2018

01/16

知識や協調性と並んで熱意が重要

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国立研究開発法人国立国際医療研究センター・国際医療協力局・連携推進課長で長崎大学客員教授の小原博先生は、本年3月で定年を迎える。ネパール、ベトナム、ミャンマー、モンゴルなどで医療活動に携わり、2002年にはベトナム政府より国民の健康功労勲章を、昨年6月にはモンゴル政府より名誉勲章を授与された。またSARS感染地域で感染拡大防止に尽力したことが讃えられ、2003年には人事院総裁賞も受賞。数々の活動やネパールとの深い関わりについて伺った。

ドクターズプラザ2018年1月号掲載

海外で活躍する医師たち(21)/国立国際医療研究センター

海外協力から友好関係を保ち、研究協力に発展

感染症や医学教育プロジェクトで各国へ

―小原先生は熱帯医学が専門だそうですね。

小原 はい。熱帯で多く見られる疾患全般を指しますが、ほとんどは熱帯地方で蔓延している、あるいは保健衛生上非常に重要な感染症を対象としています。
私は弘前大学医学部を卒業後、大学院時代は東京大学医科学研究所で感染症を勉強し、学位を取りました。内科からスタートしましたが、当初から感染症の診療や研究をしたいと思っていました。

―どのようなきっかけで海外での仕事に興味を持ったのですか。

小原 大学院の指導教授が狂犬病の権威で、海外を対象とした研究をする中で次第に興味を持つようになりました。東大医科学研究所は、外国人や、外国に行って感染症に罹って帰国した日本人を多く診療していたので、臨床の経験もたくさんできました。

その後、金沢医科大学、東邦大学、埼玉医科大学でも仕事をしましたが、非常勤で青年海外協力隊の顧問医をやっていた時期もあり、年に1〜2回、2〜3週間の単位で、アジア、アフリカ、中南米の国々を回って、隊員の巡回診療や健康管理のアドバイスなどもしました。これが最初の海外での仕事ですね。

―1993年に国際医療協力局に入局してからは、どのようなプロジェクトに携わってきたのですか。

小原 最初の長期派遣は、JICAの「ネパール王国医学教育プロジェクト」で、チームリーダーとして、1995年から1年半ほどネパールで仕事をしました。

次に長期で派遣されたのは、ベトナムでのバックマイ病院プロジェクトでした。バックマイ病院は、日本の無償資金協力で主要部分を建て替えた病院で、その後の技術協力プロジェクトに2年半ほど携わりました。任期を終えて帰ってきたころにSARSが流行したため、ベトナムや中国に渡ってSARS対策に協力し、それ以降もベトナムの保健省政策アドバイザーとして、ベトナムで仕事をしました。

2010年からはミャンマーのエイズ、マラリア、結核対策を行う「主要感染症対策プロジェクト」のチーフアドバイザーとして約1年、2015年から2年間は、モンゴルの一次および二次医療施設従事者のための卒後研修強化プロジェクトにチーフアドバイザーとして参加し、昨年6月に帰国しました。

モンゴルの保健大臣(左)から名誉勲章を授与された時の写真(2017年)

ネパールの病院機能、教育システムプロジェクト

―最初の長期派遣であったネパール王国医学教育プロジェクトとは、どのようなものだったのですか。

小原 1980年、日本政府の無償資金協力によって、トリブバン大学という総合大学の中にネパール初となる医学部を設立しました。医学教育プロジェクトは、病院設立と同時に始まった技術協力のプロジェクトで、16年間続きました。「医学教育」という名称ですが、教育システムを作るだけでなく、病院の機能を強化したり、大学の医学部として基礎医学の研究基盤を作ったり、病院管理をしたりと、医科大学と大学病院に関連する全てが含まれていました。私は16年のうちの最後のチームリーダーとして派遣されました。リーダーとしての仕事以外に、専門である感染症に関する技術指導も行いました。

―1995年当時、ネパールの医療水準はどうでしたか。

小原 医療水準はとても低く、簡単な病気は何とか治療できましたが、手に負えない病気もたくさんあり、インドに多くの患者さんを送っている状況でした。医師、看護師などの医療従事者も非常に少なかったですね。昔はネパール国内に医科大学がありませんでしたから、医師になりたい人は主にインドで勉強していました。イギリスに渡る人も多かったようです。海外で学んで医師になって、ネパールに戻ってきてくれればいいのですが、外国の方が待遇がいいこともあって、戻らない医師も結構多かったようです。看護学校は、ネパール国内にも多少ありましたが、やはりインドで勉強する人もいました。医学教育プロジェクトでは、医学部付属看護学校も作り、技術指導も行いました。

―現地ではどのような生活でしたか。

小原 病院から車で20分ぐらいの場所に一軒家を借りていました。当時のネパールは物価が非常に安かったので、一軒家を借りて、使用人を雇うこともできました。食事は、妻が料理をしてくれていましたが、日本料理も含めていろいろなレストランがありました。ただ海がない国なので、魚は乏しかったです。タイまで食材を買い出しに行く人達もいましたね。ネパール人は、もっぱらダルカレーというレンズ豆のカレーを食べます。たまに、豚肉や鶏肉を入れることもありますが、基本的に3食ともカレーで、ときどき他のものも食べる程度です。私ももともとカレーは好きなので、よく食べました。

かつての仕事仲間と研究する充実感

―先生は現在も研究協力等でネパールとの関係を続けておられるそうですね。

小原 はい。ネパールは、医学教育プロジェクトが終了した1996年前後から不穏な感じがしていましたが、その後政情が不安定になって、2001年には国王が殺害されるという事件も起こり、しばらくは外国人が訪れることはほとんどありませんでした。その後2008年に王政が廃止され、ネパール王国から現在のネパール連邦民主共和国となりました。私も、プロジェクト後はネパールを訪れることはありませんでしたが、政情が落ち着いてきた2005年ごろから、医学教育プロジェクトで一緒に仕事をしたカウンターパートの方たちと研究協力を始め、現在まで続いています。

―最近の研究テーマは。

小原 院内感染です。実情調査からスタートし、実際に院内感染を起こしている菌の種類や耐性度などを調べました。その結果を基に、新人看護師向けの院内感染対策研修プログラムを大幅に改善し、研修を実施するところまで進みました。特に院内で感染しやすい菌というのが明らかにあります。それらは弱毒の菌が多いので健康な人には感染しにくいのですが、薬剤耐性度は高くなっています。病院は、市中よりも菌が高密度にある環境ですし、弱っている人が多い場所なので、きちんと対策をしないと感染する機会が多くなるのです。

院内感染は、世界的に非常に注目されており、先進国に遅れて途上国でも広まっています。しかし重要視されるようになったのはつい最近のことです。日本でも、私が学生のころにはそういう講義はありませんでしたし、ネパールの医学教育プロジェクトにも含まれていませんでした。2003年のSARSの大流行では院内感染が多発し、多くの医療従事者が亡くなったため、それをきっかけに院内感染対策の重要性を強く認識した途上国は多いですね。

―ネパールは、1995年ごろと比較するとどのように変化していますか。

小原 医療の面では、進歩しているといっていいと思います。量的に見ても医師や医療スタッフの数がとても増えています。1980年には、医科大学はトリブバン大学医学部しかありませんでしたが、今はなんと22校もあります。そのうち国立が2校です。トリブバン大学の卒業生が、他の医科大学で教授になっていたり、プライマリーレベルの仕事をしていたりと、長期的な医学教育の効果が出ていると思います。

生活レベルは、政情が不安定な時期に落ち込み、最近また上がってきています。カースト制度の国なので、もともと貧富の差が激しく、特に田舎の方では貧しい人が多いですが、少しずつ向上してきていると思います。カーストもそれほど厳密ではなくなってきているようで、カーストが低くても高い職位に就く人も増え、医学部の教授になっている人もいます。

首都のカトマンズは発展していますが、衛生状態は良くありませんね。人口が密集していて、車が急に増え、大気汚染が大きな問題になっています。もともと感染症が多かったわけですが、最近はむしろ生活習慣病や交通事故、がんなども問題になっています。感染症自体も、かつてのマラリアや日本脳炎などは減り、最近はデング熱やインフルエンザなどが問題になっています。平均寿命も少しずつ伸びて、高齢化が進みつつあります。食生活はカレー中心で野菜や果物をあまり食べませんし、カトマンズに住んでいる人たちを見ていると、あまり運動もしませんから、生活習慣病にかかりやすいのではないかと思います。

―これまでの国際協力の仕事を振り返って、今どのように感じていますか。

小原 現地の人たちと一緒に仕事をして、何か成果が出た時はうれしかったですね。やはり16年間続いたプロジェクトを無事に終了させ、ネパール側に全て移管した時はホッとしました。何よりも、昔一緒に仕事をしたカウンターパートの方たちと、政情不安を経て再会でき、長い間友好関係を保つことができたこと、またそれが研究協力に発展していろいろな成果を出せたことには、とても満足していますし、充実していたと感じています。

―今までの経験から、読者に伝えたいことは。

小原 国際協力の仕事に興味を持ったら、信念を貫いて続けていくといいですね。日本で仕事をするのとは違った意味で、大きな喜びや満足感を得ることができると思います。国際協力をするために重要なこととして、よく専門性や国際協力に関する知識、協調性などと言われますが、それと並んで重要なことは、まず熱意。そして、自分自身の健康や体力が重要です。私は今でも水泳をしていますが、普段から体を鍛えておくことは大事なことだと思います。

 

◆ネパール連邦民主共和国
●面積/14.7万㎢(北海道の約1.8倍)
●人口/2,649万人(2011年、人口調査)、人口増加率 1.35%(2011年、人口調査)
●首都/カトマンズ
●民族/パルバテ・ヒンドゥー、マガル、タルー、タマン、ネワール等
●言語/ネパール語
●宗教/ヒンドゥー教徒(81.3%)、仏教徒(9.0%)、イスラム教徒(4.4%)他

平成29年6月8日時点/ (外務省ホームページより)