2013
10/23
難病の子どもとその家族に自宅のような場所を安価で提供
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インタビュー
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ドクターズプラザ2013年10月号掲載
巻頭インタビュー:病と闘う子どもと家族のサポートハウス
副理事長 菊田洋子氏・理事 古関令子氏(特定非営利活動法人パンダハウスを育てる会)
さらに多くの家族が長期利用できるよう、規模の拡大を計画中
病気と闘う子どもとその家族がくつろげる「第二の家」
──パンダハウスとは、どのような施設なのですか?
菊田 小児がんなどの難病と闘う子どもと、そのご家族をサポートするために作られたハウスです。福島県立医科大学附属病院で治療を受けている患者さんと、そのご家族が利用できます。ハウスは宿泊することも、日帰りで滞在することもでき、宿泊の場合は1室1泊1000円で最長で1週間まで利用できます。日帰りの場合は1日あたり500円です。
入院している子どもに付き添っているご家族が入浴したり、休息できたりするだけでなく、洗濯をしたり、病院へ持っていくお弁当を作ったりと、まるで自宅のように過ごすことができます。病院から外泊を許可された子どもで、自宅が遠方の場合に、家族全員がパンダハウスに集まって家族だんらんのひとときを過ごすこともできます。
利用のための予約は、福島県立医科大学附属病院で行います。ハウスのパンフレットが病棟や外来に置かれているので、患者さん本人が利用する場合は主治医か看護師長と相談の上、予約するというシステムです。
──パンダハウスはどのような形で運営されていますか?
古関 ハウス自体は年中無休で、ハウスマネージャーが9時から15時まで滞在しています。私たち理事が日中に顔を出すこともあります。夜中には、スタッフは誰もおらず、利用者さんが鍵を開けて自由に出入りします。あくまで、利用者さんには自宅代わりとして使っていただきたいので、こちらからの過剰なサービスは行いません。
菊田 ただ、緊急の場合に連絡できるよう、私たち理事の連絡先は利用者さんに分かるように掲示しています。たまに「ブレーカーが落ちた」「テレビがつかない」などの用事で利用者さんからお電話いただくことはありますね。
──くつろげる空間づくりのために、スタッフが工夫されていることはありますか?
菊田 ここを訪れた方にはパンダバッジをお渡ししています。パンダバッジは「たくさんの方が応援していますよ」という気持ちを込めて、ボランティアが手作りしたもの。これが多くの方の励みになっているようです。たとえば、入院している子どもは、体調がよくなればパンダハウスで外泊できるので、「自分も元気になってこのパンダバッジをもらおう」と、治療の励みにするようですね。
──ほかに、利用者の方からは、どのような声をいただきますか?
菊田 利用者さんは、基本的に皆さん同じ状況に置かれています。家族同士で一緒に食事をしながら不安な気持ちを共有することで、「辛いのは自分だけではない」と思えるようになったという声をよく聞きます。いわゆる、ピアカウンセリングの効果が得られるのでしょう。
子どもが入院すると、お母さんはどうしてもその子にかかりきりになり、自宅で暮らすほかの兄弟やお父さんと離れ離れになってしまいます。しかし、たまに家族全員がパンダハウスで過ごせば、患者さんにつきっきりのお母さんは家族から元気をもらえるようです。入院していたお子さんが無事退院できたとき「家に残してきた子どもたちの顔を見なかったら、私はここまで頑張れなかった」という方もいました。
──なぜ、「パンダハウス」というネーミングなのでしょうか。
菊田 建物の入り口には、大きなパンダのぬいぐるみがあり、利用者さんを出迎えてくれます。これは、初代代表である堀越さんのお子さんが入院していたときに、お見舞いにいただいたのです。当時はこんなに大きなぬいぐるみはあまりなかったので、このパンダは病棟の人気者でした。幸いにも堀越さんの息子さんは元気になり、縁起物のパンダということで、ハウスの名前もパンダハウスにしたんです。
──どのくらいの利用者がいるのでしょうか。
古関 平成23年度の1年間で延べ2145人、402家族です。オープンから現在までの16年間で述べ約2万人、3355家族が訪れました。全3部屋は常時満室状態でフル回転。平均稼働率は88%くらいで、ここ数年は日中だけの利用者もいらっしゃるので、100%超えることもあります。
──利用者同士でトラブルなどはないのですか?
菊田 ほとんどありません。オープンしてから16年経っていますが、利用者同士でのトラブルで、こちらが介入した事例は1回しかなかったです。古関 ボランティアで運営を行っているという事情を察してくださるのか、利用者さんは皆さんとてもマナーが良くて、とてもいい雰囲気で過ごしてくださっています。建物が小さくて3家族しか利用できないということもあるのか、もめごとはほとんどありません。ありがたいことです。
我が子の闘病生活をきっかけに、運営を決意
──そもそも、なぜパンダハウスを運営しようと思ったのですか?
古関 パンダハウスを立ち上げた当初の代表である堀越さんのお子さんが白血病になり、福島県立医科大学附属病院に入院することになったことがきっかけですね。
菊田 昔は小児白血病(小児がん)は、ほぼ不治の病でした。しかし、20年ほど前から抗がん剤の治療がずいぶん進み、今では80%くらいが治るようになっています。堀越さんのお子さんが入院されたころは、ちょうど新しい治療法が開発され、治る方も出はじめた時期でした。治るようになった半面、半年以上もの長期入院をする子どもが増えてきて、治療も大変辛いものになってきました。
福島県はとても広いので、会津などからはるばる来院される方がいて、ご家族がホテルなどに長期滞在すると、経済的にも大変なものがありました。お父さんが病院の待合室の椅子で過ごされたり、兄弟は車中泊したりすることも多かったのです。入院中の子どものターミナルの時期に、狭い部屋で家族全員が見守っているような状況もよくありました。それで、堀越さんは考えました。病院から近いところに休めるところを作って、親御さんがさほど疲弊することなく、入院した子どもを看病したりできるようにしたほうがよいと。そして、ハウスの実現に向けて動き出すことにしたんです。
当初から、子どもと家族が自宅のように過ごせるようなハウスにしたかったので、貸アパートではなく一軒家を新しく建てたいと考えていました。しかし、当時はまだこういったハウスの認知度はまったくありません。実際に本当にお金が集められるのかは常に不安でした。それでも、「必要なものだから、何年かけても作りましょう」という強い信念を持ち、バザーやコンサートなどのイベントを行って、寄付やバザーの収益金で、約3000万円近くのお金が集まりました。今は、こういう団体が全国で85くらい。建物は125くらいあります。
古関 堀越さんは、パンダハウスを建てるまでの3~4年間を理事としてつとめ、完成した時に代表を退き、現代表の山本佳子にバトンタッチしました。
──菊田さん、古関さんは立ち上げからのメンバーとのことですが、どういったきっかけでパンダハウス運営に携わることになったのですか?
菊田 堀越さんのご主人と私の夫が長い間友人でした。堀越さんのお子さんが白血病になったということに、夫婦でショックを受けました。また、ちょうどその頃、私の夫(福島県立医科大学附属病院臨床腫瘍センター・小児腫瘍部門長 菊田敦氏)は小児のがんを専門的に取り組み始めた時期でした。傍から夫の働く様子を見ていても、本当に昼夜関係のないハードな仕事ぶりだったので、患者さんはもっと大変に違いないと。それで、私も患者さんとそのご家族をサポートするハウスが必要だと感じたんです。
古関 うちは、堀越さんのお子さんと我が家の息子が小学校前からの遊び友達でした。幸い自分の子どもは大きな病気もなく育ったのですが、身近なお子さんが難病になってしまって、やはりこういうハウスがなくてはいけないと、ひとりの母親として実感したのがきっかけです。
──現在のメンバーは何人ですか?
古関 立ち上げ当初のメンバーは4人でした。今は理事が13名で、2名の監事とアドバイザーが6名、パートさんのハウスマネージャーが2名という体制です。
菊田 私たちはボランティアの任意団体で長く活動を続けていたのですが、団体として長期的に安定して継続できるようにしたいということから、2年前にNPO法人になりました。そして、今はハウスの増改築をするために、認定NPOの認定申請をしているところです。
──福島県立医科大学附属病院との関係はどのような形なのですか?
菊田 医大の理事長さんはじめ病院の皆さんにこの活動の主旨を理解していただくことができて、さまざまなご協力をいただいています。ここの建物は当会で費用を賄ったのですが、土地は医科大学附属病院から借りるという形で運営しています。また、病院のご協力で、病院のロビーで年2回、運営資金のためのチャリティーバザーも行うことができるようになりました。
古関 似たような活動をしている団体の交流会や勉強会で意見交換をするんですが、病院との関係がうまくいってないと、利用者が使いにくかったり、部屋があっても使われない問題が出たりして、スムーズに運営ができないようです。福島県立医科大学附属病院の場合は、患者さんが治療するときに治療スタッフからトータルケアをするための社会資源のひとつとしてパンダハウスを紹介してもらえますので、お互いにとってよい関係を築いています。
施設を増やしてなるべく多くの家族に安心を提供したい
──運営をしていて、課題等はありますか?
菊田 福島県立医科大学附属病院では、小児白血病で従来助からなかった患者さんにも効果の出る「ハプロ移植」が行われているということで、ここ2~3年は福島県立医科大学附属病院に全国から患者さんが集まってくるようになりました。それで問題になってきたのが部屋の不足です。このハウスは延長できますが、原則1週間しか滞在できないのですが、3部屋は常に予約でいっぱいなので、遠くから来て、長期で入院している人が安心して使えません。1週間を過ぎたら大きな荷物を抱えてまたビジネスホテルに行って、次の空きが出るまで待つという状況になってしまっています。
古関 その状態はよいとは思っていなかったのですが、なるべく多くの方に利用していただくためには仕方がないことだとも思っていました。増築したほうが理想だとは分かっていても、経済的な事情もあって、いきなり建物を大きくするわけにもいかなかったんです。
菊田 でも、震災を経験して、今の状況は生活の安定を提供するという方針には合わないと反省しましたね。治療している間、安心してもらうためには、やはり増築は不可欠。2年後を目指して増改築に向けて踏み出すことにしました。
──増改築はどのように行う予定ですか?
菊田 建物自体を大きくするのではなく今の規模の家をもう1軒建てる予定です。現在のひとつの家の中に3家族が住めるような規模の建物のほうが利用者さんにとって使いやすいし、リラックスできるようです。
──運営や増改築の資金はどのような形で集めているのですか?
菊田 ここを運営するのに、1年間で最低600万円はかかります。運営は、寄付金、会費、バザー等の事業費で成り立っています。
古関 賛助会員さんは、企業より圧倒的に個人の方が多いですね。1回で大きな金額を寄付していただくよりは、1000円や2000円でもいいので、多くの方に継続的に支えていただいたほうが安定した運営ができるんです。
──今回の増改築ではいくら必要なのでしょうか。
菊田 だいたい6000万円の予算で考えています。震災後ということもあり、福島県内だけでそれを集めるのは、厳しそうです。全国的にPRして資金集めをしないと6000万円という大金は現実的に集まらなさそうですね。
──最後に、読者の皆様にひとことお願いします。
菊田 私たちは生活する場所を提供することで、患者さんとご家族の精神的、経済的、身体的な安定を支援したいと思い、このパンダハウスを運営してきました。このハウス自身が安心できる場所でいられるように、ホスピタリティを大事にしたいと思っています。
古関 立ち上げ当初からの気持ちは変わらず、20年間続けています。ここで残されたご兄弟や親御さんがみんなで食事しているのを見ると、家族が一緒に過ごすことはやっぱりいいなあと感じます。入院によって失われてしまいがちな「当たり前のことができるという幸せ」を享受できる場所でありたいものですね。