2025

08/07

精神医学の診断名には流行り廃りがある?

  • メンタルヘルス

西松 能子
博士(医学)、大阪医科大学医学部卒業後、公徳会佐藤病院精神科医長、日本医科大学附属千葉北総病院神経科部長、コーネル大学医学部ウェストチェスター部門客員教授を経て、立正大学心理学部名誉教授、現在あいクリニック神田にて臨床を行う。

よしこ先生のメンタルヘルス(77)

診断名の歴史は苦闘の歴史

すっかりボーダーラインパーソナリティ障害という診断名がなされることは少なくなりました。しかし、かつてボーダーラインだとされた行動上の課題、特定の治療者に愛着し、些細な行き違いから「裏切られた」「信用ならない」「もうこの病院には来ない」などと病棟や外来で大騒ぎになるケースがなくなったわけではありません。

昨日も「誰にも言っていないことを先生に伝えたいのだ」と予約外で受診された方がいらっしゃいました。件の方の訴えは、ソーシャルゲーム内で親密な関係にあったパートナーから、突然「彼女にバレた」と別れを告げられたという失恋についてでした。それから眠れず、日中も落ち着かず、死にたい気持ちが続いていると訴えました。その方は既婚者ですが、リアルでは挙児のため以外の性関係はなく、それまでは自慰行為も嫌悪しておりました。しかし、ソーシャルゲームの中で知り合ったパートナーとは、豊かな性的な関係を持つことができ、その世界が現実のように思われ、朝起きたらそのパートナーに「おはよう」と言い、一日をソーシャルゲームのパートナーに合わせて暮らすようになりました。別離後の失意は深く、朝起きられず、臥床し日常生活が全く送れなくなりました。子どもの送迎もできず、死んでしまいたい気持ちで、リストカットを繰り返すようになりました。夫がパートナーとの関係性を壊したように思い込みはじめました。

ひと昔前でしたら、現実検討力の低下と衝動性の欠如、情緒の不安定さがあり、自己像や情動の不安定さ、内的な選択が不明瞭で、しばしば分断と投影性同一視によって特徴づけられるパーソナリティとされ、境界型パーソナリティ障害と診断されたでしょう。しかし、その方の現在の診断名は、自閉症スペクトラム症(注意欠如多動性障害を伴う)とされております。

精神科の診断名は、衝動のコントルールが悪く、人の気持ちが感じ取れない行動化の人の診断名は、ボーダーラインパーソナリティ障害から、自閉症スペクトラム症や注意欠陥多動性障害にすっかり移行した様子です。

精神医学の診断名の歴史は、俯瞰すると実は「どうしたらよりその患者さんを治療できるのか」という苦闘の歴史とも理解できます。画期的な治療法が出現すれば、病像をその治療によって治療できるように理解(=治療できる診断名に当てはめる)し、実際に治療していきます。クロルプロマジンが1952年に出現した後は、ほとんどの精神運動不穏がクロルプロマジンで治療できる病名、統合失調症と了解され、実際に多くの人がそれによって改善しました。抗うつ剤が1950年代に出現すると、病名は統合失調症とうつ病圏の病名になり、画期的な新薬が出現しない1970~90年までの米国では、精神分析的アプローチが主流となり、サリヴァン、カーンバーグ、マスターソンらによって、境界性パーソナリティ障害や自己愛性パーソナリティ障害として治療されてきました。その後、1990年代から非定型抗精神病薬の出現とともに、再び薬物療法の時代が主流となりました。

私の精神科医としての臨床歴は、最初は精神病の時代でした。しかし偶然、指導医がリエゾン精神医学の領域の医師であったため、統合失調症以外を診る多くのチャンスに恵まれました。留学先はコーネル大学ホワイトプレイン部門で、気鋭の分析医カーンバーグ先生が指導医となり、精神分析的療法に触れる機会が多く、解離転換性障害や作為性障害を中心に身体化の臨床と研究を行ってきました。当時はその病理の基底にパーソナリティ障害が存在するという仮説でしたが、現在は情緒の発達障害の可能性が高いと考えられています。

私の勤務している診療所は、かつては人格障害の治療のできる診療所であり、今は発達障害の検査と治療の可能な診療所です。どうやら、精神医学の診断名は、流行り廃りではなく、その時点で治療できる病名にシフトすると考えた方がぴったりしそうです。全ての精神科領域の病名が治療可能になりますように。

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