2019

12/10

~ハラスメント・心因・こころの傷~何気ない言葉にも気を付けたいもの

  • メンタルヘルス

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西松 能子
立正大学心理学部教授・博士(医学)、大阪医科大学医学部卒業後、公徳会佐藤病院精神科医長、日本医科大学附属千葉北総病院神経科部長、コーネル大学医学部ウェストチェスター部門客員教授を経て現職日本総合病院精神科医学会評議員、日本サイコセラピー学会理事、日本カウンセリング学会理事、現在あいクリニック神田にて臨床を行う。

ドクターズプラザ2012年10月号掲載

よしこ先生のメンタルヘルス(7)

43歳、女性の例

架空の典型的な話をしてみましょう。

現在43歳の女性です。有名大学を卒業して就職した会社は、勤めて2年半ほどたった秋にバブル崩壊に重なり倒産しました。残務整理後、紹介された会社に翌年の夏から勤め始めました。以来、10数年の間、企画・広報畑に従事してきました。多忙な30代に父母を相次いで病で見送り、一人暮らしとなりました。40歳時に営業畑への移動を示唆され、転職を決意しました。発症の2年前に、20年近く主に専門としてきた中国や東南アジアの市場調査力を買われて、事業部長・部長の次席の職責で、中国・東南アジア地域のグループリーダー職として小売業界に転職しました。

転職初日に部長から指を突き付けられて、「あんた、こんな会社に来たくなかっただろう」と言われ、出社すると事業部長から「おはよう。来たくなかった会社かもしれないけれど、力を発揮してくれよ」と言われ、愕然として、「それはどういう意味ですか」と気色ばむと、「いやいや」と笑いながら事業部長は席に戻ってしまいました。何とも言えないイヤな気持ちになりましたが、とにかく仕事をすることだと気を取り直しました。部長から言われる言葉は聞き流すようにしました。「あんたは毎月同じころに機嫌が悪くなるけれど、理由を教えてくれないかな」とセクハラめいたことを言われたり、社内メールを覗き込まれ「四十過ぎて、おっはーかよ」「男性社員にしかメールしないのか」などと暴言を吐かれました。

数カ月後には部長が近くにいると仕事に集中できなくなり、人事に異動願を出しました。同じチームの派遣社員が部長の暴言を理由に退職したこともあり、次の定期異動で異動が叶いました。所属チームが変わり、仕事内容は調査・コンサルタント業務から、統計入力や処理といったバックアップ業務に変わり、職名は同じですが、権限は制限されました。左遷のように感じ、異動して2カ月後頃から寝付きが悪く、寝付いても悪夢で目が覚めてしまうようになりました。寝付く前には前の部長から言われたさまざまな暴言が頭の中でぐるぐる回り、朝起きても疲れが取れません。同じフロア―の離れた場所にいる部長の声が耳に入ると、涙がこぼれてきて止まらなくなりました。

ついに耐え切れず、人事に経過を訴えました。ハラスメント委員会の調査の結果、部長が謝罪し、席移動がさらに行われました。謝罪後2カ月たってもなお「部長を別のフロアーに異動させてほしい、元のコンサルタント業務をしたい、今の仕事は左遷ではないか」などと訴え続けたため、周囲からは「今度はあなたが変わらないとね、もう少し大人になってほしい」と言われるようになりました。また、部長がうつ病の診断で休職に入ったことも周囲の態度が変わった一因となりました。

何がハラスメントで何が心因なのか?

実際、今の職場ではこれと類似した話は数え切れません。上司がちょっとした軽口のつもりで話し掛けたことに、部下は深く傷付き、時には人事やハラスメント委員会の出番となります。傷付いた部下は眠れなくなり、食欲がなくなり、頭痛や吐き気など多彩な自律神経症状や身体化症状を呈するようになることもしばしばです。抑うつや不安などの精神症状のために長期の病休に入ってしまう場合もあります。

この43歳の女性の例では、パワーハラスメントと認定される上司の言動もセクシュアルハラスメントと認定される上司の言動もありました。しかし、殴られたり、身体的接触だったりするようなあからさまなものではありませんでした。女性が父母を失い単身生活をしているという環境が影響していないとも言い切れません。軽口のつもりで話した上司の方も重大な経緯に落ち込み、結果として職場は人材を二人失うことになりそうです。

何がハラスメントであり、何が心因となるのか、結果が出る前、症状が出る前は誰にも分かりません。個人の気質や置かれている状況、人間関係、立場などさまざまな要因が複雑に絡み合い、時間軸の中で症状が立ち現れてきます。症状が現れてきて初めて「あー、あれがつらかったのだ」と分かるとも言えます。精神科医は、症状を訴える個人を前にして、症状が現れる以前に遡り、心因となるであろう事実との間に了解関係を探します。実際、日常の中には見方によってはこころの傷になることがしばしば潜んでいます。何気ない言葉にも気を付けたいものですね。職場が有為な人材を失いませんように。

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