2026

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緩和ケア病棟のキッチン

  • 緩和ケア

小田浩之(おだ こうじ)
日本緩和医療学会緩和医療専門医。日本緩和医療学会代議員・日本死の臨床研究会代議員。
一級建築士、技術士(都市計画)の資格を持つ異色の緩和ケア医。現在は緩和ケア病棟(設計)の研究のため、東京都立大学大学院都市環境科学研究科建築学域に在籍中。

「緩和ケア」の現状と課題(9)

もし読者の皆さまに入院した経験がおありでしたらお伺いします。その病棟にはキッチンはありましたか? 食堂ではなくて、料理ができる場所のことです。

緩和ケア病棟にはどこの病棟にもキッチンがあります。キッチンは緩和ケア病棟を特色づける設備の一つです。

キッチンの使われ方

私が人生で一番おいしいキャラメルマキアートをいただいたのは、大阪にある淀川キリスト教病院の緩和ケア病棟です。もう15年も前になります。病院に見学に伺った日の午後、病院のボランティアさんがキッチンでキャラメルマキアートを作って、患者さんやお見舞いのご家族だけではなく、病棟のスタッフにもサービスしていました。その濃厚な味わいと言ったら! 口の中を転がしながら、飲み込んでしまうのが惜しい、そんなマキアートに皆さんは出会ったことがありますでしょうか。スタッフも「コーヒーチェーン店のとは違いますやろ」と、みんなニコニコ顔でした。

テイクアウトを持ち込むのではなくその場の淹れたては、ボランティアさんの気持ちと腕が加わって、何か違う化学変化が起きるのかもしれません。

以前、私が病棟でたこ焼きを作って患者さんに届けたエピソードを紹介しました (2025/3/7公開「『したい』をささえる」)。緩和ケア病棟のイベントで、病棟専従医が料理を作って振る舞うというのは恒例の出し物と言ってもいいかもしれません。普段は偉そうにしているお医者さんが汗だくになってキッチンに立つ姿は微笑ましいですが、逆にそういう「期待」を裏切る凄腕のお医者さんもたくさんおられます。

そして、そういうお医者さんたちと、その他の病棟スタッフやボランティアさんたちが一緒になって、談話スペースに手作りの料理を並べます。病棟によっては談話室の中に、アイランド型のキッチンが舞台のように設けられていて、調理そのものがイベントになるところもあります。キッチンは、緩和ケア病棟を楽しくするイベントの舞台装置の一つでもあります。

キッチンの常備品―患者さんの「食べる」を支えるもの

緩和ケア病棟のキッチンの常備品を紹介しましょう。どこのキッチンにも冷凍冷蔵庫と電子レンジは必ずあります。オーブントースターと湯沸かしポットも大体あります。そして、それに匹敵するくらいの確率で置いてあるのが、実はかき氷器なのです。

がんの病状が進むと、食事を取ることが難しくなってきます。食欲が出ない、味がしない(患者さんによっては「砂を食むようだ」と表現される)、口に何かをちょっと入れるだけでむかむかする……患者さんの多くは、食事をしなければ体が弱っていくという危機感に苛まれて、無理をしてでも食べようとされます。しかし病魔には勝てません。そして体重はドンドンと減っていきます。

これには患者さん本人だけではなく、ご家族も気が気ではありません。ついつい「もっと食べなければ元気にならないよ」とか「あともう一口食べなさい」とか、「応援」をしたくなります。しかし、患者さんは食べたくても食べられないのですから、「応援」は患者さんを苦しめるばかりのことが多いとされています。そして医者や看護師から、そういうことは言わない方がいいと忠告され、ご家族はがっかりしてしまいます。

やれることは、それでも食べられるものを探すことです。そこで出てくる一つの例がかき氷。水を飲むのさえ大変な患者さんでも、氷片は摂取できることがあります。かき氷で命がつながるかと言ったら、その効果はごくわずかでしょう。けれども、かき氷を通して、患者さんは「食べる」ことができます。ご家族は「食べた」患者さんを見ることができます。そこにはほんのちょっと、「食べられた」喜びが生まれます。

家族の役割を生み出すキッチン

ご家族が、患者さんのために料理を作り、一緒に卓を囲んで食事をする―新型コロナウイルス感染症(COVID-19)流行後の面会制限の影響がいまだに尾を引いていて、こういう光景は、緩和ケア病棟ではほとんど見かけなくなってしまったのですが、これは病棟にキッチンがあってこそできるものです。そして、家族との団欒と、本人の嗜好にあった「いつもの味」の提供は、ご家族にしかできないことです。

患者さんが弱りゆくなか、「応援」も許されず何も手出しができないご家族に、ご家族にしかできない役割を用意する。キッチンはそういうものでもあります。

いつか、緩和ケア病棟を家族が自由に行き交う日が戻り、キッチンがまた賑やかに利用されるのが楽しみです。

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