2022

08/05

~モンゴルの卒後研修強化プロジェクトの成果~

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国立研究開発法人国立国際医療研究センター(NCGM)・国際医療協力局人材開発部研修課長・井上信明先生が興味を持って取り組んでいる分野は、保健人材開発と小児救急。モンゴルの医師の教育の仕組みを強化するプロジェクトに、チーフアドバイザーとして派遣され、2021年6月に帰国した。現在、国内外の医療者の育成に携わっている井上先生に、プロジェクトでの活動や成果、日本の小児救急医の育成に向けた取り組みなどを伺った。

海外で活躍する医療者たち(36)

研修病院の基準、カリキュラムを整備し、モデル地区での実践へ

地域医療の質の向上を目指した3つのプロジェクト

――「モンゴル国一次及び二次レベル医療従事者のための卒後研修強化プロジェクト」とは、どのような目的で行われたのですか。

井上 医師の卒後研修を一定の質が担保されたものにすることで、地域医療の質の向上に貢献することを目指したものです。2015年5月から2020年12月末までのプロジェクトで、私は2017年6月に着任しました。

このプロジェクトには3つの柱があります。1つ目は、卒業後の医師が適切な研修を受けられるようにするための法令の整備と、それを実施するための保健省の能力強化、2つ目は、現場で研修を実施できるようにするための指導者の育成とカリキュラムの整備、3つ目は、モデル地区で臨床研修を実施するための病院の中の制度づくりや人材育成です。

――それぞれの柱について、具体的にはどのような活動が実施されたのでしょう。

井上 1つ目の柱については、研修病院の認定基準の作成、その基準に基づいて研修が行われているかモニタリングするための評価基準の整備や評価者の育成などを行いました。前任者の先生が非常にご尽力くださったので、私の着任から数カ月後の2017年10月には、臨床研修病院の基準が制定されました。

2つ目の柱については、指導医を育成する研修を開発し、さらにその研修を指導する人(コアファシリテーター)を育成しました。また定期的に講習会を実施するために、保健省の予算に盛り込んでもらえるよう働き掛けたりしました。

標準化されたカリキュラムを作るに当たっては、保健省の方、中央のウランバートルの病院の先生方、地域で仕事をしている先生方、医大の先生方に集まっていただいて、20回以上ミーティングを繰り返し、国民のニーズに応えるだけでなく、全てのステークホルダーの声が反映されるようにしました。2017年9月から約8カ月かけて完成させたカリキュラムは、2018年5月、卒後臨床研修の標準カリキュラムとして、保健省に承認していただくことができました。

モンゴル国に貢献したモンゴル人医師に贈られる勲章を授与した時の写真。向かって左から、ナランツゥーヤ保健開発センター長、アマルジャルガル事務次官、一番右がモンゴル国保健省サランゲレル保健大臣。

――1つ目の成果として臨床研修病院の基準ができ、2つ目の成果としてカリキュラムの準備が整ったことになりますね。

井上 はい。3つ目の柱は、これらに基づいたモデル地区への展開です。モデル地区は、首都のウランバートルから北西400㎞ぐらいの位置にあるオルホン県で、2018年10月から地域の指導医による研修を行うことが決まっていました。

それに先立ち2018年4月、オルホン県にわれわれのサテライトオフィスを設置していただき、密なコミュニケーションが取れる体制をつくりました。次に、日本の例を提示して、臨床研修をするための研修管理委員会という組織を作り、研修医を育成するために必要なさまざまな決め事について、定期的に協議していただきました。

一方、研修を行う先生方からは、指導者講習は受けたものの実際に指導をしたことがなく、不安が大きいという声が寄せられていました。そのため、JICAの本邦研修(日本に招いて研修を受けていただく仕組み)を活用し、2018年6月に先生方をお連れして日本の研修病院を視察しました。日本の指導医が指導している様子や、研修医が主体的に学んでいる姿を見ていただいたところ、大きな気付きがあったようで「指導医は、何でもできて、あらゆる疑問に答えられる人と思っていたが、研修医に寄り添って、研修医の学びを促しながら、患者さんにより良い医療を提供するために共に学ぶ立場だということが分かった」と帰国後に話してくださいました。これをきっかけに、不安から「自分たちにもできるかもしれない」というマインドに変わりました。

モンゴルに戻ってから、オルホンの先生方は、教育に詳しいモンゴル国内の先生をオルホンに招いて、指導の仕方、フィードバックのかけ方など、自主的な勉強会を始めました。あんなに不安を抱えていた人たちが、自分たちもできるという感覚を持ったことで能動的に動きだしたことに驚きました。その結果、2018年10月に、モンゴルで初めてとなる、地域での臨床研修を開始することができました。これが3つ目の柱の活動と成果です。

総合診療研修初年度の卒業式

異なる文化やコロナ禍に対応しながらの活動

――素晴らしい成果を得られた活動ですが、進めるに当たっては大変だったこともあると思います。

井上 そうですね、役職者の異動が頻繁にあり、そのたびに後戻りすることも多かったのは大変でした。モンゴルの省庁関係者が10名以上本邦研修に行っていましたが、最初から最後まで残っていたのは1~2名だけでした。

またモンゴル人の気質に慣れるまで、時間がかかりましたね。モンゴルの人たちは、長期的な計画を立てることは得意ではありませんが、一旦始めると手を抜くことなく仕事をします。成果を出すまでの期間を3週間ぐらいに設定して、役割と目的をしっかり説明すると、ほれぼれするくらいガッツリ取り組んで仕上げてくださいました。

時間の感覚も私たち日本人とは違っていて、「10時に始める」と言ったら、10時に家を出るような感じ。会議を時間通りに始めるのは難しかったです。オルホン県の研修管理委員会も最初はそんな状態だったのですが、続けていくうちに会議が始まる前に全員が着席しているようになり、感激しました。「自分たちで自分たちの地域に貢献する医師を育てる」という認識が高まったのかもしれません。

――プロジェクトの間にはコロナ禍もありましたが、モンゴルではどのような状態でしたか。

井上 中国の武漢で最初に発症が確認されたのは2019年12月といわれていますが、モンゴルは、2020年の1月末ぐらいには中国との国境を封鎖しました。日本との行き来も2020年の2月にできなくなりました。ちょうど私は日本に一時帰国していたので、モンゴルに戻るためにロシアを経由しなければなりませんでした。

モンゴル国内でのコロナ発症の一例目はフランス人技術者で、確認された数時間後にはその県が封鎖されました。こういう迅速で厳しい措置は、感染管理という観点では良い方向に働き、一例目以降8カ月間は、国外から入国した人以外に感染者は出ませんでした。

ただ、プロジェクトに関わっている私たち専門家は滞在し続けることができましたが、家族は強制退避で日本に帰国することになりました。

モンゴルで初めて市中感染が確認されたのは、2020年11月末のことです。その後は一気に広がり、2021年1~3月はウランバートル市内の各地がロックダウンされてしまいました。予定していた日本の専門家が来られないなどの影響はありましたが、幸いなことにその年の12月までのプロジェクトでしたが、すでに成果指標も達成できていたので、大きな影響なくプロジェクトを終えることができました。

――このモンゴルのプロジェクトは、2021年1月から第2フェーズが始まっていますね。

井上 はい。第2フェーズは「医師及び看護師の卒後研修強化プロジェクト」で、2024年12月末まで行われます。第1フェーズで医師を対象に取り組んだように、第2フェーズでは看護師、助産師の卒後研修の強化がメインテーマです。また、医師の研修を全国に展開していくこと、そのカリキュラムを自分たちで改善していける仕組みを作ることも柱になっています。

私は、第2フェーズの最初の半年間、現地で仕事をし、2021年6月に帰国しました。

モンゴルでの経験を、日本の小児救急カリキュラムにも

――モンゴルでの仕事を土台に、日本の小児救急のカリキュラム開発もされたそうですね。

井上 はい。日本の先生方とワーキンググループをつくり、モンゴルのカリキュラム開発のプロセスを完全に踏襲して、ニーズのヒアリングや、いろいろな立場の人たちの声が反映されるよう合意形成を繰り返しながら、1年ほどかけて作りました。モンゴル派遣中の2019~2020年にかけて取り組んでいたので、その間は、昼間はモンゴルのプロジェクトの仕事をし、夜は日本の小児救急の仕事をするという感じでした。

――小児救急とは、子どもを対象とした救急ということですか。

井上 小児科の先生は、小児“内科”ですから通常外傷は苦手ですが、小児救急の医師はあらゆるお子さんの初期診療を行います。子どもであれば、熱でも腹痛でも、けがでも、どんな状況でも受け入れ、評価し、初期治療をした上で、必要があれば専門の先生につなぎます。

例えば熱が出たとしても、ほとんどの場合はいわゆる風邪で、それほど心配ありません。ただほんのわずか、命に関わる病気の可能性があります。小児救急医は、まず命に関わる病気を考え、そうでないことを全て確認した上で、「これらの病気ではないので、大丈夫」と伝えるのです。保護者の方々に、根拠のある安心、安全を提供するということは、私のモットーでもあります。

また外傷の原因として、使用していた製品側の問題が考えられる場合は、調査をして、企業や業界団体などに働き掛けることもあります。つまり、子どもたちの声を社会につなげる活動もしています。

――小児救急医は、あまりなじみがないような気がします。

井上 日本では、小児救急はまだ専門性があまり認められていない分野ですが、これから成長できる余地があると思っています。何よりも、アジアの国々で小児救急が専門分野として確立されつつあり、今後は日本だけでなくアジア各国の小児救急医の育成も必要となってくると考えています。

――最後に、医療を学ぶ学生たちにメッセージをいただけますか。

井上 私は大学を卒業した後、自分が何者になれるか、何をしたらいいのか分からない時期がありました。ただ国際保健は、医師になろうと思ったきっかけでもあり、何となく自分の1つの軸だと思っていました。そこに到達し、最善のものを提供するために、必要なことは、あらゆることを試したというのが自分のキャリアかなと思います。

例えば小児救急に進んだのは、開発途上国で子どもたちに必要な医療を提供するには、救急の知識が必要だったから。でも当時の日本には小児救急を学べる場所がなかったので、最善の小児救急医療を提供できるようになるためにアメリカに渡りました。アメリカの研修でも、自分がやりたいことのために必要だと思ったことは何でもやりました。今の私にとって大事な要素は、国際協力、人材育成、地域医療ですが、この3つを貫いているのが小児救急です。小児救急は私のキャリアの軸として大切にしたいですね。

思い描いた通りの道筋はなかなか歩けません。でもやってきたチャンスをつかむためには、今、目の前にあることに100%投入して備えておくことが重要なのだと思います。その備えが、気付けばすごく役立っている。私も振り返ってみると、いろいろなことが今につながっているし、生かされています。

 

*2017年5月15日号 モンゴルへの2年間の赴任を目前に控えた井上先生にお話を伺っています。

海外で活躍する医師たち(17)「小児救急の専門を活かし、モンゴルの医師育成をサポート」(リンク)

 

■モンゴル国

  • 面積/156万4,100平方キロメートル(日本の約4倍)
  • 人口/340万9,939人(2021年、モンゴル国家統計局(以下「NSO」))
  • 首都/ウランバートル(人口163万9,172人)(2021年、NSO)
  • 民族/モンゴル人(全体の95%)およびカザフ人など
  • 言語/モンゴル語(国家公用語)、カザフ語
  • 宗教/チベット仏教など(社会主義時代は衰退していたが民主化(1990年前半)以降に復活。1992年2月の新憲法は信教の自由を保障。)

(令和4年4月5日時点/外務省ホームページより)

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