2017

01/10

自分に足りないものを知ることが心身の健康の秘訣!?

  • 特別インタビュー

リオデジャネイロオリンピックで日本女子バドミントンのペアが日本バドミントンチームとしてオリンピック初の金メダルを取った。そこまでの道をつくった先達として誰もが認めるのが、オグシオペアだ。同じ歳の潮田玲子さんと共に三洋電機に入社してペアを組み、華麗で思い切りの良いプレースタイルによる快進撃でバドミントンの一大ブームを巻き起こした小椋久美子さん。現在は後進の指導や、バドミントンの魅力を広める活動を行う小椋さんと、パラリンピック選手の食事指導などスポーツ選手の栄養サポートに取り組む、東京家政大学ヒューマンライフ支援センター・准教授で管理栄養士の内野美恵先生にスポーツの素晴らしさ、心身の健康法などについてお話を伺って頂いた。

ドクターズプラザ2017年1月号掲載

特別インタビュー/小椋久美子氏(バドミントン解説者)

幸せの大きさは人それぞれ。考え方次第で自分の状況は変えられる

感情のコントロールで、プレッシャーの中でも楽しめるように

内野 オグシオペアの試合を拝見していると、小椋さんが強気で押して、ここぞというところの決断力でズバッと決める。それが気持ち良くて、本当にワクワクさせられました。子どもの頃からそういった性格だったのですか?

小椋 選手をやめてから親と子供の頃の話をするようになったのですが、ほかの兄弟と比べるとちょっと変わった子だったようです。

内野 例えば、どんなところが変わっていたのですか。

小椋 私は一人で知らない所へ行くのも好きだし、親がふと気付くと一人だけいない。怒られて押し入れに入れられたり、外に出されて家を閉め出されたりしても、平気で寝ちゃったり、どこかに遊びに行っちゃったりしていたらしいです。居所が分かるように、私だけ歩くと音の出る靴を履かされていたくらい(笑)。

内野 その頃から大物だったのですね(笑)。運動がお好きだったとのことですが、バドミントンを始めたきっかけは?

小椋 水泳や合気道、キックベースなど、いろいろなことをやってみたのですが、自分に一番合っていたのがバドミントンだったのかなと思います。三重県のとても小さな町で育ったので、スポーツクラブの種類自体が少なかった。その中で男女一緒にできる唯一のスポーツがバドミントンでした。親の働く工場の前の空き地で、毎日のように兄弟姉妹の4人が混合ダブルスのペアを組んで打ち合っていました。

内野 それでバドミントンが大好きになった。

小椋 はい。でも本音ではサッカー選手になりたかったです(笑)。当時、私の町には女子がサッカーをする環境がなくて……。気も強い、負けん気も強くて、年上の人にでも食って掛かるし、スポーツでは絶対負けたくない。全身で気の強さを表現するタイプでした。

内野 それはアスリートには必要な素質ですね。

小椋 でも、大人になってからは全然違うんですよ。自分がアスリートには向いていないと、ずっと思い続けていました。

内野 ちょっと意外です。いつ頃からそう思われていたのですか?

小椋 社会人になった時からです。プレッシャーを凄く感じるタイプで、試合前の不安感ももの凄くて。闘争心があるプレーに見えると言われるのは、そうでなければ勝てないと、敢えて自分を奮い立たせていた結果です。

内野 アスリートとして、良いプレーをするために自分で感情をコントロールされていたのですね。

小椋 意識して感情をコントロールできるようになってからは、いろいろなことが変わりました。自分の動きの意味などを考えて練習するようになり、試合で結果が残せるようになったし、プレッシャーの中でも楽しめるようになったような気がします。

バドミントンとの出会い

内野 話は少し戻りますが、バドミントンを始めた頃の気持ちを覚えていますか?

小椋 小学2年生で、姉や兄についてスポーツ少年団で始めたのですが、細かいことは覚えていないですね。ただ、素振りやラケットの握り方、フットワークなど、コートの外でする練習が多かった。面白くなかったという気持ちだけ覚えています(笑)。

内野 スタートは楽しさからではなかったのですね。

小椋 それでも私たちのクラブはそれほど厳しくなくて、楽しくバドミントンしようという雰囲気だったと思います。厳しいクラブでは、もっと基礎練習ばかりしているかも知れませんね。確かに基礎はすごく大切で、基礎ができていなければ必ず、ある程度のところでつまずきます。

内野 バドミントンを続けようと思ったのは、いつ頃ですか。

小椋 中学生の時は、バドミントンで絶対に負けたくないとは思いましたが、将来、大人になっても続けようとは思っていませんでした。子どもが大好きで、仕事としては保育士になりたかったです。大阪の高校に進学したのは、推薦で声を掛けていただいたのがきっかけです。「ここに進学するのが当たり前」というくらいお世話になっていた地元の高校があったので、大阪に行けばそれを裏切るような形になる。悩んだけれど、先生方が「好きな道を進んでいいのだよ」と後押ししてくださったこともあり、思い切って大阪に行きました。結果的に、無茶苦茶大変だったけれど、選択肢としては良かったと思います。

内野 大好きなご家族と離れての生活が始まったのですね。

小椋 それまでは、家に帰れば親に1日のことを全部話すような子どもでした。でも好奇心は旺盛なタイプなので、1年生の時はホームシックにはならなかったです。2年生の時にケガをしたり、監督からも怒られるようになったりして、それがとにかく怖くて、何とか家に帰りたい。何とか自宅から通学できないか真剣に考えました。でも特急で2時間かかるし、どう考えても無理だなって(笑)。

内野 先生も小椋さんのプレーを見て期待が膨らんだのでしょうね。後にペアを組むことになった潮田さんとの出会いはいつ頃ですか?

小椋 高校1年生の冬に全日本のジュニア合宿に呼ばれた時です。玲ちゃんは福岡の高校から参加していました。でも実は、初対面ではなかったのです。小学校6年生の時にシングルスで対戦したことがあります。もともと2人共シングルスプレーヤーで、全日本の合宿でも互いにシングルスで呼ばれていました。それが合宿中に、たまたまダブルスを組んだのです。最後の最後、余った者同士のペアという感じでプレーしたのですが、その時に凄く感触が良くて。コートの中でしっくりきて、互いに良いプレーができた。そして、「ダブルスって面白いな」って思ったことを覚えています。合宿で初めて組んだ1年生のペアでしたが、ダブルスの先輩たちに勝ちました。そこから高校の先生たちが「このペア面白い。育ててみよう」と思ってくれたみたいです。

 

不調の時でも支え合ってペアとして全力を尽くす

内野 潮田さんと組んだことでダブルスの楽しさに目覚めたのですね。シングルスとダブルスにはどのような違いがあるのでしょうか?

小椋 シングルスのプレースタイルは四隅を狙います。四隅を狙いながらサイドやボディを狙い、さらに空間を使う。速さも大切ですが高さも使います。ダブルスはネットから浮かさせない弾道の低いショットで速さやパワーで勝負する。ネット際を制すことが重要です。大きさより速さと細かさです。

また、1対1だと相手のことだけ見ていれば良い。相手の動きと心理を考えて駆け引きやプレーをしますが、ダブルスではパートナーの動きや意図、自分がこうしたらパートナーはどう動いてくれるかなど、パートナーと気持ちや動きを合わせて相手2人のプレーを読み、動きます。ある意味1対3というか、3人の動きと駆け引きを読む。そういう面で、私は心理戦としてはダブルスの方が面白かったです。自分が良いショットを打とうというだけではない。パートナーにいかに決めてもらうかということを考える。無理な賭けに出るよりは、大事なところだけ押さえながら、相手に任せることも大切。アシストするべき時は、アシストに徹するということも大事になります。最初は自分自身、シングルスが向いていると思っていましたが、ダブルスの奥深さを知ってからは、はまりましたね。

内野 ダブルスの魅力に本当に気付いたのはいつ頃ですか?

小椋 もともとシングルスの“我”の強い2人が組んでいたので、勢いで押せるところまでは良いのですが、それ以上はダブルスの本質を知っているペアに勝てない時期がありました。そんな社会人2年目、20歳くらいの時にダブルスのコーチがチームに来てくれて、動き方や試合の組み立て方など、戦術的なことをきちんと教えてもらえました。その頃からですね。

内野 ペアの両方の選手がベストの状態ということは少ないですよね。オグシオさんペアは、どちらかが不調であっても、やっていくうちにテンションや精度が上がってくるところが、ペアとしての強さであり魅力だったという話を聞いたのですが。

小椋 練習通りの試合ができれば一番良いのですが、それはとても難しい。緊張やプレッシャーもあるし、どこかに不調を抱えていることも少なくない。気持ち的にどうしても試合に入り切れない時もある。コートに立ってみなければ分からないことがたくさんあります。その中で、どちらかが不調の時には、必ずどちらかがサポートするということを、自然としていましたね。一人が緊張しているのであれば、もう一人が良いプレーをしてつなぎ、ゲームを組み立てながら調子が戻ってくるのを待ってくれる。相手の良いプレーを見れば刺激されて、いつの間にか状態が上がってきます。そうやって、ベストな状態を2人で作り上げていきます。

内野 試合中に2人のコンディションを合わせていくという……。

小椋 ダブルスの面白いところは、2人が同じ動きができないとダメなことです。どちらかが武器になるような凄く速いプレーができても、片方がついていけなければ、それがかえって穴になってしまいます。その場合は、遅い方に合わせなければ、最終的には勝てない。強い方が一方的に補うということではない部分も奥深いと思います。だからダブルスのペアリングは難い。“我”が強過ぎるとうまくいかなくなってしまいます。例え、良い意味の責任感や負けん気であっても”自分‶が出過ぎると続かない。ペアとしては良いプレーができない。私たちの良いところ
は、“我”の強い2人でも、互いに経験を積んで、ここまでは自分を通す。それ以外は相手に任せる選択もできる。時には「ここからは無理をしない」という選択さえも一緒にできることだったと思っています。完璧を求め過ぎなくなってから、ペアとしての強みが増したような気がします。

内野 真の信頼と強さで結ばれた相棒ですね。

小椋 負けは2人の負けです。どちらかが調子が悪くて良いプレーができなかったとしても、それをいくら責めても負けは2人の結果。それならば、ペアとして良いプレーができるように全力を尽くす。その上でダメだったら仕方ない。常にベストな状態で、常に勝ち続けるということはあり得ませんから。

内野 相手がいるからこその大変さと、楽しさがあるのですね。

小椋 シングルスの場合は、調子が悪いともうどうにもならないですよね。ダブルスの場合は、一緒に戦ってくれる相棒の存在があって、それが潮田選手だったから、私のバドミントン人生は幸せだったと思います。

 

自分の弱さを知っていること。それを強みに

内野 バドミントンは靭帯やアキレス腱などに故障が多いスポーツだという印象がありますが、小椋さんはケガ等しませんでしたか?

小椋 高校生の時からヘルニアで、社会人になっても腰にはずっと爆弾を抱えている状態でした。練習で追い込み過ぎたり、緊張感が続いたりすると調子が悪くなるので、ひどくなる前に練習量を調整したりしていました。大きなケガを高校生と社会人で1回ずつしています。高校生の時は足首の靭帯、脚の小指の骨を折って、ボルトを入れて半年間くらい離脱しました。

内野 お食事ではどのようなことを注意していましたか?

小椋 試合前の食事の取り方などは気を付けていましたが、食事の内容自体はチームの栄養士さんが管理してくださっていたので、それに従っていました。栄養バランスはもちろん、自分の体重などから適正な量も指導してもらえるので、基本的には、出るものを食べるという食生活でした。その他に、野菜ジュースや納豆、果物など、「摂っても摂らなくても良いですよ」という副菜が冷蔵庫に入っていました。その中から「今日は疲れたから酸っぱいものが食べたい」とか、「ビタミンがもっとほしいな」とか、体の声を聞きながら、食べていいものを食べて良い範囲で摂っていました。

内野 好き嫌いはありますか?

小椋 嫌いなものはほとんどありません。特に大人になるにつれて、嫌いなものが減りましたね。今でも嫌いなのは抹茶くらいかな(笑)。組み合わせ次第でちょっと苦手というものはありますが。基本的に食べることが好きで、何でもおいしく食べる方だと思います。

内野 先ほど体重の話がありましたが、体重の調整で苦労したことはありますか?

小椋 夏は痩せましたね。夏の練習後は、水分を摂れば摂るほど食べられなくなるんです。体重が多少増える分には「ちょっと体が重いかな」くらいですむのですが、体重が軽くなるとシャトルの勢いも軽くなってしまう。パワーが乗せられないんです。スピード的にも走らなくなったりするので、体重が減る方が問題でした。

内野 そのようなとき、どうしていましたか?

小椋 特別に、食べたい物、食べられる物を自分で選んで食べたり、練習直後に牛乳を飲むようにしたりしていました。

内野 栄養士の指導を受けて食べ方の理論を理解された上で、状況に応じて体が求めるものが分かるという経験がプラスされ、結果的にバランスの良い食べ方で体調をキープされていたのですね。精神面も伺いたいのですが、スランプの時はどのように対処していましたか?

小椋 まずは物事や状況を、いろいろな方向から見るようにしています。自分がダメ過ぎてどうしようもない時ってありますよね。そういう時は、下手に悪あがきせず自分や周囲をじっくり見ます。どん底にいる自分を見て、「一番下まで落ちたのだからもう怖いものなんてない。あとは上がるしかない」。そう思うんです。初心に戻り、自分の中でフラットに、ゼロの状態にする。終わる不安がないですよね。ゼロだから。そうして普段しないこと、大好きな選手のプレーのビデオを見たりします。試合を見て良さを見つけるのではなく、もっと細かいところまで意識して見ることでひらめくことがあったり。

内野 凄く前向きですね。

小椋 う〜ん、前向きは前向きかな。それと、自分の弱さを知っていることは強みだと思っています。できないことはできないから。技術を褒めてもらうこともあったけれど、みんなが思っているほどできていないことを自分が知っています。強い選手ならできるのが当たり前と思われていても、実際にできないのだから仕方ない。

内野 完璧という選手はいないと思いますが、小椋さんのセンスや技術は誰もが認めるものだと思います。

小椋 できるようには見せますよ(笑)。これはできないと口に出したり、見せたりしてしまえば、相手にそこを狙われますから。それに、相手が「この人はできる」と信じていることをあまり否定すると、かえって調子に乗っているように見られることがあるんです。それで、あまり口にはしませんが、私には足りないものがたくさんあって、それを知っていることを一種の強みにしていきたいと思っています。

内野 確かに自分の弱さを認めることは、とても勇気のいること、強いことだと思います。

小椋 「自分はできる」「あの人よりも強い」と思い込んでいると損をすることがあると思います。どの地点からでもまだまだできることはあるはずだし、自分より成績が下の人だって、他の面で自分にはない良いものを絶対持っています。もちろん、できることはできるで、自分に自信を持つことは必要だと思いますが。

内野 「自信を持つこと」とのことですが、どんなことに自信を持っていますか。

小椋 集中力が高いというのは自信があります。アピール力もけっこうあるかも。「練習、頑張ってます」って見せたりとか(笑)。もちろん実際に頑張っているけれど、それ以上に見せる。隠して頑張るのって格好良いけれど、もったいない部分があるかもしれません。特に団体競技では、「あいつ頑張ってるから一度試しに使ってみよう」なんていうこともあるので、アピールできる部分はして良いと思うんです。そこで力が発揮できるか、結果が残せるかどうかは、実際に頑張っているかにかかってきます。目に留まらないと始まらないこともあります。

内野 確かにその通りですね! ところで、小椋さんならではの健康法はありますか?

小椋 睡眠が大事ですね。8時間以上は寝たいです。基本的に起きる時間から逆算して、しっかり睡眠を取るようにしています。選手時代は6時半に起きて7時半に家を出ていたので、夜の10時には寝ていました。本当に規則正しい生活でしたが、今はそれほどではなく、夜は飲みに行くこともありますよ。あとは、とにかく笑って過ごすこと。もともとは凄くネガティブなのですが、ポジティブにするよう心掛けています。イライラを溜めない。何かにイライラすることは必ずあるじゃないですか。そのことを話したり考えたりすると余計イライラしてしまうので、人に話したりせずに考え方を変えます。

例えば、突然誰かにキツく当たられたとしたら、「どうしてそんなことをするのだろう」と、されたことについて考えるのではなく、「あの人、今日よっぽどイヤなことがあったのかな」とか。「でも私には関係ないから良いか」「関わらないようにしよう」と思って切り替える。もちろん、自分自身、反省が必要なことは反省しますが、くよくよ考え込みはしません。それと、人のせいにするのもイライラするので、「私も悪かったから仕方ないな」と思って済ませるとか。とにかく明るく笑って過ごせるように、そのための努力をします。イヤなこと、悪いことを考えていると悪循環だし、何より時間も労力ももったいないです。

何があっても前向きな気持ちで乗り越える

内野 今、後輩を教えるに当たって、どんなことを心掛けていますか?

小椋 トップ選手を指導するに当たっては別の視点があると思いますが、私はそういう選手を教えているわけではありません。なので、大好きな競技を楽しんでやれて良かったという自分の経験を踏まえて、バドミントンの楽しさを伝えたいです。自分自身、楽しさがなかったら続けていけなかったし、トップレベルには届かなかったと思います。楽しかったからこそ、逃げては通れない辛いことも乗り越えられました。

内野 いろいろな経験をされている小椋さんにとって、どん底だったのはいつですか?

小椋 それはもう、アテネオリンピック前に骨折した時です。悔しかったですね。

内野 アテネオリンピックに出られなかったわけですが、その経験が次の北京の5位入賞につながったのではないですか。

小椋 アテネの悔しさがあったからこそ、北京に行けたのかなと、今では思います。

内野 北京オリンピックはいかがでしたか?

小椋 よく覚えていないくらい緊張でいっぱいでした。オリンピックの3カ月前に出場が決まったのですが、そこから本番までの3カ月間は地獄でしたね。不安で怖くて。

内野 よくオリンピックの舞台には魔物がいると言われますが……。

小椋 もう自分がもっと頑張らないとメダルは取れないという自覚があったので、練習でも追い込んでしまい3カ月間で3回、ギックリ腰をしてしまったり。本調子で北京に行くことができていなかったですね。オリンピックの会場に着いてからは、この3カ月間をうまく使うことができず、ベストな心身で臨めていないという気持ちもあって、余計に焦ってしまって。試合の時は、足が動かなかったです。あれが魔物だったのかな……。床に足がくっついてしまった感じで。試合自体も全然覚えていなくて、何をしに行ったのだろうと思うくらい。苦しかったですね。

内野 今伺っていても厳しさが伝わってくるような気がします。では、印象に残っている試合はありますか。

小椋 もちろん、勝った試合の方が嬉しさは大きいのですが、心に残っているという面では、「ペアを解消します」と記者会見をして臨んだ試合ですね。

今までの感謝とか、いろいろなことが心をよぎって集中できない。それが振り払えない状態で。初めて泣きながらウォーミングアップしました。そういういろいろなものを抱えながら試合に入って、気付いたら「あぁ、決勝だな」って。勝っても普段はあまり泣かないのですが、その時は特別でしたね。嬉しいだけじゃない、複雑な想い。もちろん「有終の美」という気持ちはありましたし、後悔は一切なかったのですが……。

内野 あの試合、テレビで観ましたが、勝利が決まった時の映像は今、思い出しても涙が出そうになってしまいます。まだまだできるんじゃないかとも思いました。

小椋 いろんな方にそう言っていただきました。でも故障もあったし、体は治っても心が「ここまで」と思ったらそれが選手の引退時期なのかなって。引退を決めるまでは1年くらい迷いましたよ。でも決めてからは後悔が一切なかったので、間違いじゃなかったのだと思えました。体と同じくらい酷使してきた”心‶が引退を決めたのでしょうね。

内野 最後に座右の銘をお聞かせください。

小椋 「明日は明日の風が吹く」が、選手の時からずっと座右の銘です。バドミントンはシーズンオフがないので、勝っても負けても次から次へと試合がきます。今日負けても、明日は良いプレーができるかもしれない。努力をしていれば、ずっと負け続けることはない。勝ったとしても同じです。勝った人がいれば、同じ数だけ負けた人がいます。何があっても、そこにとらわれたりしがみついたりせずに、前向きな気持ちで切り替える。そうしていきたいと思っています。幸せの大きさは人それぞれ。状況も常に変わります。気持ちの持ちよう、考え方一つで自分自身の状況は変えられます。自分次第だということを忘れずにいたいです。

 

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