2024

11/05

「最後はどうしますか?」と聞かれても……。

  • 緩和ケア

小田浩之(おだ こうじ)
日本緩和医療学会緩和医療専門医。日本緩和医療学会代議員・日本死の臨床研究会代議員。
一級建築士、技術士(都市計画)の資格を持つ異色の緩和ケア医。現在は緩和ケア病棟(設計)の研究のため、東京都立大学大学院都市環境科学研究科建築学域に在籍中。

「緩和ケア」の現状と課題(2)

患者さんとの意思疎通が難しくなる前に意思確認を

最近、緩和ケアの現場を飛び交っている言葉に「ACP」(アドバンス・ケア・プランニング)があります。アドバンスとは「将来の」という意味で、「病気が進行して意思疎通が難しくなる前に、希望する(または望まない)将来の医療やケアを話し合っておく」という取り組みのことです。

「人生の最終段階における意思決定」をあらかじめ確認する――これがたやすいことではないことは言うまでもありません。そもそも一体いつ話を切り出せばいいのでしょう。病気が見つかったばかりの患者さんにそんな話をしたら縁起が悪いと思われるに決まっています。いざ治療が始まれば患者さんも家族の方々も治療効果に期待して、こんな話題は避けたいと思うでしょう。病状が安定している時、死が遠のいたような気に患者さんがなるのは普通にあることで、この状況をひっくり返すのはやはりためらわれます。そして治療が奏効せず病気が進みつつある時に、もっと事態が悪くなった時の話を切り出すのも、患者さんの気持ちを察すればそう簡単ではありません。

しかし、終末期がんのような重い病気を抱える患者さんの状態は、往々にして急変します。ついこの前まで元気だったのに、こんなはずじゃなかった……医療がここまで進歩しても、私たちの人生は、最後に「運」としか言いようのない展開に振り回わされがちです。そして医療者は、侵襲的な(本人が苦痛に感じるような)治療を続けた方がいいのかどうかを患者さん本人に確認できないという困った事態に追い込まれます。

これらの事情を踏まえ、「命を脅かす病」を扱う現場では、前述したようなやりにくい状況の中でも、言葉を選び、患者や家族らのつらさに寄り添いながらACPを通じて事前に患者さんの意思を確認することが進められているのです。

文化の違いに対応した「日本版ACP」

ただし「最後はどうしますか」と聞いても、患者さんがこう答えることは少なくありません。

「そんなこと私に聞かずに、家族に相談してください」

ACPは元々米国で生まれたもので、「自分のことは自分で決める」という欧米人の価値観、そして公民権運動その他の個人の権利擁護に関する長い歴史が背景にあります。自分の最後を自己決定するために、事前指示書という書面を作成するなどをしてきましたが、そういう準備はいざという時に役に立たないことが多く、書面ではなくて医療者の事前に打ち合わせをするシステムが発展しました。それが今のACPです。ちなみに米国では1990年に、人生の最終段階の治療方針に患者本人の意思を反映させるための「患者の自己決定法」という法律まで成立しています。

一方、日本の文化・習慣は米国のそれとは大きく違います。個人主義とは逆の、家族が中心になった意思決定の方が馴染みやすく、また、言葉にしなくても相手に気持ちが伝わる「ハイコンテクスト」なコミュニケーションが根付いています。従って直輸入されたACPには違和感を持つ医療者も多く、表面的な手続きにとどまり、患者さんの本当の思いを引き出すまでには至らないケースも多いようです。

そこで2022年に「日本版ACP」(注1)という考え方が発表されました。日本の文化・習慣に適したACPのあり方と、これを実践するための指針を取りまとめたものです。この中で医療者には、家族の思いが強く反映されがちな意思決定にあって、患者さん本人の意思が尊重されるように関与していくことや、自分の意見を言葉にすることの難しい人たちに対して、彼らの思いを最大限くみ取る努力を行うことなどが求められています。今後はこの規範に基づく取り組みが徐々に広がりを見せるものと思います。

命の尊厳を守る

医療者が心しておくべきことがあります。以前「人生会議」という言葉を使ったポスターを厚生労働省が作成したところ批判が殺到し、一日で配布を取りやめたことがありました。批判の多くは、人生の最後の場面を「ちゃかす」内容へのブーイングでしたが、一部の識者から、何が何でも「人生会議」すなわちACPを普及させようという政府の姿勢をいぶかしむ発言もありました。ACPを使って終末期患者を医療の中止へ誘導する、つまり医療費削減の道具としてACPが利用されるのではないかという懸念です(実は米国でもACPが普及した理由のもう一つは、個人が負担しなければならない終末期医療費の高騰を抑制することでした)。「本人の意に沿わない延命はしない」という御旗が「命を守らないことへの忌避感」を薄めるようであってはいけません。医者が患者さんや家族よりも先に勝手に諦めて「もうお歳ですから」のひと言をかけてしまうのは、どんなに医学的な根拠があろうとも、あるまじき態度です。

医療者は命の尊厳の番人であり続け、その礎の上で、患者さんから目をそらさずに「最後はどうしますか」と尋ねたいものです。

注1:J. Miyashita et al., J Pain Symptom Manage. 2022 Dec;64(6):602-613
https://acp-japan.org/に日本語版の解説があります。

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