2025
09/05
がんの痛みの緩和ケア③オピオイドを使う心構え~こんな私に生きていく意味はあるの?~
-
緩和ケア
日本緩和医療学会緩和医療専門医。日本緩和医療学会代議員・日本死の臨床研究会代議員。
一級建築士、技術士(都市計画)の資格を持つ異色の緩和ケア医。現在は緩和ケア病棟(設計)の研究のため、東京都立大学大学院都市環境科学研究科建築学域に在籍中。
「緩和ケア」の現状と課題(7)
前回(2025年7月7日付け)のコラムで「オピオイド……この薬の持つ本質的な危険性は、決して忘れてはいけません」と書きました。もう一度だけ、この話をさせてください。
ある患者さんの話
患者さんは専門学校生でした。20代で虫垂がんを発症し、手術と抗がん剤治療を受け、3年後に卵巣転移などが見つかり再手術が行われました。痛みに対して、フェンタニルというオピオイド(医療用麻薬)を定期・疼痛時頓用で使用しました。そして5年後に、腸が腹壁に癒着して穴が開いてしまい、また手術を行ったのですが、その頃からフェンタニルの使用量、特に疼痛時の頓用の使用回数が増えてしまいました。
読者の中にはここに潜む問題点に気付かれた方も多いかもしれません。そうです、彼女の痛みは「がんの痛み」ではありませんでした。3度目の手術の際にCTが撮られましたが、がんの再発は見つかっていません。がんがないのに痛い、すなわち手術痕や腹腔内の癒着の痛み、あるいは器質的な原因を伴わない心因性の痛み、これら「慢性痛」といわれる痛みに対してオピオイドが使われるようになってしまったのです。
しかもその使い方はひどいものでした。そもそもこのフェンタニルの頓用薬は、専門家であれば誰もが「がんの痛み」以外には使ってはいけないと考える薬剤です。使用するだけでも問題なのに、使用量は添付文書上の上限(初回推奨量の8倍)に達していました。さらに1日当たりの使用回数は1日4回までと定められているのに、10回を超える日も珍しくありませんでした。まるで前回のコラムで述べた、米国におけるオピオイドの不適切使用が、彼女の身に起こっていたのです。
もちろん、主治医たちは事態の改善に手を尽くしました。頓用薬の代わりになる抗不安薬なども数々試されました。根本的に痛みを止める「神経ブロック」も行われました。しかしオピオイドを減量するとすぐに離脱症状(震え、血圧上昇、発汗、いら立ちなど)に襲われました。頻回に起きる痛みも相まって、彼女の薬剤使用の要求は執拗かつ激烈なものでした。そして、体だけではなく気持ちのつらさから、希死念慮も口にするようになりました。もう、一般病院のスタッフの手に負えるものではありませんでした。
オピオイドの断薬
彼女は総合病院に紹介され、精神科病棟に入院して精神科と緩和ケア内科が連携して治療にあたることになりました。
病院外来を受診した彼女はちょうど頓用薬が効いていて、落ち着いて面談することができました。「私には子宮も卵巣もない。人工肛門が2つもついている。こんな私に生きていく意味はあるの?」。彼女の語り口には社会的に疎外された孤独感がにじみ出ており、これまで必死に向き合ってくれた主治医との関係が唯一の救いのようでした。主治医の指示だから来たという彼女の受診動機は、脆弱な依存性を表していたかもしれません。しかし、入院加療について彼女は十分にその内容を理解し、自らの意思で治療を選択しました。「今のままでは学校に戻れない。みんなのいる学校に戻りたい」。まだ彼女には生きる“よすが”が残っていました。
精神科病棟での療養は壮絶でした。入院からわずか数時間で痛みが始まりましたが、頓用薬は使えず、クエチアピンという、気分を安定させて眠気を来す抗精神病薬が出されるだけでした。「今回が最後でいいから」「こんなに痛いのにおかしいじゃないか」「とにかく痛み止めをよこせ」。一日に何度も繰り返す激痛に、彼女の態度は外来の時からは想像できないものでした。時に会議室を占拠するなど実力行使に及ぶこともあり、痛い時の彼女は治療に取り組むというより、何とか鎮痛薬を手に入れようと必死でした。
それでも精神科医や病棟スタッフの支持的フォローが何とか彼女をつなぎ止め、10日目を過ぎた頃から症状は落ち着き始め、数少ない友達と一緒にコンサートに行くための外出もできるようになりました。25日目に定期オピオイドも中止し、37日目に元の病院に転院することができました。そして1週間の経過観察後、退院し外来フォローとなりました。その際、主治医による原病の経過観察と、大学病院・精神科病院での鎮痛・適応障害管理、そして公立の精神保健福祉センターでの認知行動療法が組まれました。
顛末と、これをどう考えるか
しかし、彼女は復学を果たせませんでした。専門学校が遠く離れていて、これら継続治療に難があったことと、実家を離れて一人暮らしをさせることを家族が心配したからでした。
そして2カ月後、彼女は全身痛で地域の救急外来を受診しました。フェンタニルの頓用薬を求めましたが処方されず、ペンタゾシンという代わりの鎮痛薬が注射されました。その後、次々と病院を受診し、フェンタニルの頓用薬やペンタゾシンを求めました。推しのバンドのコンサートに行っては、その地の救急外来に飛び込み、痛みが出たが持ち合わせが足りなくなったと言って薬を求めることを繰り返しました。
そして3カ月後、ツアー先で、フェンタニルの頓用薬を使用後に急死しました。食物による気道閉塞が原因でした。
読者の皆様は、この顛末をどうお考えになるでしょうか。
少なくとも彼女に非はないと私は思うのです。彼女は被害者です。
前回のコラムで取り上げたオピオイドクライシスについて、特定の製薬会社による不正義を書き立てる記事が横行しました。この事例でも、医療者の取り組みで予防できたことはあるかもしれません。しかしそこが問題でしょうか?
私が言いたいのは「だれが犯人か?」ではなく、オピオイドという薬の持つ本質的な危険性です。
間違ってはいけないのですが、私たちががんを患うことがある以上、現在の医学ではオピオイドは欠かせない薬です。不合理に使用を抑制してはいけません。私はオピオイドの処方医として、これからも処方を続けます。ただし、オピオイドは常に万全の注意を払って、適切な使用を心がけなければいけない、そういう薬だということは日々心に刻まなければならないと思っています。
注:ご遺族からこの話の公表のご了解をいただいています。どうしてこのようなことが起きたのかを考えるきっかけにしてほしいと伺いました。