2019

04/24

高齢化率、48.1%の神島の医療事情

  • 僻地・離島医療

  • 三重県

三重県東端に位置する鳥羽市は五つの有人離島を擁している。このうちもっとも本土から離れた海上に位置する神島における、島内唯一の医療施設が鳥羽市立神島診療所だ。所長の小泉圭吾氏は、たった1人の医師として神島の医療を担っている。島民約350人の命を預かる同氏に離島医療の現状や問題点とともに、神島への愛情も熱く語っていただいた。

ドクターズプラザ2019年5月号掲載

僻地・離島医療(14)/三重県・鳥羽市立神島診療所

在宅医療と離島医療を組み合わせた、新しい医療モデルを!

過疎化、高齢化が進行。他の離島と同じ課題を抱える

―まずは神島診療所の診療体制について教えてください。

小泉 診察科目は内科、外科、小児科の3科。医師である私のほか、看護師1人、事務員1人の計3人で運営し、月曜と火曜、木曜と金曜の週4日、診察を受け付けているほか、島民宅への往診も私が行います。私を含め3人とも神島に住んでいます。鳥羽市には五つの有人離島があり、うち神島、坂手島、菅島、答志島の4島に1カ所ずつ診療所が設けられています。神島診療所と、答志島にある桃取診療所には三重県から医師が派遣され、それ以外の2カ所の診療所は鳥羽市が直接雇用した医師がいます。ただ、私のように医師が島内に住んで常駐しているのは神島診療所だけです。

―神島も他の地域と同様、高齢化が進んでいるのでしょうか。

小泉 他の離島と同様、過疎化と高齢化が進んでいます。神島の人口は現在347人(平成31年1月末日現在)で、高齢化率は48.1%ですが、感覚的にはもっと多いように感じています。ちなみに有人離島の中でもっとも高齢化が進んでいるのは坂手島で、高齢化率70%と突出しています。神島は独居高齢者や高齢者だけの世帯も多いです。子供たちはみんな進学や就職で島外に出てしまい、お盆と正月にだけ帰ってくるので、その時期は島の人口が一気に増加します。そうしたときに、島外からインフルエンザのウイルスが持ち込まれて、島内で流行することもあります。ただ、普段診察する患者さんのほとんどは高齢者です。

―緊急搬送などへの対応は。

小泉 島内にヘリポートがあり、昼間であれば三重県が運航するドクターヘリで搬送することができます。日没後の夜間に関しては、地元の漁師さんや消防団にお願いして、船を出してもらいます。鳥羽市の本土までは船で30〜40分、そこから伊勢赤十字病院まで車で約30〜40分、合計1時間強で病院まで搬送できるので、離島としては恵まれています。とはいえ、海が荒れているときなどは船を出すことができません。私が赴任してから一度だけ、大動脈瘤切迫破裂の患者さんを夜中に船で搬送しようとしたときに海が荒れていて、普段お願いしている漁師さんの船が出せないことがありました。一刻を争う事態だったので、漁師仲間の伝手で別の漁師さんが持っている大型の釣り船を出してもらい、ことなきを得ました。海が荒れたことが緊急搬送に影響したのは、今のところその一度だけですが、そうした離島ならではのリスクは常に感じています。

―高齢者が多いとのことですが、皆さん、歩いて診療所に来るのですか。

小泉 ほとんどの方は徒歩で来ます。私が往診する場合も歩いていくことが多いですね。神島は面積0.76㎡の小島なので、診療所からいちばん遠い民家でも歩いて5分ほどで着いてしまいます。ですから往診も気軽にできますよ。ただし島内は平地がほとんどなく、歩道の多くは階段になっているので、足腰が弱った高齢者はなかなか外出できません。私もずいぶん足腰が鍛えられました(笑)。逆に言えば、島内を歩いている高齢者は、それだけ足腰がしっかりした元気な方なのです。島外からやってきた人は高齢者を見て「神島のお年寄りはみんな元気ですね」と驚い
ていますが、元気でなければ神島では生活していけないのです。

―観光客などを診察する機会はありますか。

小泉 神島は三島由紀夫の小説『潮騒』の舞台として知られています。島の周囲は3.9㎞で景色がよく、起伏があってトレッキングなども楽しめるので、観光に訪れる人も少なくありません。診療所にもたまにそうした観光客がやってきます。外国人観光客はまだまだ少ないですね。前に一度、喘息持ちの観光客が発症し、吸入器を持参していなかったため診療所にやってきたことがありました。ところがたまたま診療所にも吸入器がなかった。いろいろ手を尽くしてどうにか対応することができましたが、あの時は苦労しました。島には定期便で薬剤などが届けられますが、タイミングによっては切らしてしまうこともあります。

―診療科目に産科がありませんが、島内で出産をするケースはないのですか。

小泉 昔は島民同士が結婚して家庭を持ち、出産も島内でするのが当たり前だったようですが、今は若い人がみんな島外に出て行ってしまうので、島内での結婚や出産はほとんどないですね。たまに島民と結婚して島に移り住んでくる女性もいますが、出産時には里帰りするケースが多いので、島内での産科の需要はほぼありません。

研修医時代の体験により、僻地医療にのめり込む。

―小泉先生は何がきっかけで医師を志すようになったのですか。

小泉 私はもともと三重県出身で、子供のころに両親が離婚したので母と祖父母と暮らしていました。祖父母は農業をやっていましたが、あまり裕福な家庭とは言えず、そうした状況から抜け出したかった。たくさんお金を稼いで母を楽にしてあげたいと、ずっと考えていました。中学の時に祖父が交通事故で亡くなったのですが、病院で祖父を診てくれていた医師のことが印象に残っていて、高校の時に将来は医師になろうと決意しました。昔から記憶力だけはよく、勉強はできる方だったので、医学部を目指して勉強をしました。自治医科大学を受験した時、僻地医療に対する考えを小論文で書いたのですが、当時は僻地医療には全く興味はなかったので、嘘ばかり書いてしまいました(笑)。

―大学に入学してからの思い出は。

小泉 一番はラグビー部に入部したことですね。それまでラグビーをやったことがなかったのですが、入学時に先輩に目をつけられて入部することになりました。当時、自治医大のラグビー部は強豪で、さまざまな大学リーグで優勝をしていました。部員は、みんなはじけていて、僕も性格がオープンになりました。当時は青春していましたね。今は少し弱くなってしまったようですが、復活を期待しています。

―卒業後はどこで研修をしたのですか。

小泉 最初の2年間は初期研修として、三重県四日市市の県立総合医療センターという大きな病院に行きました。3年目からは町立南伊勢病院に移り、そこで初めて僻地医療を経験しました。ただ、当時は僻地医療に対して悪いイメージばかり持っていました。さらに、院長をはじめ医師が次々に辞めていき、何と私1人になってしまったのです。やるべき仕事が多過ぎて頭と体が追いつかず、働き過ぎでうつ状態になったこともありました。「こんな僻地、早く抜け出したい」と、いつも考えていました。今思えば、自分の能力や技術が足りないのを、周囲の環境のせいにしていただけだったのですよね。

―僻地医療に対してネガティブなイメージを持っていた先生が、なぜまた僻地医療に携わるようになったのですか。

小泉 2年ほど南伊勢病院で働いた後、自治医大に戻って感染症科に入りました。もともと感染症科の医師になりたいと思っていたので、そこでの研修はとても楽しかったですね。ところが周囲には、自分と同じように感染症科を志す研修医がたくさんいました。その中に混じって、あえて自分も感染症科の医師になる必要があるのか、ふと疑問になったのです。自分にしかできないことが、他にあるのではないかと。その時に頭に浮かんだのが、南伊勢病院のことでした。過酷な日々を過ごしていましたが、地域に深く関わり、地域の人々と交流する僻地医療の仕事は、とてもやりがいがあるものでした。振り返ってみて、懐かしさすら感じました。自分がやりたかったのは僻地医療だったのだと、そこで初めて気付きました。自分でも意外でした。その後、再び南伊勢に戻って、改めて僻地医療に向き合いました。楽しかったし、非常に充実していました。ところが1年ほどして、当時の神島診療所に赴任していた医師が異動することになり、後任として私が指名されました。ちょうど忘年会の席で、県の職員の方や自治医大の先輩方に囲まれて「お前が行け」と(笑)。

―それまで神島に行ったことは。

小泉 もともと尊敬する自治医大の先輩が神島診療所にいたこともあり、「一度行ってみたいな」と興味を持っていたのですが、実際に行ったのは一回だけ。ほとんどなじみのない場所で、まさか自分が働くとは思っていませんでした。

神島の風景(写真提供;鳥羽市観光課)

―神島診療所に赴任してからは、ずっとここで働いているのですか。

小泉 いえ。赴任して4年ほどたった時期に、一度島を離れています。東京の赤羽にある東京北医療センターという総合病院で1年働き、その後で1年間、国内のさまざまな僻地の医療施設を回りました。伊江島や竹富島、久米島、与那国島といった離島や、磐梯山、六ケ所村、女川、日光などの僻地医療も体験し、再び神島診療所に戻ってきました。

―さまざまな地域の施設を回って、どう感じましたか。

小泉 他の僻地と比べて、神島診療所の環境は恵まれていると感じました。南伊勢病院の時代を含めて、それまで7年間僻地医療に携わり、自分自身「かなり頑張っている」という自負がありました。でも他の地域では、もっと厳しい環境で頑張っている医師がたくさんいた。「自分はまだまだ甘い」と、考えを改めました。離島や僻地に共通する課題や問題が数多くあることも知りました。僻地で働く医師は、なかなか他地域の情報を得る機会がありません。そういう意味では、1年間で各地の僻地医療に携わることができた自分は、とてもいい経験をしたと思います。今後は、僻地医療に携わる人が交流したり情報交換したりできる場ができたらいいですね。

島民との付き合いの中で、離島医師としてのやりがいを得る。

―神島の島民には、どんな“気質”を感じますか。

小泉 非常に開放的で、島外から来た人にも親切にしてくれます。私が診療所に赴任した当初も、すぐに受け入れて仲良くしてもらったので、私も家族もずいぶん助けられました。ただ、かなり遠慮なしにグイグイくる人が多いので、コミュニケーションが苦手な人にとっては居づらいかもしれません(笑)。診療所の休診日は水曜、土曜、日曜と決まっていますが、休診日に島内を歩いていると、島民に呼び止められて健康のことを相談されることも少なくありません。「これって点数付かないよな」なんて思いながら(笑)、相談を聞いています。あと「飼っている犬がけがをしたから診てくれ」なんていう相談が舞い込むこともあります。その時は知り合いの獣医さんを紹介してあげました。予想外のことがたくさん起こりますが、島の生活はとても楽しいです。

―仕事とプライベートの境目があまりないようですね。

小泉 島に常駐する医師は私1人なので、それは仕方のないことです。休診日に何かあったときには自宅に電話がかかってきますし、家族で外出中のときは私の携帯電話に転送されます。休診日や夏休みは自由に時間を使えるので、家族で島外に出掛けることもあるのですが、急病人の電話がかかってこないか、ドキドキします(笑)。

―離島で医師をすることの魅力は何でしょうか。

小泉 1人で全ての責任を負わなければいけないことですね。全ての島民に頼られている実感があるので、とてもやりがいがあります。もちろん都市部の専門医も患者さんに頼られるし、やりがいもあると思いますが、僻地医療の医師のやりがいは、また違うものだと思います。島でただ1人の医師である私のところに、いろいろな情報が集まってきます。狭い島内ですから、ほとんどの島民と顔なじみになります。そうすると、「○○さんの体調が悪そうだ」という情報が伝わってきます。けがや病気以外の情報も私の元に集まってきます。いわば診療所が、病気やけがを診察するだけでなく、島民の皆さんのいろんな本音を吐き出す場所になっています。高齢者ばかりが集まって暮らしていると、時にすごく不安になるものです。日々確実に衰えていく自分がいて、いつまで健康に暮らしていけるのか分からない。何かあったとき、遠くに住む子供や孫に迷惑は掛けたくないけれど、ではどうしたらいいのか分からない。高齢者が抱えるそうした不安を、少しでも和らげてあげられればいいと思います。

―患者さんとの距離の取り方が難しいと思いますが。

小泉 以前は、どこまで他人のことに踏み込んで良いのか考えた時期もありました。でも何年も離島で医師をしているうちに、ある程度踏み込んだ方がうまくいくことが分かったのです。もちろん、あまり出しゃばり過ぎたり、八方美人になったりしてはいけないので、その点は注意しています。そうやって島民の皆さんと踏み込んだ付き合いをしていると“機械的に診察する”という意識はなくなり、“人として人を診る”ようになります。だから患者さんが回復したらすごく嬉しいし、悪化したらすごく悲しくなります。学生時代から医師を志してきて、本当にやりたかったのはこういうことだったんだなと、実感しています。この島には本当に、愛すべき人たちが住んでいますよ。

―若い医師や研修生にも僻地医療を勧めますか。

小泉 先ほども言ったとおり、合う人と合わない人がいると思います。ただ、一度は僻地医療を経験するのも悪くないと思います。スポーツのポジションごとに適性があるのと同じように、医師にも適性があります。若いころの私が僻地医療を疎んじていたように、自分の適性に気付かない人もいるかもしれません。体験してみて、初めて気付くこともあると思います。私の恩師は「医師は診療科目で専門を決めるだけでなく、場所で専門を決めてもいい」と言っていました。医師を志す上で、いろんな基準があっていいと思います。大病院で働きたいならそれでもいいし、僻地で地域密着の医療を実践するのもいいと思います。

―最後に今後の目標について教えてください。

小泉 神島も含めた鳥羽市の離島医療の新しい形を確立できたらいいと考えています。鳥羽市は今、一つの離島に1診療所、1人の医者という体制を維持しようとしています。しかし離島医療はカバーするエリアは面積が広いけれども人口は減少傾向にあるので、1離島1医師の体制ではさまざまな無理が生じてきています。これからの時代は、複数の医師が複数の離島をカバーする方が効率的だと思います。また、鳥羽市内では医師数の不足も進んでおり、在宅医療が十分に提供できていない現状もあります。ですから今後は行政にも積極的に働き掛けを行い、在宅医療と離島医療を組み合わせた、新しい医療モデルをつくりあげていきたいと考えています。新たな医療モデルづくりが進めば、他の離島や僻地医療にも活用できますからね。いずれにせよ、離島医療とは今後も長く携わっていくことになると思います。

平地が少なく歩道は階段が多い(写真提供;鳥羽市観光課)

 

●名   称/鳥羽市立神島診療所
●所 在 地/〒517- 0001三重県鳥羽市神島町85 – 2
●診療科目/内科、外科、小児科
●開設年月日/昭和56年5月29日