2025

06/09

適応障害以上? PTSD未満?

  • メンタルヘルス

西松 能子
博士(医学)、大阪医科大学医学部卒業後、公徳会佐藤病院精神科医長、日本医科大学附属千葉北総病院神経科部長、コーネル大学医学部ウェストチェスター部門客員教授を経て、立正大学心理学部名誉教授、現在あいクリニック神田にて臨床を行う。

よしこ先生のメンタルヘルス(76)

難しい因果関係の診断

昨今、セクシュアルハラスメント被害、パワーハラスメント被害について報道されることが多くなりました。ご存じのとおり、某キー局は今なおこの問題で揺れ、スポンサー収入を絶たれています。

この1カ月で、実は意見書を3通発行しました。1つは学校でのいじめに端を発した症状について、1つは職場のパワーハラスメントによる症状、今1つは職場のセクシュアルハラスメントによる症状についてでした。いずれも初診時に不登校や出社困難を呈しており、不登校や出社困難を説明する診断書でした。ご存じのとおり、メンタルヘルスに関わる科では、初診時に診断書をすぐに発行することは、決して多くはありません。しかし、不登校、不出社という明らかな回避行動の理由を説明する診断書を、個人の側からも組織の側からも必要とされていましたので、診断書を出さざるを得ませんでした。メンタルヘルスに関わる科では、患者さんの訴えをナラティブに傾聴し、結果として合理的な診断に落とし込む数回の面接や検査が診断のためには必要とされるので、初診時の1回だけの面接で診断することは少ないと言っていいでしょう。しかし、もう既に心因(あるいはトラウマ)が生じた場から何日も、場合によっては何カ月も回避している状況で多くの方は受診します。何らかのお墨付きを必要として、やっとの思いで診察室に現れたことを勘案すると、診断書を初診当日に発行せざるを得ない場合があります。

学校でのいじめや、職場でのいじめは、かつては学校や職場に事実自体を否定されたり、あるいは「いじめられる側にも問題がある」とされることがしばしばありました。しかし現在は、保護者や労働組合が弁護士に依頼し、学校や職場に環境改善を求めるようになりました。その経過の中で、保護者や本人、あるいは弁護士から診断書を求められます。今ここで立ち現れた抑うつ状態であったり、不安状態であったり、学校や会社に行けない状態などの背景にいじめなり、パワーハラスメントがある、という診断書を求められるのです。しかし、目の前にいる医者は、学校のことも職場のことも知りません。患者さん以外の学校や職場の他の方に会うこともありません。いわば、ここに現れた患者さんの症状から、原因を推定しなさいと言われていると考えると、極めて曖昧模糊として難しいということが容易に推定されるでしょう。因果関係を求める2つの診断名、適応障害とPTSDの診断が求められることになります。しかし、どこまでが遊びで、どこからがいじめでしょうか。どこまでが指導で、どこからがパワーハラスメントでしょうか。

時代とともに変わるハラスメントの判断基準⁉

「セクシュアルハラスメントの事例なら分かりやすいのではないか」と思われるかもしれません。しかし性的な行動においても、一方は合意だと主張し、一方は強要だと主張することは、決して珍しくないことです。その上、性的な接触には、文化も関与します。今や会社は国際社会です。日本発の会社でも、社内公用語が英語の会社が増えています。南米出身の上司が、挨拶のつもりでチークキスを部下にした場合、儒教圏で育った人の中には、ひどく嫌悪し、セクシュアルハラスメントと感じる人もいるかもしれません。

実際、性的な関係性については10年前とは様変わりで、昔のような職場での恋愛結婚はめっきり少なくなりました。性的なアプローチを職場ですることは、極めて危険な要素をはらむようになりました。「ちょっと飲みに行こうか」と安易には誘いかねると診断書を書くたびに思うようになりました。

初診で適応障害なりPTSD症状なりで診断書を発行すると、何カ月か後には弁護士から意見書を求められ、休日を数日かけて、何ページかの意見書を作成することになります。作成した後、種明かしのように、○○先生には断られました、××先生にはうちでは意見書は書かないと言われましたと例外なく伝えられます。医師法第19条2項(診断書発行の義務)は有名無実ということでしょうか。いやはや。「セクハラ」も「パワハラ」もなかった昭和の学校や職場は平和だったのでしょうか。それとも危険なジャングルだったのでしょうか。これからの時代のメンタルヘルスの立ち位置を考えさせられることの多い昨今です。

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