2025
01/08
患者よ、余命と闘うな!
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緩和ケア
日本緩和医療学会緩和医療専門医。日本緩和医療学会代議員・日本死の臨床研究会代議員。
一級建築士、技術士(都市計画)の資格を持つ異色の緩和ケア医。現在は緩和ケア病棟(設計)の研究のため、東京都立大学大学院都市環境科学研究科建築学域に在籍中。
「緩和ケア」の現状と課題(3)
「あなたの余命は、大体3カ月といったところでしょうか」。もし医師からこう告げられたら、あなたはこれをどう解釈されるでしょうか。
患者さんによっては「あと3カ月しか生きられないのか……」と、残り時間のカウントダウンをお始めになります。あるいは「まだ3カ月はありそうだから」と、ずっと先の旅行プランをお立てになるご家族もおられます。
最近は「余命」の伝え方として、具体的な日数を一つ示すのではなくて、幅を持たせて伝えるとか、一定期間生きられる確率を示すとか、そういう緩和ケアのスキルが広まりつつあります。しかし、頭の中が真っ白になっている患者さんやご家族の中には、どんな風にそれが伝えられても、具体的な日数だけが「余命」として記憶に残ってしまう方も多いように思います。
伝えられた「予後」とは中央値のこと
医者がもし具体的な日数を「余命」として告げるとすれば、それは、病状の類似する患者さんたちの、残された生存期間のおおよその中央値のことです。中央値というのは、言うまでもなくその集団の特徴を示す代表値ではありますが、果たしてこの値に、どれほどの信頼性があるでしょうか。
私は、主治医から余命を伝えられてシュンとしている患者さんを目の前にしたとき、卑近な例でかえって誤解を招くかもしれないが、と前置きをした上で、サイコロの話をすることがあります。
「サイコロの目の出方は1から6まで。中央値は3と4の間、つまり3.5です。じゃあ、そのサイコロは3とか4が出やすいのでしょうか?」
もちろん答えは×です。1も6も、3や4と同じ確率で出ます。医者が「余命」を伝えるロジックは、この「サイコロの中央値は3.5」と伝えていることと同じです。「どんな目が出そうですか?」という問いに3.5と答えても、誤解を生むばかりで真意は伝わりません。
がん終末期の「余命」に関する限り、中央値は個々の値を言い当ててはいない
「サイコロは出る目がバラバラだからそうなのだろうけれども、がん終末期患者の余命はもっと中央値の近くに集中していて、より確からしく予測しているのではないか?」。
賢明な読者の皆さまにおかれては、こんな疑問を持たれるかもしれません。しかし、臨床の現場にいると、「余命」すなわち中央値どおりに命を終える患者さんが必ずしも多くはないことを日常的に実感します。
これは緩和医療学ではなくて建築計画の論文(注)として報告したのですが、がん終末期の患者さんが過ごされる緩和ケア病棟で、入院患者の亡くなるまでの期間の分布を(後からカルテで振り返って)調べてみたところ、その分布はきれいな指数曲線を示し、がん終末期患者の命の残り時間は、決して中央値周辺に集中せず、短い人から長い人まで、幅広く分布していました。これは多くの緩和ケア病棟に共通で、かつ、いろいろながんの種類ごとに分けて集計しても同じ結果でした。
つまり、もし医者が「余命」を告げても、その数字は、そんなこともあり得るけれど、そうでないことも十分にあり得る数字でしかない。すなわち、あなたの命の長さを言い当ててはいないのです。
ちなみに余計な話として理解してほしいのですが、指数曲線というのは、正規分布と違って平均値は中央値の√2倍になります。これはどういうことを意味しているか分かりますか? 医者がもし正確に患者の中央値を言い当てているとしたら、その患者の生存期間の期待値は、実はその中央値の1.4倍あるということなのです。
もっともこれには、医者が正確に中央値を把握できるかどうかという医学会の長年の懸案が背景にあるので、今日のところはあくまで余計な話と思っていてください。
「余命」を知って、どう行動するか
そんな不確かな「余命」を告げられても、と思われるかもしれません。しかし、病を得て、人生に限りがあることに気付くのは大事なことです。
「余命」を聴くことがあったら、まずは、もっと長く生きられる可能性があることを信じるべきです。私は、その方の全身状態を見ながらですが、最善を期待して構わないとお話をすることが多いです。そしてその上で、最善と同じ確率で最悪のことも起こり得ることを併せてお伝えします。最善を期待しながら、最悪に備えることも忘れない──「最悪に備える」とは、お葬式の準備をすることではありません。今日できることは今日のうちに行う、明日できることは明日のうちに行う。まだまだ時間があると思って先延ばしにしていたら、思いもよらない状態悪化でできなくなってしまった。そんな後悔を少しでも減らすように、目の前の時間を大切に使う──これが私の言う「最悪に備える」です。
「余命」と闘う必要はありません。「余命」を宣告されたとしても、その数字に縛られるのではなく、「今をどう生きるか」を考えるきっかけとなればと思います。「余命」は「諦めろ」というメッセージではありません。
(注) 小田浩之, 竹宮健司:緩和ケア病棟における患者の死亡前日数の分布とこれを用いた症状分布及び設備需要等の推計の可能性に関する研究, 日本建築学会技術報告集,第30巻 第74号,pp.305~310,2024.2