2017

09/20

適応障害

  • メンタルヘルス

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西松 能子
『よしこ先生のメンタルヘルス』
立正大学心理学部教授・博士(医学)、大阪医科大学医学部卒業。
公徳会佐藤病院精神科医長、日本医科大学附属千葉北総病院神経科部長、コーネル大学医学部ウェストチェスター部門客員教授を経て現職。
日本総合病院精神科医学会評議員、日本サイコセラピー学会理事、日本カウンセリング学会理事、現在あいクリニック神田にて臨床を行う。

隔月刊ドクターズプラザ2017年9月号掲載

よしこ先生のメンタル(45)

日常的な出来事が心の傷になることも

他人には話せない心の奥底に隠しているつらい体験の一つや二つは、大人ならば誰もが持っているものです。もし、そのつらい体験が繰り返し思い出され、自分自身を苛み、苦しめるようになったらどうでしょう。今、メンタルヘルスの外来では、誰もが日常的に経験する可能性のあるつらい体験を繰り返し思い出し、自己価値が下がり、悪循環を起こし、日常生活に適応しにくくなり、受診する方々が増えています。

心の傷になる体験として訴えられることは、会社の上司から大きな声で怒鳴られた、休暇中の行き先を詮索された、飲み会で飲みかけのビールを勧められた、などと一昔前の会社勤めならば、ありふれた出来事だったりします。そのような出来事をきっかけに会社に行けなくなる、上司に似た人を見ると怒鳴り声を思い出し動悸がする、皆が自分を監視しているのではないかと疑心暗鬼になる、二度と飲み会には行けないと思ってしまうなど、心身に強い反応が起き、その後の生活は心の傷になる出来事が起こる以前と一変してしまいます。日常的な出来事が心の傷になり、すっかり生活が様変わりしてしまうのは、傷つきやすいといわれる若者だけではありません。若者に限らず壮年期にも老人にも起こっており、日本人は老いも若きも傷つきやすくなったように見えます。

一方、インターネットでは過激な言葉が行き交い、しばしばブログやツイッターが炎上してしまいます。バーチャルな世界で傷つき、会ったこともない、現実の世界では何の影響も受けない人からの一言で、自己価値が地に落ち、落ち込んで受診する人がいます。

PTSDと遷延化した適応障害

心の傷になるつらい体験がフラッシュバックをし、悪夢を見、過敏になり、日常生活が送れなくなるPTSD(心的外傷後ストレス障害)という疾患があります。PTSDは日本では阪神淡路大震災や東日本大震災で知られるようになりました。PTSDは、地震のような天災、大火災や大きな交通事故などの人災、戦争や捕虜の体験、テロ、レイプ、犯罪被害など、誰もが心の傷になる大事件に遭うことによって起こると定義されています。

しかし昨今は、誰もが傷になると認められた大きな出来事以外の日常的な出来事がPTSDと同じ症状を招いてしまうことがしばしば起こっています。もちろん、これらの症状群は、PTSDという診断にはなりません。疾患名は適応障害と呼ばれますが、心の中で何度も出来事を反芻し、新たに傷つくので、以前の適応障害のように6カ月以内に自然と治るということはありません。新しい診断基準のDSM-5(アメリカ精神医学会の診断基準)では、適応障害の群に6カ月以上続く慢性群を加えました。アメリカでも日本と同様に、適応障害の遷延化が問題となっています。

PTSDと遷延化した慢性の適応障害は、その症状は極めてよく似ています。落ち込みや不安など精神不調の一般的な症状に加えて、心的外傷あるいは心因の反復的で侵入的な苦痛な記憶や、悪夢、生き生きとつらい出来事を思い出す、きっかけとなる出来事によく似た出来事に遭遇すると心理的な苦痛を味わうと共に、動悸や冷や汗など体の症状が出てくる、何とか出来事によく似た状況を避けようとする、いつもアンテナを張って過敏になっており警戒をしている、仕事や日常生活に集中することができず、しばしば眠りや食欲が損なわれるなど、この二つの疾患は見分けがつきません。めったにない出来事でこのような症状が起こるのは、誰が見ても納得できます。

しかし、日常的な出来事で、このような症状が起こったとしたらどうでしょう。実は、適応障害は誰にでも起こり得る珍しくない疾患です。心の傷になる出来事が大人ならば誰でも一つや二つあると言いましたね。そうです、私たち誰もが遷延化した慢性の適応障害になる可能性があります。なりかけた時に何よりも力になるのは、つらい体験を話し、つらい体験を共有し、外傷化を防いでくれるような魔法の言葉をくれる誰かがいることです。専門用語で言うところの「焦点化された認知の修正」をしてくれる人の存在です。現代社会にこれほど遷延化した慢性の適応障害が増えているのは、心のセーフティーネットになる誰かがいなくなったのでしょうか。

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