2017

05/15

小児救急の専門を活かし、モンゴルの医師育成をサポート

  • 国際医療

  • 海外

国際医療協力局人材開発部・研修課 井上 信明氏

井上信明先生が国立国際医療研究センターに入ったのは2016年7月。専門である小児救急、また2
0年間の臨床や人材育成の経験とノウハウを活かし、「これからは途上国における医療従事者の育成にも役立てるのでは」という。数回の短期派遣を経て、モンゴルへの2年間の赴任を目前に控えた井上先生に、お話を伺った。

ドクターズプラザ2017年5月号掲載

海外で活躍する医師たち(17)/国立国際医療研究センター

信じる道に全力で取り組むと、キャリアは後から付いてくる

小児科と救急の知識と技術を持つ小児救急医

―井上先生の専門である小児救急は、小児科や救急とはどのように違うのでしょうか。

井上 小児救急医は、小児科と救急の両方の知識と技術を持つ医師です。日本ではまだ専門性があまり認められていない分野で、小児救急に相当する仕事は、小児科の先生が対応していることが多いです。しかし海外では、子どもへの投薬や検査の有効性やリスクの研究も進んでいます。そういった根拠と、診察から得られる情報をもとに、われわれ小児救急医は、その子に投薬が必要なのか、検査は必要なのか、必要ならば結果として何を期待するのかなどを議論し、本当に必要なものを必要なだけ提供します。投薬や検査が必要ないと判断したならば、その理由を親御さんに丁寧に説明してご理解いただきます。

―小児科医が対応することが多いとのことですが、小児科というと内科的なイメージです。

井上 小児科医は、主に内因性の疾患を専門としていますが、小児救急は外傷の子どもをたくさん診ることも特徴です。以前勤務していた都立小児総合医療センターでも、外傷が約2割を占めていました。子どもの場合、救急車を呼んでも受け入れ先がなかなか見つからないケースの大多数は外傷ですが、小児救急医はあらゆる初期診療ができるので、どんな状態の子どもでも受け入れることができます。例えば骨折で曲がってしまった部分を正常な位置に戻す整復も行いますし、将来への影響が懸念される顔の怪我の縫合は、十分なトレーニングを積んだ小児救急医が行います。子どもと話したり、場合によっては眠らせてあげたりして、不安や恐怖、痛みを与えずに治療することができます。また子どもの病気や怪我は、親御さんが学び、成長する機会でもあります。自宅での対応方法や予防方法などについてアドバイスし、子どもたちが親や地域の大人たちに見守られながら育っていく環境づくりをサポートすることも、われわれの重要な役割です。

―では小児救急医という仕事の魅力は。

井上 アメリカで全専門医を対象に行われたアンケートによると、医師としての満足度や誇りが最も高かったのは小児救急医でした。その理由の一つは、自分たちが子どもたちのために社会を変えていく過程を経験しているからではないかと思います。例えばチャイルドシートを義務付けるには、州の法律を変えなければなりません。そのために彼らは、チャイルドシートがない場合の怪我の重症度などのデータを集め、州議会に提案して法律を変えてきました。子どもたちのために社会を変えることは、すごくやりがいがあると思います。

これは、日本や途上国で小児救急を展開するためにも大事な要素です。社会に声を上げられない子どもたちのために、自分たちが代弁者となって良いシステムを作っていくことができるのは、小児救急医の魅力の一つだと思います。小児救急の専門医は、それほど多くいる必要はないと思いますが、全くいないのも困ります。日本は小児救急に関してまだ発展途上ですが、地域の中に小児救急に対応できる病院が必ずあるという状態にしていけたらいいと思っています。

小児救急を極め、原点である国際保健へ

―井上先生はなぜ小児救急医を目指したのですか。

井上 もともとは、国際保健の仕事をしたくて医師を目指しました。医学部卒業後、最初の4年間は総合診療を、5年目からは小児科の研修を受けました。中でも小児救急を極めたいと思うようになり、7年目からアメリカに渡って小児科と小児救急の研修を6年半、その後オーストラリアで1年、計7年半のトレーニングを積みました。アメリカでは研修と並行して、公衆衛生の大学院にも通いました。研修後は途上国に行くことも考えましたが、日本の小児救急も、人材も診療の環境も整っていませんでしたし、自分を育ててくれた日本に貢献したいという思いもあって2010年に帰国し、その年の3月に開院した都立小児総合医療センターで、小児救急部門の立ち上げに携わりました。

―2016年7月に国際医療研究センター(NCGM)に入られましたが、原点である国際保健の仕事に就いたことになりますね。

井上 そうですね。2015年のネパール地震の時、JICAの国際緊急援助隊に登録していた私はネパールで支援に当たり、自分が医師を目指した出発点を再認識しました。同時に、国の再建や保健システムの再構築など、もっと長いスパンで関わりたいという思いも持ちました。ちょうど都立小児総合医療センターの小児救急部門も育ち、安定した時期でしたので、国際保健の仕事に移ることにしたのです。

―NCGMでの仕事は。

井上 今まで私が20年間の臨床で積み上げてきたものが最も活かせるのは、人材育成の分野だろうと考えています。小児救急部門立ち上げの6年間では、臨床をしながら、小児救急や小児科の研修カリキュラムも作ってきました。人材育成のためのコンテンツ作りの経験と、私自身がアメリカやオーストラリアで学び、体験したことは、途上国における医療従事者の育成にも役立てるのではないかと思っています。

熱意のあるモンゴルの医師との仕事はやりがいがある

―モンゴルに2年間の予定で赴任されるそうですが、プロジェクトのテーマは。

井上 医師育成システムの強化をテーマとする、トータル5年間のJICAプロジェクトで、私は3年目から加わることになります。モンゴルは、人口約300万人の国で、人口に対する医師数は日本より多いのですが、都市部と地方では大きな格差があります。対策として国は、大学を卒業した医師をそのまま地方に派遣する政策を取っていました。2年の派遣期間を終了すると、研修を受けることができますが、研修は自費であるため経済的な余裕がなければ受けられません。研修を受けずにそのまま診療を続けている先生方もいますし、研修の内容も改善の余地が多いのが現状です。またモンゴルの制度では、医師免許は5年毎に更新しなければなりませんが、更新のための研修も課題が指摘されています。こういった現状を改善しようという国の取り組みをサポートするプロジェクトです。

―具体的には、どのような支援を実施しているのですか。

井上 大きく三つの軸で活動しています。一つは、卒業後にまず全員が必ず研修を受けられ、かつ研修期間中は給与が支給されるような制度を構築することです。今まではウランバートルの高次医療施設だけで研修を行ってきましたが、全ての人が研修を受けるとなると、研修病院を増やさなければなりません。そこでプロジェクトでは、研修病院を認定するための規定や、研修病院として機能しているかを評価し、評価結果を次に活かすサイクルなどの制度を作る支援をしています。

二つ目は、研修を提供する指導者の育成を支援しています。これまで複数の日本の専門家が現地で活動しており、その取り組みによって、モンゴルの方たちが自分たちで指導者育成コースを実施できるレベルまであと少しのところまで来ていると聞いています。今後は、実施するコースを増やしていくことと、育った人たちが情報交換やスキルアップできるような組織をつくり、将来的には日本との交流も密にしていくことができればと、考えています。

三つ目は、医師の生涯教育に関わる、医師免許更新の研修内容を拡充させることです。現在は救急と小児救急、感染症などについてはコンテンツが作られており、救急に関してはすでに自分たちでコースを実施できるようになっています。今後は現在の研修を展開しつつ、もう少し内容を充実させること、また研修を実施、管理する機能をウランバートルだけでなく、モデル県である地方でも強化出来るよう支援する予定です。

―モンゴルの医師の方々はどのような印象ですか。

井上 皆さんポテンシャルが高く、熱意を持っています。自分たちで国の医療を良くしたいという気持ちを持つ人たちとの仕事は、私たちにとってもやりがいがありますね。モンゴルの医師の国家試験の合格率は5〜6割だと聞いています。医学部に入っても医師になれる人は限られています。そのためか、医師になった方々はとても優秀で、理解力も高いです。さらに新たな視点を加えたり、枠組みを整備したりすることで、皆さんもっと素晴らしいドクターになられると思います。

―モンゴルでの日常生活は。

井上 肉食がメインで、野菜は日本と比べて圧倒的に少ないです。味付けは非常にシンプルで、塩味が基本です。街には車が多く、特に日本の中古車が目立ちます。車に乗っていても馬に乗っているような感じで、車線変更も大胆にされています。あの運転は日本人にはできないなと思いますね。

私は都市部と、ウランバートルから450〜500キロに位置する街しか行ったことがありませんが、生活の不便は感じませんでした。ただ問題は激寒であること。ウランバートルは世界で一番寒い首都のようで、年間平均気温はマイナス2度、冬場はマイナス35度にもなります。室内は暖かいですが、屋外に10分もいると身の危険を感じます。暖を取るために石炭を焚くので大気汚染がひどく、冬は煙っているように見えます。また非常に親日国です。東日本大震災の時には世界中が日本を支援してくれましたが、モンゴルの支援額は世界10位で、対GDP比ではダントツ。公務員は全員1日分の給料を差し出してくれたそうです。

―これまでの経験を振り返って、また国際保健の仕事について、どのように考えていますか。

井上 私は結果的にすごく遠回りをして、国際保健の仕事に就きましたが、それぞれのターニングポイントでは、その時最善と思う選択をしてきたつもりです。小児救急という本当に面白い分野に出会い、東京の病院で一つの部門を作るというチャンスをいただき、また今回もこういう職場を与えていただいたことに、とても感謝しています。これまでも、全て全力投球で取り組むという気持ちでいましたし、今もそういう気持ちです。

これから医師を目指す方、若い先生方に伝えたいことがあるとすれば、自分の信じる道を精一杯頑張ることですね。キャリアはどんなにデザインしてもその通りになるとは限りません。むしろ自分が正しいと思う道を、自分の心に偽りなく全力で取り組むと、キャリアは後から付いてくるのではないかと思います。

モンゴル国

●面積/156万4,100平方キロメートル(日本の約4倍)
●人口/306万1,000人(2015年,モンゴル国家登記・統計庁(以下「NRSO」))
●首都/ウランバートル(人口134万5,500人) (2015年,NRSO)
●民族/モンゴル人(全体の95%)およびカザフ人など
●言語/モンゴル語(国家公用語),カザフ語
●宗教/チベット仏教など(社会主義時代は衰退していたが民主化(1990年)以降に復活。1992年2月の新憲法は信教の自由を保障。)
(平成28年8月4日時点/外務省ホームページより)

フォントサイズ-+=