2017

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相手国中心で進める支援「援助協調」

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国立研究開発法人国立国際医療研究センター国際医療協力局・連携協力部の野田信一郎先生は、小児科の臨床を経て、学生時代から「ライフワーク」と決めていた国際協力の道に進んだ。ラオスでは「援助協調」というテーマで、ラオスの人たちが自分たちの計画に基づいて事業を進められるように支援。現在は、地域包括ケアシステムの研究にも取り組んでいる。

ドクターズプラザ2017年11月号掲載

海外で活躍する医師たち(20)/「海外保健医療協力の仕事には二つの道がある」

援助する側、される側という心理的な難しさ

―野田先生が長く携わってきた、ラオスのプロジェクトについて教えてください。

野田 私は2002年に現在勤務している国際医療協力局に入局し、1年以上現地に滞在して活動したのは、ホンジュラスの母子保健プロジェクトと、ラオスの保健セクター事業調整能力強化プロジェクトです。ラオスには、2008年1月から2年半と、2013年3月から3年間の2回行きました。メインテーマは「援助協調」です。

途上国では、日本をはじめ外国や国際機関の協力を得て、医療保健の事業を行っています。各支援者は、それぞれが進めたいことをばらばらに行う傾向があり、途上国側にとっては、協力は必要であるものの課題でもありました。また支援期間中は効果が表れても、プロジェクトが終了すると元に戻ってしまうことも課題でした。これらについては1980年代、90年代に、国際的に議論や対策の模索が行われ、2005年、活動の中心は相手国であり、支援者は互いに連携、調整し合い、その国の計画を軸に整合性や効率を考えて支援を行うという「援助効果向上にかかるパリ宣言」が採択されました。2006年にはラオスでも、パリ宣言と同じ内容の「ビエンチャン宣言」が採択されています。

私が参加したラオスのプロジェクトは、宣言で謳われたことを実践するために2006年から始まりました。援助団体を調整するためのメカニズムを作り、国の計画をみんなで共有し、自国の計画に基づいてラオスの保健省が中心となって保健医療事業を運営できるように支援する、というもので、私はチーフアドバイザーとして赴きました。

―相手国に加えて、多くの国や団体をまとめるのは大変そうですね。

野田 はい、難しかったですね。活動を進めるには具体性が必要ですから、母子保健を題材にし、構築したメカニズムを保健省が使って実際に調整をしながら全体のシステムを構築するという戦術をとりました。私は小児科医でしたし、ホンジュラスでも母子保健に携わってきたので、強みのある分野でもありました。

相手国の人が中心になって進める事業を、私たちはよく車の運転に例えます。まず運転席には、支援者でなく相手国の人に座ってもらいますが、後部座席から「右だ、左だ」と指図するのでは、タクシー運転手になってしまいます。目的に向かって進むには地図も必要ですし、車のインパネのように、いろいろなデータやモニタリングの仕組みを作って、ドライバーが判断できるようにする必要があります。また運転に集中できるように、後部座席や補助席に座った外国人は勝手なことは言わないようにしなければなりません。

また日本国内の災害支援でも同じですが、援助する側、される側という非対称性もあります。援助は必要だけれどプライドもあるし、「運転席に座ってください」と言っても、遠慮や不安もある。自信をつけてもらうように配慮しながら進めると、どうしても時間がかかり、イライラする援助団体も出てくる。援助では、こういった心理的な部分が一番難しいと思います。

優しく、強く、マイペースなラオスの人たち

―ラオスの死亡原因としては、感染症と交通事故が多いそうですね。

野田 かつては、死因のトップ5にマラリアなどが必ず入っていましたが、現在、感染症は随分減ってきています。世界的にも同じ傾向です。その代わりに交通事故は増加していますね。私が現地にいた数年の間でも、変化を肌で感じるくらい車が増えましたし、プロジェクト終盤のころは、1日2件ぐらい交通事故を目にするほどになりました。信号無視や逆走など、交通ルールが守られないことが一番の原因でしょう。交通事故などの救急に対応できる病院は、首都のビエンチャン市内には3カ所あります。以前は事故があっても誰かが病院へ連れて行くという感じでしたが、現在はボランティア団体が救急搬送を行っています。

―医療施設や医療従事者の状況は。

野田 各県に県病院があり、県の下にある郡にもそれぞれ郡病院があります。郡病院の下には保健センターが、10村に一つぐらいの割合で設置されています。保健センターは、准看護師が少ないところでは2名、多くても8名、ほかには補助薬剤師などがいる程度で、医師がいるのはまれです。

医療従事者は、少しずつ増えてはいますがWHOが推奨している数には追いついていません。なかなか増加しない大きな理由は、雇えないことです。教育はしていますが、私が現地にいた当時、看護学校を卒業して医療施設に雇われるのは10%程度でした。ラオスはほとんどの医療機関が公立の上、国家予算が小さく公務員の枠が限られているためです。またラオスは山が多く、僻地に住んでいる人たちは、最寄りの保健センターまで山を越えて行かなければいけません。道路の整備も不十分なため、8時間以上かかるという話も珍しくなく、アクセスは頭の痛い問題です。

5歳未満の子どもの死亡率、妊産婦死亡率ともに、ラオスは日本の30倍以上です。子どもに関しては、慢性的な栄養不足のため病気にかかりやすく、アクセスの悪さゆえに点滴もできず、命を落としてしまうことがあります。また着任当時は、保健センターではお産ができず、自宅で出産する人が8割ぐらいを占めていました。援助協調が進む中で保健省と援助団体が協力し合って助産師の育成を開始しました。徐々に保健センター等への配置も行われ、僻地の村には出張して妊婦の健診を行ったりするようになり、3割程度だった健診受診率は6割を超え、妊産婦死亡率も下がってきています。

―先生はビエンチャンに滞在していたそうですが、生活はいかがでしたか。

野田 ビエンチャンは非常に小さな首都で、街はゴミも少なくきれいです。一軒家を借りて家族と一緒に住んでいましたが、コンパクトな街に大抵の物がそろっているので、生活しやすかったです。食事も、ラオス料理は野菜が多く、バラエティーに富んでいて食べ飽きない上に、フランスの植民地だったこともあって、フランスパンのサンドイッチがとてもおいしかったです。フレンチやイタリアンレストランもあるし、日本料理店も私が帰国するころには10軒を超えていました。主食は米で、ご飯として食べる他に、粉にして麺でも食べます。麺は米粉にタピオカを混ぜているので、モチモチしていてとてもおいしいです。滞在最後の1年間は、ほぼ毎日、ランチでいろいろな店の麺を食べていました。

―国民性は。

野田 人は穏やかで優しいですし、真面目です。ただ仕事をする上では、われわれとはスピード感に差がありますね。でも怠けているわけではなく、ゆっくりというだけです。一方強さもあります。不便な状況でずっと仕事や生活をしているせいか、多少のことではめげません。彼らには何度も助けられましたね。私自身が追い詰められた時には「大丈夫だよ」と。私も人間同士の付き合いは分かっているつもりでしたが、改めて彼らから学ばせてもらいました。

―記憶に残っている出来事はありますか。

野田 ラオスの人たちと準備を重ねてきた母子保健関連のワークショップの5日前ぐらいに、私は盲腸になってしまいました。入院して手術を受けましたが、私がメインで準備をサポートしてきたイベントなので、延期かなと思っていました。当日、母子保健の別の分野を支援していた国際機関の助産師の女性が病院に電話をしてきて「やっておくから大丈夫、野田はゆっくり休みなさい」と。連携してラオスをサポートするという活動が、まさに機能した感じがして、とても嬉しかったです。

全ての人が健康であるために、住民主体で問題を解決していく

―先生は小児科の臨床をしていたそうですね。

野田 大学に入る時にはスポーツドクターになりたいと思っていましたが、在学中バックパッカーをしているうちに途上国に興味を持ち、国際協力をライフワークにしようと決めました。卒業を控え専門は外科にしたいと思いましたが、外科医だった父に相談したところ、はっきり「適正がない」と言われました。手先もあまり器用ではなく、自分でも向いてないかもしれないと思っていましたので、子どもがとても好きだったこともあり、国際協力でも重要な分野の小児科を選びました。

―公衆衛生の分野では、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)が専門だそうですね。

野田 全ての人が医療サービスを受けられるよう、貧しい人にも医療を届けられるようにすることを目指す取り組みです。途上国では、自分の家畜や田畑を売って医療費に当てることもよくあり、病気をすると財産も仕事も失う貧困のスパイラルに陥ってしまうため、重要視されている分野です。

―現在は地域包括ケアシステムの研究に携わっていると聞いています。

野田 途上国でも次々と高齢化社会に入る国がでてきており、今後は日本の高齢対策が参考にされていくはずなので、研究班を組んで取り組んでいます。
私自身も5年前に父を自宅で看取り、叔父や叔母も介護が必要になり、高齢化対策は身近なテーマでもあります。また大学の授業で「一次医療のニーズが圧倒的に多いのに対し、大学病院で働いている専門医が多く、総合診療医といわれる人はほとんどいない、完全なミスマッチが起こっている」と知った時に憤りのようなもの感じた記憶があり、ニーズに合った医療提供体制の構築は関心の高い分野です。

日本では、地域包括ケアシステム構築の取り組みが始まっていますが、一方途上国に関しては、1978年のアルマ・アタ宣言で、コミュニティーベースの医療システムを作ろうという提言がなされました。全ての人が健康であるために、住民主体で総合的に問題を解決していくプライマリ・ヘルス・ケアというアプローチです。病院医療から脱却し、地域主体の医療への移行を目指す地域包括ケアシステムは、私から見るとまさにプライマリ・ヘルス・ケアに向かっており、非常に興味を持って研究しています。

―最後に読者へのメッセージをお願いします。

野田 海外協力には、患者さんを直接診る協力と、私たちのような保健行政支援を通じた国づくりという二つの道があります。前者をイメージする方が多いかもしれませんが、違う関わり方もあることを、まず知っていただきたいと思います。

また、かつてインターナショナル・ヘルスといわれていたことが、今はグローバル・ヘルスといわれるようになっています。インター=間、ナショナル=国、つまり国の間に垣根があるという前提でしたが、グローバルはそのような前提が意味をなさなくなる世界観です。先程の地域包括ケアシステムもそうですし、途上国でも生活習慣病が増えているように、日本など先進国の課題と途上国の課題が近づいており、国内と国外を分けて考える必要がなくなってきている。日々の日本での経験が、海外でも十分役立つ時代になってきていると思います。

ラオス人民民主共和国

●面積/24万平方キロメートル
●人口/約649万人(2015年,ラオス統計局)
●首都/ビエンチャン
●民族/ラオ族(全人口の約半数以上)を含む計49民族
●言語/ラオス語
●宗教/仏教

平成29年4月5日時点/ (外務省ホームページより)

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