2020

09/19

人生の岐路でどう選択するか その4

  • 診療日誌

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灰本 元
医療法人芍薬会 灰本クリニック 院長

ドクターズプラザ2020年9月号

診療日誌(7)

40代に種をまく

医師としての歳月を振り返ってみると、25歳までは社会や人とつながるための仕込み期間、開業の38歳までは医学や医療の仕込み期間、そして本格的な人生は40歳から始まった。仕込み期間に土壌を耕し40代に種をまく。私は実にさまざまな種をまいた。開業時には職員教育、漢方、がん発見の3種類だったが、45歳までに臨床心理と高血圧、50歳までに糖質制限食による糖尿病治療とCTによる肺がん、エコーによる膵がんの診断。臨床経験を積むたびに課題が増えていったのだ。これらの種はすべて50〜60代に結実した。その礎となった40代にいくつもの課題を俎上に載せられたのはなぜだろうか。

開業直後から、私は勤務医時代にはなかった孤独を身に染みて感じていた。一緒に学習し相談もできるし愚痴もこぼせる、そんな仲間はいないしスタッフは女性ばかり。医師会員は同僚でもライバルでもあって微妙な人間関係にある。開業医とは本当に孤独なのだ。漢方の勉強はもっと孤独だった。私は現代中国医学に準じて生薬を使っていたが、東海地方にその使い手はいなかった。中国語の原書で独学しながら患者へ処方し、その学習量は人生で最も多かったと思う。しかし、一人の経験と学習では限界があり、それを突破するには仲間をつくって症例経験を集積するしかなかった。

開業1年後(1992年)、私が代表となり百合会(びゃくごうかい)が発足した。東海地方3県の開業医で真面目に漢方に取り組んでいる医師や薬剤師がおよそ10人集まった。百合とは“ゆりの根”の生薬名で体を潤す働きがあり、百回会おうという期待も込められていた。彼らは医局とは縁遠く権威主義でもなく教科書よりも患者の反応を信じる人たちで、私の生き方と共通点が多かった。症例検討、講義、傷寒論や金匱要略(きんきようりゃく)の抄読を月1回開催し、毎年合宿も積み重ねて全員で実力を磨いていった。

「風邪の初期に背中に寒気が走ると鼻水が出て喉が痛くなる」。「朝からまったく外気に触れてないのに診療が忙しくなる午前11時ごろ突然に顔面が火照り、鼻汁がぽたぽたと止めどなく出る」。いずれも私の症状だが、このような患者さんは多数存在する。既存の漢方や西洋医学はその理由を答えることは不可能だが、百合会が取り組んできた経方医学はこの疑問に答えられた。「雨前日に頭痛が起こるが降り始めるころに止まる」。この頭痛に五苓散が効くことは広く知られるようになったが、これは25年前に私たちが多変量解析を使ってオッズ比16という極めて高い有効性を証明したからである。多変量解析の導入は漢方史上初めての試みだった。きっかけは、早朝晴れていても自宅から見える煙突の煙が西にたなびくと夜から雨になる。その午前に頭痛の患者が多いことに気付いたからだ。その後、私たちは多変量解析を使って舌証、腹証、処方の有効性など漢方の常識をいくつも書き換えていった。私は複数の生薬を組み合わせた処方薬ではなく生薬一味の効能に強くこだわり、その量を増減しつつ効能を確かめていった。このこだわりが生薬の黄耆(おうぎ)が血清クレアチニンを著しく下げる発見につながり、慢性腎不全の患者に朗報となった。

西洋医学でも漢方でも治らない患者は多々いる。煎じ薬を使った漢方治療をできる医師は全国的に少ないので、開業当時からそれに一縷の望みをかけた重症のアトピー性皮膚炎患者がたくさん来院した。全身の皮膚が真っ赤にただれ浸出液や落屑が著しくまるで重症の火傷を見るようで、とても学校や仕事へ行ける状態ではなかった。私は毎日毎日その治療に苦しみ、夜寝られない日々が続いた。試行錯誤の末、発赤と浸出液を短期間に抑えられる生薬の組み合わせにたどり着いたのは数年後だった。

ところが、そのような多くの患者を長く診ていると”心の病‶としか思えない患者に数多く出会った。ストレス、不安、鬱、適応障害、人格障害、発達障害などの診断名で片付けるにはあまりに彼らの心の闇は深かった。その中心はアレキシサイミア(失感情症)で、目を背けたくなるほど皮膚がただれていても患者は自分のつらさを語れなかった。人格とは何か、この闇が育つのはどんな生育歴か。それを何とか理解したいという思いから45歳の時、カウンセリングを勉強しようと思い立ち、月3回京都で指導を受けることから始めた。とは言うものの、その会得は予想をはるかに超え、針のむしろの修行となった。患者の人格を知る前に己の人格と向き合わなければならなかったからだ。

幾年か過ぎるころ、アトピーの顔面や全身の真っ赤は人間関係の不条理に怒る仁王像であり患者の怒りの表現と気が付いた。内科の患者さんにもさまざまな人格があって難題が降り掛かると心理的な問題が発生する場合がある。カウンセリングは特別な治療法ではなく、家族や友人の病死、自殺、嫁姑関係、母子の共依存、職場や学校の人間関係、いじめ、末期がんなど人生や社会のどこにでも必要であった。そして、心の闇を知る術はカウンセラーの支援を受けながら緩やかに私の診療に浸透し、同時に私の人生も歳を重ねるごとに豊かになっていった。

あのとき、カウンセリングという内科医にとってまれな選択は正しかったと思う。孤独ゆえに仲間をつくり、それを通じて鍛えた漢方に新しい発見が生まれ、そして漢方からカウンセリングという身体医学とは別世界の種をまいた。私の40代はそういう時代だった。

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