2026

09/07

緩和ケアが医学的に望ましくないとき

  • 緩和ケア

小田浩之(おだ こうじ)
日本緩和医療学会緩和医療専門医。日本緩和医療学会代議員・日本死の臨床研究会代議員。
一級建築士、技術士(都市計画)の資格を持つ異色の緩和ケア医。現在は緩和ケア病棟(設計)の研究のため、東京都立大学大学院都市環境科学研究科建築学域に在籍中。

「緩和ケア」の現状と課題(13)

今回は、人生の最終段階における点滴・食事について事例を2つ紹介し、緩和ケアの在り方を考えてみます。

ケース①;終末期に点滴を希望された患者さん

「先生、点滴してくれませんか」

あるお宅に訪問診療に伺った時、患者さんにこう頼まれました。元々スポーツマンだった方ですが、消化器がんの末期で食事量が減り、倦怠感が増していました。

「以前、病院で点滴してもらった時、スーッと楽になったことがあるんです。だから今、点滴してもらったら、また良くなるんじゃないかなと思って」

彼の訴えは、私の前では遠慮がちな物言いでしたが、その背後に切実な思いがあるのは明らかでした。

がんの終末期のその患者さんは両足が浮腫み、腹水もたまっているようでした。るい痩が進みいわゆる悪液質を来していて、栄養を点滴しても体調が回復するようには見えません。水分を点滴すれば浮腫を悪くするばかりか、場合によっては痰が増え、苦しさが一層増すかもしれません。医学的には点滴の適応はないと言って良いでしょう。

しかし、「医学的にこれこれこういう理由で点滴はできません」と申し出を断ることが、患者さんを救うようには思われませんでした。彼の苦痛は体のつらさだけではないように見えたのです。元々外来通院しておられた時から、スポーツで鍛えた筋肉がどんどん細くなっていくことに危機感を募らせていた患者さんです。訪問診療に伺ったときも、この前までトイレまで歩いて行けたのに、ベッドから出るのすら人の手を借りなければならなくなった、と嘆いておられました。 また、ご家族の気持ちも心配でした。「先生の言うことに従います」とおっしゃるのですが、よくよく聞けば「本人の気持ちを大切にしたい」との思いが伝わってきます。

■結局、この患者さんとご家族には、身体的には水分は足りており、必要エネルギーも健常時に比べると少なくなっていることをお話しするとともに、(訪問時に缶コーヒーを数口飲めたこともあり)氷片でもアイスでも、口から摂取できるものを小分けにして摂るのがよいことをお伝えした上で、本人の気持ちが変わらない場合のために、ごく少量の(つらさを助長しない程度の)点滴の準備を訪問看護師に指示しました。

ケース②;認知症を患う患者さんの食事

前述の例では、患者さんの気持ちに沿って対応しました。では、もし患者さんが認知症で気持ちを推し量ることが難しかったらどうでしょう。

「日本死の臨床研究会」をご存知でしょうか。1977年に設立され、半世紀にわたり医療、倫理、宗教その他の幅広い立場から死の臨床現場における “真の援助の道”を研究してきた、緩和ケアの老舗の団体です。その地方支部で先日、研究会の名物企画である「事例検討」が行われました。「事例検討」とは、“死の臨床”の現場で困った場面に遭遇した医療者や市民が事例を提示し、多職種の参加者が意見交換を行い、患者さんやご家族への援助のあり方を考えるワークショップです。事例提示者はその時の苦労が癒され、参加者は経験を共有し、新たな知見を得ることができます。

この「事例検討」で提示されたのは、がんではなく認知症の患者でした。以前はグループホームに入居していましたが、病状が進行し、看護師の経験のあるご家族が自宅に連れて帰り、提示者が訪問診療を行いました。診療開始後しばらくは落ち着いていましたが、やがて幻覚や妄想、介護拒否などの症状が出現し、食事量が減少し、転倒を契機に寝たきりになりました。提示者は、医学的には食事の介助方法や料理形態の調整で体調の改善も可能と考えましたが、代理意思決定者のご家族は「嫌がることはしない」「食べたいと言わない時にはあえて食事を食べさせない」と積極的な介入を受け入れず、やがて最期を迎えました。患者さんは静かに息を引き取り、ご家族も満足そうだったのですが、提示者としては代理意思決定について違和感が残り、これで良かったのか検討を依頼されたのでした。

■一般に緩和ケアと言えば、多職種のチーム医療によって最善策を検討することが推奨されます。ご家族がチーム医療を受け入れれば違う展開があったかもしれません。しかしこの事例では、元看護師としての自負なのか、提示者以外の介入をご家族は受け入れませんでした。さらには、チームで関わっても、本人の意思が明らかになるものではありません。「事例検討」では結論はでませんでしたが、提示者が最後まで粘り強くご家族との信頼関係を維持されていたことについて一定の評価がありました。

大事なことは医学的・合理的なことばかりではない

人生の最終段階の栄養・水分補給については、成書を読めば、身体状態や残された時間に応じて制限すべきことが多く、また、その方針は多職種で検討することが望ましいとされています。しかし、これに従ったからといって患者さんやご家族に良い結果がもたらされるとは限りません。

大切なのは、医学的に望ましくないから何もしない、本人や家族が望むからそのまま行う、という両極端に陥らないことでしょう。患者さんの命と尊厳を守りながら、ご家族の願いにも応えられる方法を粘り強く探す。人生の最終段階の緩和ケアには、そんな柔軟さが求められるのではないかと思います。

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