2026

03/05

どうしようもない最期に―鎮静について

  • 緩和ケア

小田浩之(おだ こうじ)
日本緩和医療学会緩和医療専門医。日本緩和医療学会代議員・日本死の臨床研究会代議員。
一級建築士、技術士(都市計画)の資格を持つ異色の緩和ケア医。現在は緩和ケア病棟(設計)の研究のため、東京都立大学大学院都市環境科学研究科建築学域に在籍中。

最後は眠るように

「先生、もう、眠らせてください」

がんの肺転移が一気に進んで、シューと音が出るくらいにマスクから酸素を流しても血中の酸素濃度が上がらなくなった患者さんが私に頼み込みました。点滴を絞ることやステロイドを投与することは既に行われました。モルヒネや抗不安薬を使うことは息苦しさを和らげる効果があるものとして知られていますが、これももう効きません。

すぐに病棟スタッフや薬剤師など緩和ケアチームメンバーで相談しました。病状から、残された時間が何日もあるものではないことは一致した意見でした。患者さんのご家族も、もう楽にしてあげてほしい、と、抗えない事態を受け入れていました。

そこで、命を縮めるのではなく苦痛を和らげることを目的にミダゾラムという鎮静薬を使うことをチームで合意し、薬を用意して患者さんのところに戻りました。

「先生、ありがとう」

患者さんは苦しさの中でもしっかりと私の手を握りました。「また明日」とは言えない今生の別れに、まごつくのはむしろ私たちの方でした。

少しずつ鎮静薬の注射が始まり、ご家族が見守る中、患者さんは静かに眠り始めました。少し呼吸が大きく、ゆっくりとなり、眉間のしわが和らいだように見えました。

呼吸が止まったのは、その数時間後でした。

鎮静とは

緩和医療の進歩には著しいものがありますが、がん患者さんの中には、終末期にどうしても改善できない苦痛を抱える方がまだまだおられます。このとき、鎮静薬を使って苦痛を緩和することを緩和医療の分野では鎮静と言います。施設によってばらつきが大きいですが、平均すればがん患者の約2割が鎮静を受けているようです。

鎮静は、残された時間を安楽に過ごしてもらうことを目的に行うのであって、命を縮めようとするものではありません。鎮静を行っても生命予後は短縮しないとする論文がいくつもあります。

しかし、よく見かける「鎮静は安楽死ではない」という一文は誤解を与える表現です。鎮静による副作用でもし生存期間が短くなれば、それは法学上「間接的安楽死」に当たりますし、例えば上記の例で使用されたミダゾラムは血圧低下の作用を持つものです。がんの浸潤で気管が針の穴のように狭くなってしまっている場合に鎮静を行うことを躊躇するのは、医療者としておかしいことではありません。既出論文も、多数の症例を統計分析しているのであって、鎮静が命を縮めた事例の有無を伝えてはいません。

鎮静は「全く命を縮めないから行う」のではなく、「生命予後とQOL(生活の質)を鑑みた場合に苦痛を和らげることに価値があり、できるだけ安全な方法を選んで実施する」という行為であることは理解しておく必要があります。

鎮静を必要とする事態と覚悟

鎮静を行って意識が下がれば、患者さんとご家族は意思疎通が図れなくなります。何か用事があった時に鎮静を中断することも(苦痛がぶり返すのですから)一般には行われません。鎮静は患者さんとご家族のお別れを人為的に設定する行為です。ですから鎮静を行う場合には、その重さをご家族にお伝えしなければなりません。

実は、学会の見解では、鎮静を行う要件にご家族の同意は盛り込まれていません。倫理的に見て、ご家族の意向よりも患者さんの苦痛を緩和し尊厳ある時間を確保することが優先される――。簡単に言えばこういう理屈なのですが、だからと言ってご家族の反対を押し切って鎮静を開始することが良いのではありません。大事なのはインフォームドコンセントです。病状とこれに伴う患者さんの苦痛、そして鎮静を行わざるを得ないタイミングであることを丁寧にお伝えする必要があります。

鎮静を開始する際、医療者は、ご家族の事態の理解と覚悟に注力すべきところです。

鎮静の対象となる症状

鎮静患者に一番多く見られる症状はせん妄(脳腫瘍や認知症などとは別の、身体症状や薬物などによる意識障害)で、その後に呼吸器症状、痛みなどが続きます。鎮痛薬などが進歩し、痛みで鎮静を要する症例は少なくなりました。痛みがひどい場合、鎮静の前にやれることがないか、一度立ち止まってみることが大事かもしれません。

困難な身体症状を伴わずに、精神的な苦痛だけがある場合は、鎮静の対象とはされていません。「気持ちがつらいので寝かせてほしい」という訴えはよくありますが、まず行うのは鎮静薬の持続投与ではなく、傾聴や寄り添い、向精神薬投与など精神腫瘍学的なアプローチです。

どうして精神的なつらさは対象とならないのか? これには本人の主観による病状の評価の困難さや、これを対象とすることでの現場の混乱が考えられます。しかし、例えばスピリチュアルペイン(実存的な苦痛)に苛まれる患者をそのままにしておいて良いかと言われれば、そうとも言えません。この点はまだ学会でも議論が熟していないのです。従って、精神的な苦痛が精神腫瘍学的に対応できず倫理的にも放置できない場合、時間を区切った鎮静(間欠的鎮静)の繰り返しなどにより対処されることはあると思います。

(注1)本稿には薬剤の保険適応外使用の記載がありますが、これを推奨するものではありません。
(注2)本稿では下記の手引きを参考としました。
「がん患者の治療抵抗性の苦痛と鎮静に関する基本的な考え方の手引き 2023年版」日本緩和医療学会ガイドライン統括委員会編集 金原出版(株)発行

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