2013

06/20

発酵と腐敗

  • 感染症

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内藤 博敬
静岡県立大学環境科学研究所/大学院食品栄養環境科学研究院 助教。短期大学部看護学科 非常勤講師、静岡理工科大学 非常勤講師。専門は環境微生物学、病原微生物学、分子生物学、生化学。ウイルスや細菌の感染予防対策法とその効果について、幅広く研究を行っている。

ドクターズプラザ2013年6月号掲載

微生物・感染症講座(30)

微生物から受ける恩恵と損害

はじめに

これまでいくつかの感染症の原因となる微生物を紹介してきました。しかし、私たちの身の周りに数多く存在している微生物のほとんどは無害です。それどころか、お酒、味噌、醤油、お酢、漬物、パン、納豆、チーズ、ヨーグルトなどの食品や、抗生物質などを得るために人間は古くから微生物を利用してきました。私たちはこうした微生物の働きを「発酵」と呼んでいます。一方で、食べ物を「腐敗」させてしまうのも微生物の働きです。今回はこの「発酵」と「腐敗」について考えてみましょう。

消毒に使うアルコールを微生物が作る!?

もしも地球上に微生物が存在しなかったら、地球は生物の死骸で山積みになっていることでしょう。食物連鎖の中で、「分解者」としての役割を担う微生物は、動物や植物が死んだ時に土へと還してくれます。しかし、微生物自身は“思考”や“心”があって分解者としての任務を果たしているわけではなく、彼らが生きるために他の生物から栄養(ブドウ糖やデンプンなどの有機化合物)を得ている結果でしかありません。微生物もわれわれと同じように代謝などの生命活動を行うためにエネルギーを必要としますが、多くの微生物ではその元となる有機物を作り出すことができません。有機物を作る事ができるのは、植物や光合成ができる一部の微生物で、食物連鎖では「生産者」と呼ばれます。そう、ヒトも微生物も、生産者の作った栄養に依存して生きているのです。

生産者の作る有機化合物の中でも、エネルギーの産生は主としてブドウ糖の分解によって行われています。ブドウ糖を『水と二酸化炭素』に分解する際に生じるエネルギーを、アデノシン三リン酸(ATP)という形で保存し、エネルギーが必要な時にリン酸(ピロリン酸結合)を放出して使っています。ブドウ糖を最終的に『水と二酸化炭素』まで分解するためには「酸素」が必要で、人間は呼吸によって酸素を得ています。しかし、微生物の場合は生息する場所によって必ずしも酸素が得られるとは限りません(*1)。そこで微生物の中には、効率は悪いながらも酸素を使わずにエネルギーを得る能力を持ったモノがいるのです。酸素を使わずにブドウ糖からエネルギーを得ることによって、水と二酸化炭素ではなくアルコールや乳酸が生じてくることがあります。消毒に使うアルコールを微生物自身が作り出すというのは不思議な話ですが、エネルギーを得なければ生きては行けないという彼らの事情によって、お酒やヨーグルトがうまれてくるのです。

ヒトの都合で発酵と腐敗に分ける!?

アルコールや乳酸(ヨーグルトなど)は、われわれ人間にとって有りがたい産物ですね。微生物学の定義では、微生物が酸素を使わずに糖質を分解した場合を「発酵」と呼びます。日本酒や焼酎などが、米や麦・芋などの糖質(炭水化物)を原料にして作られることをイメージすると分かりやすいと思います。「腐敗」はというと、糖質ではなくタンパク質や窒素を含む化合物を微生物が酸素を使わずに分解し、悪臭などを生じる現象を指します。冷蔵庫の中で肉や魚が腐るようなイメージです。しかし、例えば納豆は大豆のタンパク質を納豆菌がアミノ酸に分解したものですし、ビールや日本酒の悪臭とされる「ジアセチル」はバターの特有香であったり、スウェーデンのシュールストレミング(ニシンの漬物)や韓国のホンオフェ・カオリフェ(ガンギエイの漬物)は悪臭のする食べ物として有名です。定義にとらわれるより、ヒトにとって有用な微生物の分解反応を「発酵」、ヒトにとって都合の悪い微生物の分解反応を「腐敗」とした方がスッキリしますね。

また、微生物の中にはエネルギーを得る以外に抗生物質などの代謝物を産生するモノがいます。こうした生命活動に関与しない代謝は二次代謝と呼ばれ、エネルギーを得るための一次代謝と区別されています。最近では、抗生物質のような発酵産物だけでなく、常在細菌を活発にする『プレバイオティクス』や、生きた細菌を使って宿主に好影響を与える『プロバイオティクス』の研究も進んでいます。これらの話はまたの機会にしましょう。

(*1)細菌は、酸素が無ければ増殖できない「好気性菌」、酸素が有ると増殖できない「嫌気性菌」、いずれの場合でも増殖できる「通性菌」に大別されます。好気性菌では酸素呼吸を行うための電子伝達系が存在しますが、嫌気性菌は持っていません。

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