どういうきっかけで医師を目指そうと思ったのですか。

平山 私は大阪出身ですが、高校時代は岡山県で一人暮らしをしながら、進学校に通っていました。たまたまテレビで、タイ北部の成績の良い女の子が、地域の期待を受けて医師になろうとするドキュメンタリー番組を見ました。世の中には、医師になりたくてもなれない人がいっぱいいるのに、自分は真面目に勉強すれば医師を目指せる場所にいる、と改めて思ったのがきっかけです。同時に海外で仕事をすることにも興味が湧きました。

―2007年にNCGMに入局するまで、どのような仕事をしてきましたか。

平山 大阪医科大学を卒業して、最初の研修では消化器外科を選びました。「国際協力をするなら感染症を学ぶといい」と勧められたこともあり、大学院では感染症に進み、2006年4月からは東京の国立感染症研究所で、デングウイルスの研究をしました。2006年12月には厚生労働省の結核感染症課に出向し、鳥インフルエンザ対策のガイドラインをゼロから作る仕事に携わりました。またNCGM入局後1年間も、結核の予防や医療などを定めた結核予防法が2007年3月末で廃止され、感染症法に統合されたことを受け、厚生労働省での仕事を併任し、結核に対応した制度を整備する仕事もしました。とてもいい経験をさせていただいたと思っています。

―NCGMでは、どのような国に派遣されましたか。

平山 長期では、最初は2008年10月〜2010年10月まで2年間のインドネシアで、「鳥インフルエンザ・サーベイランスシステム強化プロジェクト」のチーフアドバイザーとして派遣されました。インドネシアでは2005年7月に、鳥インフルエンザのヒトへの感染が確認され、その後も感染が続いていたため、世界に広がる前に封じ込める必要があったのです。次の長期派遣はザンビアの「ユニバーサルヘルスカバレッジ達成のための基礎的保健サービスマネジメント強化プロジェクト」で、2015年11月〜2017年11月までチーフアドバイザーを務めました。

ザンビアでの最初の国際協力はバイクの問題を解決すること!?

―ザンビアのプロジェクトの内容について教えてください。

平山 ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)とは、全ての人が質の高い基本的な医療を受けられるようにすることで、三つの大きな方向性があります。一つ目は住民・国民のカバレッジ、二つ目は疾患のカバレッジ、三つ目はファイナンシャルサポート、つまり医療を受けたことでその人の財政が破綻しないようにすることです。しかし、すぐにUHCを達成することはできませんから、まずは現状調査を行いました。

ザンビアでは、首都などの主要都市には公の大きな病院も民間病院もあり、州や郡にもそれぞれ州病院や郡病院はありますが、地方の村にあるのは保健センターです。ザンビアの地方は、日本では想像できないくらいどこに行くのも遠く、アクセスは大きな問題です。中には保健センターまで1〜2時間歩いて来る人もいますし、医療施設から別の医療施設まで、1日歩いても着かないようなところもあります。距離が遠いということは、医療機関同士のネットワークづくりも難しいのですが、対応できる疾患も増やさなければなりません。またザンビアの公共の病院では治療は基本的には無料ですが、レントゲンや各種検査などには個別に費用が掛かり、お金がないという理由で病院や検査に行かなくなってしまうという問題もあります。

―現状を把握した後は、どのような取り組みをしましたか。

平山 現地で一番強い要望は、バイクの問題でした。多くのバイクが放置されているので理由を尋ねると、「ちょっと壊れていて乗ることができない。自分たちではどうしようもないので、置いておく」というのです。アクセスの問題を解決するにも、足となるバイクを何とかしなければならないので、別の団体が手配している新しいバイクを効果的に使えるように、まず保健センターに配置することにしました。医療協力でバイクから……というのは、かなり意外でしたね。

またラボのネットワーク作りにも取り組みました。例えば、喀痰の検査は保健センターではできず、検査ができる郡中央の病院まで患者さん自身が行かなければなりません。しかし、そもそも患者さんはつらい状態なので、ほとんど行きません。これでは症状は悪くなるばかりですし、結核患者の数も把握できないので、せめて保健センターで検体を採取して、検査できる体制をつくりたいと考えました。保健センターから検査ができる中央の病院までは、遠いところだと車で4〜5時間かかります。そこで中継地点となるゾーナルヘルスセンターを設置し、そこのスタッフが各保健センターを回って検体を集め、まとめて持っていく仕組みを作りました。これを実現するにも、バイクは重要だったのです。

―疾患のカバレッジに関しては。

平山 診られる疾患を増やすために、研修システムを作りました。1週間などという単位で研修を受けていると、その間の医療が止まってしまいますから、郡病院が教えられる内容で、かつ半日×3回ぐらいで終わるような実践的なシステムにしました。また手術ができるような病院は、首都のルサカの他、第2、第3の都市であるリビングストンとカッパーベルトの3カ所しかなく、患者が集中してパンク状態になっていました。ちょうどJICAの取り組みで、ある程度の手術ができる一次病院をルサカに五つ造る計画があり、すでに二つはできていたので、ルサカにおける産科の搬送システムを整備しました。現在は簡単な手術はそちらの病院で対応するようにしています。

―ザンビアの医療従事者はどのような状況ですか。

平山 ルサカの大学病院にはそれなりの数の医師がいますが、午後になるとアルバイト先の民間病院に行ってしまいます。郡病院、州病院にも医師は数人いますが、保健センターにはいません。特に地方の医療従事者は少ないですね。医大や看護学校はありますが、国内に残るのは半数ぐらいです。現在は民間の医学部もできてきたので人数は増えていると思いますが、人数が増えると今度は質の管理が問題になりますね。現地の若い医師も知識は結構ありますし、海外に留学した人もいます。しかし若い優秀な医師が新しいことに取り組みたくても、誰が責任を持つのかといった組織的な体制ができていないとスタートすることができません。例えば心臓カテーテルも心臓カテーテル室もあって設備は整っていたのですが、緊急時の手術の体制ができていないので、結局設備を使うことができない。トータルでプログラムを作る必要があると強く感じました。

「行け」と言われたら断らない

―ザンビアではどのような生活をしていましたか。

平山 妻と3人の子どもと一緒に暮らしていました。最初はアパートを借りていたのですが、停電対策を全くしてくれないので、一軒家に引っ越しました。子どもたちはインターナショナルスクールに通いました。真ん中の息子は当時小学校2年生だったのに、空き状況の関係から4年生のクラスに入ってしまい、最初は相当苦労していましたね。3人とも柔道をしていて、大会に出るとうちの子どもたち以外は全員ザンビア人なので、うちの子が負けると「日本人を倒した!」と会場が大騒ぎになっていました。

子どもがひどい食中毒にかかった時などに、ルサカの民間病院に連れて行ったことがありますが、診察前に食券のようなものを買うのにはびっくりしましたね。例えば、診察とレントゲンを受けたいと思えば、先にそれぞれの券を買うのです。ですから現地の人たちは、症状より料金で何をしてもらうか決めているようでした。

―食事はどうでしたか。

平山 現地のベーシックな食事は、蒸しパンのようなシマと、焼いたチキンと、大根の葉を煮たものという3点セットです。肉は、チキン、ビーフのほかインパラや山羊も食べます。私は家では日本食を食べることが多く、最初はお米などは日本から持っていきました。現地の人は、シマが大好きです。日本に研修に同行してきた時には、乗り換えの南アフリカの空港で、飛行機に乗り遅れそうになりながら「最後のシマを食べる!」と言ってお腹いっぱい食べていました。

―先生は昨年11月に日本に戻られましたが、これからの計画は。

平山 どこかに行けと言われたら、行ける状況であればどこにでも行きたいですね。何らかの仕事を頼まれるということは、私の力を必要としてくれているということですから、自分がある程度できる状況で、時間の都合もつくのに断るのは、医者が目の前の患者さんを断るのと同じだと思うのです。そういう意味では、私にとって臨床を経験したことは大きな意義があったと思います。また一度は、日本の地方行政や保健所などで働いてみたいですね。結核研究所にいた時、地方行政に携わっている人たちとも一緒に仕事をしましたが、能力の高い方が多岐にわたる業務を行っている。国内でそういう方々と、住民の顔が見える距離で仕事をすることも勉強になると思います。

―では、仕事をする上で意識していることは。

平山 一つは、自分の仕事が本当に住民に役立っているのかということです。臨床医なら、医局のためではなく、患者さんのために治療するのと同じで、現地の行政の人のためではなく、その先にいる国民のことを考える。理想と現実は違うのでバランスは必要ですが、時にはカウンターパートに嫌われるようなことを言うのも役割だと思います。もう一つは、常識になっているこ
とも一度疑ってみたり、別の角度から見たりすることです。日本では当たり前のことや、世界的に常識になっていることも、もしかするとこの国では通用しないかもしれないし、疑ってみることで突破口が見つかるかもしれません。面倒なヤツと思われるかもしれませんが、そういう視点も重要なのではないかなと思っています。

 

■今年度から医師だけでなく、看護師などの海外で活躍する医療者を掲載していきます。

ザンビア共和国

●面積/752.61千㎢(日本の約2倍)
●人口/1,659万人(2016年:世銀)
●首都/ルサカ 海抜1,272m
●民族/73部族 トンガ系,ニャンジァ系,ベンバ系,ルンダ系
●言語/英語(公用語),ベンバ語,ニャンジァ語,トンガ語
●宗教/8割近くはキリスト教,その他 イスラム教,ヒンドゥー教,伝統宗教
(平成30年1月22日時点/外務省ホームページより)

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