2025
12/15
難しい意思決定の多い国際保健。哲学の視点も重要!
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国際医療
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海外
~目標への道は、高速道路でなく下道で~
海外で活躍する医療者たち(46)
人間に興味があるから感染症を専門に
――なぜ医師になろうと思ったのですか。
河内 両親が旅行好きで、子どものころから海外旅行に連れて行ってもらっていました。小さい頃は、それほど興味がなかったのですが中学生頃になると、海外を飛び回る仕事に憧れを抱くようになりました。当時は外交官のようなイメージを持っていましたが、高校生の時、WHO(世界保健機関)で働く医師のテレビ番組(特集)を見ました。こういう国際機関で働くこともできるのだなと思い、医学部に進むことにしました。
――“海外で働く職業”としての医師だったのですね。では、なぜ専門に感染症を選んだのですか。
河内 2014年、筑波大学医学群医学類を卒業後は、山口県下関市の国立病院機構関門医療センターで初期研修を受けました。後期研修に進むに当たって専門を決める時期になり、周りの同級生は自分が好きな臓器を専門にしようと考えていました。でも臓器は、突き詰めていくと遺伝子レベルの話になり、遺伝子になるとアルファベットと数字で表されてしまう。それじゃ人間じゃないなと感じ、一つひとつの臓器にあまり興味を持てませんでした。そこで感染症を専門にしようと考えたのです。おそらく私は、人間に興味があるのだと思います。
研修の時に、抗生剤を使うことが楽しいと感じたことも理由の1つです。抗生剤は、それぞれの患者さんと病気に対して、どれをどう使うかを戦略的に考えます。その抗生剤が効くと、まるで魔法のようにドンドン改善していく。治るということをすごく実感できるのです。
――後期研修はいかがでしたか。
河内 2016年から東京都立駒込病院感染症科で後期研修を受けました。臓器に興味を持てなくて感染症を選んだのですが、それが大誤算で、全ての臓器について勉強しなければなりませんでした(笑)。感染症は、あらゆる臓器で起こりますからね。
ただ、感染症の広がりは、政治や経済、文化などの社会的背景と切り離して考えることはできない、という新たな視点にも気付かされました。
――感染症と社会的背景のつながりとは。
河内 例えばHIVについては、かつては偏見がありましたよね。偏見があると、自分は身に覚えがあるからHIVの可能性があると思っても、言い出せなくなってしまう。その結果、診断が遅れて重症化してしまうという状況を、何度も見てきました。
また結核は、ホームレスの方が集まっているエリアや、いわゆるドヤ街のようなところで広がる傾向があります。そこまで支援が届いていないという現実も、目の当たりにしました。
――2022年にキングスカレッジロンドンの国際保健学修士課程に進学されたそうですが、どのようなことを学ぶコースなのでしょうか。
河内 国際保健のさまざまな課題や社会の不平等について、政治・外交・経済・法律・社会学・哲学・人類学などの文系的な学問からアプローチするというコースです。社会全体を俯瞰して物事を捉えたいと思っていたので、とても興味をひかれて進学したのですが、哲学など日本語でも理解に苦しむような内容を英語で学ぶのには、とても苦労しました。
苦労はしましたが、国際保健の課題や在り方を考える上で、哲学などの視点も組み込んでさまざまな角度から議論することは、とても意味のあることだと思います。哲学や倫理は実用的な学問ではないので軽視されがちですが、私は今後、重要になる分野だと思っています。
――国際保健の議論に哲学が重要ということについて、もう少し具体的に聞かせてください。
河内 例えば、コロナのワクチンをどこから配るか。日本の場合は、医療者に配り、次に高齢者、次に若い人たちと配りましたよね。これは、道徳性で判断するカントの義務論的な考え方だと思います。
対立するものとして「最大多数の最大幸福」を追求するベンサムの功利主義があります。幸福と不幸の量で判断するという考え方で、これに則れば、ワクチンを真っ先に配るのは経済活動の中核を成す年齢層ということになるでしょう。
絶対的な正解がない中で意思決定しなければならないことは多々ありますが、先人の哲学なども含めて、幅広く考えて決めていくのは重要なことだと思っています。

留学中の同級生達とロンドンにて
国際保健は、相手国の政治・文化など学ぶことが山のようにある
――国際医療協力局の入局の動機とこれまでの活動について聞かせてください。
河内 国際医療協力局は国際保健の上流から下流までを俯瞰して見たり、さまざまなレベルで経験したりできる職場だと思い、入局を決めました。
人材開発部・研修課に所属して半年の間に、WHOの国際会議に参加し、またコンゴ民主共和国での感染症サーベイランスシステム強化プロジェクトにも携わりました。
――コンゴ民主共和国のプロジェクトは、どのようなものだったのですか。
河内 感染症サーベイランスとは、感染症の広がりを見張る仕組みのことです。コンゴ民主共和国はそういう仕組みが不十分なので、システムの構築をお手伝いするといった仕事でした。
日本では、例えばインフルエンザがどこでどれくらい発生しているか、今後どのくらい増えそうかが分かりますよね。それは、検査の体制が整備されていて、きちんと診断できる医師がいて、それを情報共有する連絡体制がある。そして、データが蓄積されているからです。
コンゴ民主共和国は、こういった仕組みが不十分なだけでなく、地方の村などには医療機関が遠くて行けない、洪水などでたどり着けないという人たちもいます。病気に対する知識が末端まで浸透していないので、何か症状が出ても見過ごされてしまいます。データも蓄積されていませんから、アラートを出すこともできません。
一方で、われわれの活動においては、村長や村の有力者といった村人から信頼されている方々との関係を築きながら、伝統や考えを否定することなく、丁寧に対話を重ねることも重要です。
――現在、所属している保健医療開発課では、どのような業務を行っているのですか。
河内 保健医療開発課には、大きく3つの仕事があります。
1つは、技術協力です。特にアジア地域の国(カンボジアやラオスなど)を担当しており、保健医療の仕組みづくりをサポートしています。例えば、感染症対策や看護師の教育制度を整えるプロジェクトなどです。
2つ目は、研究の推進です。国際保健に関する研究を進めるため、研究費の管理や倫理のチェック、局員の論文発表の支援などを行っています。
3つ目は、政策支援です。世界の保健医療に関する重要な会議(WHOやグローバルファンドなど)で、日本が示す方針を決めるに当たり、専門家として情報を整理し、コメントを出すなどして、日本政府の発言をサポートしています。また、感染症対策や医療制度の国際的なガイドラインを作る場で、技術的な助言をし、世界の保健に関するルール作りにも関わっています。
現在、私は主にこの政策支援を担当しています。

世界保健総会で発言する様子
――国際保健の仕事に携わっていて、どういうところが楽しいですか。
河内 今の仕事も、コンゴ民主共和国の仕事もそうですが、政治の状況や相手国の文化などを知った上で仕事をしていくので、学ぶことは山のようにあります。新しいことを学びながら仕事をするのは、刺激的でとても楽しいですね。
“正しいか”より“楽しいか”
――これまでを振り返って、転機になったこと、影響を受けたことがあれば聞かせてください。
河内 学生時代に1年間休学して、バックパッカーで世界を回っていたことがあります。それまでの興味はずっと世界に向いていたのですが、世界を回っていると日本って良い国だなと感じました。それからは、日本って何だろう? 日本人って何だろう? などと考えるようになり、日本に深く興味を持つようになりました。これが1つの転機になっていると思います。
旅の経験は、いろいろなところで役立っていると思います。例えば、現地について勉強したこと。私の旅の仕方は、観光客というより地域にドップリ浸かるというスタイルだったので、現地の文化などについていろいろと勉強しました。そのおかげで、今も派遣先の国で仕事以外の話ができて、人間関係を構築しやすくしていると思います。
またコンゴ民主共和国では、お湯どころか水も出ないようなところに泊まることもありましたが、私は1~2日ぐらいは苦になりませんでした。これもバックパッカー経験のおかげです。
もう1つの転機となったのは、イギリスでの経験ですね。日本では、大学の学部を卒業した後はそこで勉強したことを基に専門性を極めていくというようなイメージですが、イギリスではもっと生き方や考え方が自由で、ある学問を勉強していて他の学問に興味が湧いたから大学院は違う学問を勉強してみようとか、この分野とあの分野の学問を組み合わせて研究してみようなど、日本に比較して考え方がとても柔軟な感じがしました。これらの経験は国際医療協力局で仕事をする際に役立っていると思います。

現地活動はなるべく現地語で行うと雰囲気も和やかに
――将来やってみたいとことはありますか。
河内 自分のキャリア形成は、目標を定めて目指す山登りタイプというより、どちらかというと、その時々で面白そうなところに飛び込む波乗りタイプです。なので“将来やってみたいこと”と聞かれても答えに悩んでしまいます(笑)。
――最後に、国際保健の仕事を考えている人、目指している人にアドバイスをお願いします。
河内 1つは、何か迷った時には、正しいか、正しくないかよりも、楽しいか、楽しくないかで決めた方が、うまくいくことが多いのではないかということです。正しいか、正しくないかで選んでしまうと、その後他人に正しさを押し付けてしまったり、最悪の場合は対立を生んだりすることもあるので、もちろんその時の状況にもよってケースバイケースですが、なるべく自分が楽しいなと思える道を選ぶと良いと思います。
もう1つは、最短ルートで目標に行かなくてもいい、ということです。これは昔、人から言われたことで、自分も大切にしていることです。目標地点まで高速道路で行けば確かに早いですが、周りの景色はじっくり見られない。下道で景色を楽しみながら、地元で評判の食堂や、職人こだわりの工房などなど、良いお店を見つけたり違う世界の面白い人達と話して、自分の引き出しを増やしながら行くと、同じ目標についたとしても違うと。ですから、キャリアについてもあまり焦らず、医学以外のことも勉強しながら進んでいく方が良いのではないかなと思います。

ロンドン留学中に力を入れたウイスキー研究