2017
07/15
視野を広く持ち海外にも目を向けよう
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国際医療
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ドクターズプラザ2017年7月号掲載
海外で活躍する医師たち(18)/国立国際医療研究センター
国内の慣習にとらわれずグローバルに考える
海外での仕事も視野に小児科へ
―国立国際医療研究センター(NCGM)に来られるまで、NICU(新生児特定集中治療室)に勤務していたそうですね。
伊藤 はい。私は小児科の臨床に11年ほど携わっていましたが、地元である広島の病院での勤務を経て、埼玉医科大学総合医療センターのNICUに約4年間、勤務しました。小児科医を選んだ理由の一つは、いずれかの臓器の専門医になるよりも、全身を診たかったことです。何となくですが、描いていた医師像に一番近かったのが小児科だったような気がします。また日本で臨床医として仕事をしたい一方で、将来的には海外での仕事も考えていたので、小児というアプローチは海外でもニーズがあるのではないかと思いました。小児科医として臨床を務める中で、より深刻な状況に対処しなければならない新生児医療を経験したいと思うようになり、NICUの仕事をするようになりました。
―海外での仕事を考えるようになったのは、いつ頃からですか。
伊藤 高校生の頃からです。漠然とではありますが、困っている人たちを支援するような仕事をしてみたいと思っていました。大学在学中には、海外のボランティアも何度か経験しました。医師になれば、医療ばかりすることになりますから、大学生の間は別のことをしてみようと思って、医療関連ではない一般的な海外ボランティアに参加しました。初めてのボランティアはタイ北部の農村の環境保全がテーマで、植林をしたり農業をしたりしました。
―海外でのボランティアを実際に経験したことで、支援に対する考えに変化はありましたか。
伊藤 支援することは大きな意味がありますが、一方では支援すればするほど、現地の人たちが援助されることに慣れてしまい、努力しようという気持ちを削がれているという側面もあると感じました。埼玉医科大学総合医療センター在籍中も、臨床の仕事をしながら、1カ月程度の短期専門家として何度か途上国に行きましたが、こういった課題は変わらずに存在していますし、答えを見つけるのはとても難しいと思います。
―NICUの仕事から、NCGMでの国際協力の仕事に移ったのはどのような理由でしょう。
伊藤 もっと本格的に国際協力の仕事をしてみたかったからです。それには臨床との両立は難しいですし、人生の次のステップとして、もともと携わりたかった海外の仕事に従事する時期があってもいいと思い、一旦区切りを付けました。同時に、目の前の患者さんを診るだけでなく、医療を客観的に広い視野で見る機会にもなると思いました。
卒後教育に重点を置き、医療の質の改善を目指す
―NCGMに入られてからは、どのような仕事に携わりましたか。
伊藤 入ってしばらくしてから、厚生労働省の「結核感染症課」に1年間出向しました。この課は名前のとおりあらゆる感染症を扱いますが、私は結核政策をメインに担当しました。物事を決めるには、理論的に正しい、あるいは科学的なエビデンスがあるというだけではなく、それまでの歴史や積み重ねなども考慮しなければならず、一つのテーマに対して、多方面からの意見があって決まっていくことを実体験できました。出向から戻ってからは、ベトナムの医療の質改善のプロジェクトに携わりました。2010年から2015年までのプロジェクトで、私は2012年から3年間ベトナムに赴任しました。
―医療の質改善とは、具体的にどのような支援なのですか。
伊藤 医療従事者の質の改善で、特に卒後教育に重点を置いたプロジェクトでした。対象者の中心は医師や看護師ですが、概念的には、その他パラメディカルや場合によっては事務系の方も含まれます。純粋な医学教育ではなく、法令遵守(コンプライアンス)の徹底や接遇、指導者の教育プログラムなどを行いました。ベトナムという国は急速に経済発展が進み、医療の技術も高まってきています。しかしその一方では、院内感染や誤投与などの医療事故は多く、近年は盛んに報道されるようになっており、中には事故を隠匿したという事件もあります。また接遇、サービスという点でもあまり進んでおらず、患者さんを怒鳴るとか、家族や知人でなければ順番が後回しになる、入院しても看護師がほとんど来ないなどは当たり前です。このような実態が社会問題として表面化してきていることから、医療全般の質の改善がテーマになっています。
―今の日本では考えられない状況ですが、難しい課題なのでしょうね。
伊藤 そうですね。ベトナム社会の制度や文化、慣習などが絡み合って現在のような状況になっていると思います。ベトナムの病院は基本的に国公立ですが、医療従事者を含む公務員の給与はとても低いため、労働意欲が低下していますし、病院でも役所でも、オフィシャルな料金以外にある種の「手数料」を渡さなければ十分なサービスを受けられないことが一種の慣習になっています。その行為自体は悪いことかもしれませんが、社会的な構造から生まれていることでもあり、受け取っている本人たちは悪いという感覚はないでしょう。知人でないと後回しにされるのも、家族や人とのつながりをとても大切にするベトナムの国民性ゆえのことです。
また、ベトナムは医療保険制度のカバー率を上げつつあることで、注目されている国です。日本の場合は、保険を使ってどこの病院にでもかかることができますが、これは世界的にはむしろ特殊です。最近は日本の制度も少し変化してきていますが、ベトナムで保険診療が受けられるのは、医療体制のピラミッドの下辺に相当するヘルスセンター(クリニック)で、症状によって上の段階の医療機関を紹介される仕組みです。しかしクリニックには医師がいないところもありますし、医療技術の面でも国民はあまり信頼していないのが実情で、高いお金を払ってでも直接、上層部の病院を受診する傾向があります。そのため上層部の病院の混雑状態は、日本では想像できないレベルです。
例えば入院といっても、一つのベッドに2〜3人が寝ている。これは相当強烈なビジュアルですし、これだけ混んでいれば丁寧な診療ができないのも仕方がないと思えるほどです。ただこの現象も、見方を変えれば受け入れないよりは良いわけですし、ベトナムの医療アクセスの良さ、また経済発展によってお金を払える人が増えているという背景があってのことです。つまり、医療従事者の教育は非常に重要ですが、それだけで医療現場のサービスの質が改善するという単純な話ではなく、社会全体で調整していかなければならない難しい課題なのです。しかしながら、慣習に染まっていない若い世代を教育することで、今後のあり方が変化していく可能性はあると思います。
―ベトナムではどこに滞在していたのですか。
伊藤 首都のハノイと、フエという街です。フエはベトナム中部の街で、最後の王朝「グエン朝」の都が置かれていた古都です。外国人向けのアパートに住んでいましたが、貧乏旅行が好きな私としては少し違和感がありましたね。ベトナムは食生活が非常に豊かな国なので、困ることはなく、ほぼ外食で過ごしていました。経済発展に伴って貧富の格差も拡大していますが、一方では飢えている人が比較的少ないことは評価できると思います。ベトナム人は、ベトナム人に対する接遇があまり良くないようです。私の日本語が達者な知り合いは、日本語で話していると、日本人と思われるのかサービスが良く、ベトナム人と分かると対応が変わると言っています(笑)。
教育や保険制度の影響を研究中
―研究もしておられるそうですが、現在のテーマは。
伊藤 分娩の際のケアに関するトレーニングパッケージがありますが、それを受講した人が実際にどの程度実施しているかを調査しています。教育が現場の変革にどうつながっているか、あるいはつながっていないなら何が問題なのかを調べることが目的です。ベトナムのプロジェクトで携わったことと少し似ていますね。次の研究では、保険制度が受診行動にどう影響するかを調査する予定で、今準備をしているところです。医療アクセスをしやすくするための取り組みの一つとして、世界的に保険を拡充する動きがあり、ラオスなどでも保険制度が広がりつつあります。しかし、保険がどのように人の健康管理や受診行動に影響するかは、あまり明らかになっていません。保険制度によって恩恵を被るはずの住民の目線で、実態を調査したいと考えています。
―最後に読者へのメッセージをお願いします。
伊藤 今後は日本の中の医療という考え方から、グローバルに考えていかざるを得なくなるのではないかと思います。途上国と先進国の差はだんだん小さくなっていますし、どこ
にいても情報にアクセスできるようになっている。技術革新によって遠隔診療、あるいはAIの活用なども進んでいけば、アフリカでも日本の離島でも、同じラインで考えられる時代が来るかもしれません。メディカルの分野に限ったことではなく、モノもヒトも、フローもボーダーレスの方向に向かっているのは明らかで、どのくらい先の将来か分かりませんが、いずれは国際、国内、あるいは国際協力や臨床の区別がなくなっていくような気がします。ですから、どんなポジションで医療に携わっていようとも、視野を広く持って、普段から海外の状況にも目を向けておいた方が良いと思います。
ベトナム社会主義共和国
●面積/32万9,241平方キロメートル
●人口/約92, 70万人(2016年,越統計総局)
●首都/ハノイ
●民族/キン族(越人)約86%。他に53の少数民族
●言語/ベトナム語
●宗教/仏教、カトリック、カオダイ教 他
(平成29年6月22日時点/外務省ホームページより