2024

08/01

認知症の誤解から考える正しい対応方法とは?

  • 介護

川内 潤
NPO法人となりのかいご・代表理事

隣の介護(31)

5つの「認知症の誤解と正しい対処方法」として、これまでに

【1】物忘れはあるが「年相応の物忘れ」と考えてしまう
【2】認知症の進行防止だと、やみくもに話し掛ける
【3】とにかく病院を受診させる
【4】道に迷うことが増えたので、外出させない

と、実際に受けた相談事例とそれらの対処方法を挙げてきましたが、今回は

【5】デイサービスに送り出すため、予定を掲示して声掛けする
【まとめ】認知症になっても健やかに暮らし続けられる社会に向けて

をご紹介します。

【5】デイサービスに送り出すため、予定を掲示して声掛けする

懸命に説得してもデイサービスに行きたがらない

認知症の本人がものごとを忘れないための工夫をされているケースを目の当たりにします。

例えば……

・とにかく繰り返し伝える
・カレンダーやホワイトボードに記入して繰り返し見せる
・毎日電話をして、デイサービス当日も迎えが来る直前に確認する(離れて暮らしている場合)

認知症は表出する症状に個人差はありますが、多くは「短期記憶障害」というものが現れます。昔のことは覚えていても、新しい記憶が定着しないのです。忘れてしまうのなら、何度も繰り返し説明しようと思うのは普通の感覚ですが、それでも記憶が定着するのは困難です。

アルツハイマー型の場合は、脳内の海馬が萎縮をすることで感情を司る扁桃体が比較的優位となり、感情にひもづいた記憶として「言われたことを忘れても、その時に自分がどう感じたか」という感情面だけが残りやすくなります。

デイサービスを利用する本人は家族から繰り返し言われる日時は記憶に残らないのに、「何となく不安」という気持ちだけが積み重なっていくのです。結果「頑張って説得したからこそ、デイサービスに行きたがらない」という事態になってしまいます。

説得や声掛けは家族がやらなくていい

認知症の診断があれば「認知症対応型通所介護」という認知症の方に特化したサービスも選択できます。認知症の方に対しての声掛けに慣れていたり、手厚い人員配置になっていたりするので、こちらを検討してみてもいいでしょう。

私が働いていた「認知症対応型通所介護」は、一軒家のような外観で、庭では野菜を育てていました。編み物の先生だった女性に「編み物を教えてくださるボランティアの先生を探している」として通所を促すなど、利用者さんの多くは公民館やボランティアに来ている感覚のようでした。

家族が良かれとする声かけや説得は、不安だけが残りデイサービス拒否を助長します。それが介護職員の負担を増やす場合もあることもご理解ください。必ずしも「デイサービスに行くということを理解させる」必要はありません。

家族ができる最善策は、ケアマネジャーやデイサービスの職員に、利用される方の人柄、これまでの仕事、趣味、家族の不安を伝えて、利用する本人がいかに楽しく通所できるかを話し合うことです。さまざまな試行錯誤が利用する本人を含め介護に関わる全員が穏やかでいられることにつながっていくのだと思います。

【まとめ】認知症になっても健やかに暮らし続けられる社会に向けて

長生きを喜べる豊かな社会とは

認知症の家族の介護は、肉体的にも精神的にも大きな負担がかかります。同じ話を繰り返しされたらイライラしますし、徘徊して道に迷えばやるせない気持ちになります。時間の感覚が不確かになり昼夜逆転の生活になれば、家族は睡眠不足になります。他にも食事や排泄を一人でできなくなるなど、家族の負担が過度になるかもしれません。

一方で、認知症の当事者はできないことが増えていく不安と戦っています。自分の記憶にないことで周囲に迷惑をかけたり、責められたりするとそれが原因で症状が悪化することもあります。ただ、現状では認知症を完治できる治療は存在しません(一部の認知症を除く)。長生きするほど、認知症の発症リスクは高まります。

医療技術の進歩や健康意識の高まりもあり、日本の平均寿命はこの先も延伸すると見込まれています。認知症予防も大切ですが、長生きをして認知症になっても心穏やかに暮らしていけることこそが豊かな社会ではないでしょうか。

認知症になったら不幸なのか

私が勤めていた認知症専門のデイサービスで、利用者さんとレクリエーションを行っていると暖かな陽射しが部屋に差し込んでいました。ある利用者さんが「今日はいいお天気ね。それだけで幸せだわ〜」と口を開くと、他の利用者さんも「こんな日は洗濯物がよく乾いて、いい匂いになるの」と笑顔になりました。

一方、私は次にやることで頭がいっぱいで、目の前に起きている利用者さんたちが感じた幸せに心を向けていないと気づきました。「今、この瞬間に幸せを感じて生きている」のは私ではなく、認知症の利用者さんたちでした。全てを正確に覚えていることを「正しい記憶」だと認識していますが、そもそもそれが“正しい”のか、そして“幸せ”に結びつくのでしょうか?

39歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断された丹野智文さんとの対談で、私は丹野さんに「認知症になって“良かったこと”はありますか?」という質問をしました。丹野さんは「自分の周りの人が優しくなった」とおっしゃいました。自動車販売のトップセールスマンだった丹野さんは、紆余曲折を経て認知症である自分を受け止め、道に迷った時は「私は、若年性認知症です」という札を見せて尋ねます。すると、多くの人が丁寧に教えてくれたり、助けてくれたりと、人の優しさに触れる機会が増えたそうです。

(認知症となった大切な人に家族ができること〜丹野智文氏・川内潤 対談イベント〜)

 

老後を楽しみにするために

認知症になったら「何もできない」「話が通じない」というのは偏見です。いろいろなことを忘れて、人が変わったように感じても、その人の人格が失われるわけではありません。

私は認知症の方々と関わったことで、自身の老後が楽しみになりました。社会的な役割を終えて、自分自身が自由に生きられるのが老後であり、目の前にある瞬間だけを純粋に楽しめる時間がくるのだと考えています。

認知症に限らず、異質や理解できないものを排除するのではなく、一人ひとりがその都度考える機会を得ることが大切だと感じています。自分が認知症となっても暮らし続けられる、豊かな社会であってほしいと願っています。

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