2018

03/15

寄り添う支援は、自律を促し、活動を根付かせる

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国立研究開発法人国立国際医療研究センター(NCGM)・国際医療協力局・連携協力部・連携推進課で国際連携専門職の池田憲昭先生は、口腔外科が専門とのこと。あるきっかけで疫学、国際協力と歩みを進め、長く途上国の保健行政に対するアドバイザーとして仕事をしてきたという。今年3月で定年を迎える池田先生に、10年にわたって関わったコンゴ民主共和国での活動、日本流の支援の効果などについて伺った。

ドクターズプラザ2018年3月号掲載

海外で活躍する医師たち(22)/国立国際医療研究センター

疫学から介入。内なる声に従って

口腔外科から、疫学、そしてNCGMへ

――池田先生は、歯科の中でもなぜ口腔外科に進んだのですか。

池田 私が歯学部にいた1970年頃は、歯科医が非常に少なく、歯科医がいない市町村もありました。当時は感染症も多く、また自動車のシートベルトが法制化されていない時代で、顔面外傷も多かったです。その頃私は、虫歯や顎感染症の予防など、地域保健に携わろうと思っていたので、歯科医のいない地域では、歯の治療だけでなく外傷や感染症のマネジメントも必要だろうと考えて、口腔外科に進みました。

――HIV/エイズに関する疫学もしておられたそうですね。

池田 はい。大学病院で講師になった後、1984年にパリの口腔病・顎顔面外科学研究所に留学しました。たまたま向かい側に有名な熱帯医学研究所があり、1981年にロサンゼルスでHIV/エイズの一例目が発見された時代ですので、世界中のエイズの患者さんが治療に訪れていました。エイズの患者さんは、口の中にできものができたり、炎症を起こしたりするので、向かいにある顎顔面研究所にいた私は、そういった患者さんの治療もしました。患者さんを診ているうちに、口の中のスクリーニングで、HIVやがんの早期発見ができるのではないかと興味を持ち、結果的に疫学にも携わったのです。

――NCGMに入局したきっかけは。

池田 大学病院に戻り、口腔外科の助教授として臨床や研究をしていましたが、疫学を通じて原因が分かってくると、予防、介入がしたくなるのです。ちょうどその頃にNCGMから、ザイール(現コンゴ民主共和国)でのHIVの仕事に加わらないかとお誘いをいただき、入局しました。ザイールはフランス語圏ですから、フランス語ができることもお誘いの理由でした。ところが最初に派遣されたのは、ポルトガル語圏のブラジルで、2年間の公衆衛生のプロジェクトでした。このプロジェクトを通じて、貧困者の保健の状況や、途上国の保健行政の実際など、多くのことを実際に見ることができ、公衆衛生を学ぶことができました。

オーナーは相手方。寄り添う支援が日本流

――ブラジル以降は、どのような国で活動してきましたか。

池田 長期で行ったのは、仏語圏のマダガスカル、セネガル、コンゴ民主共和国です。マダガスカルは日仏協調の技術協力案件で、フランスの病院管理専門家や看護師たちと一緒に活動しました。病院を連携させるシステムを作るために、地域住民への教育や、病院のケアサービスの向上などが主な仕事でした。セネガルでは、保健省の大臣官房で、次官や大臣官房長のアドバイザーとして仕事をしました。セネガルの地方州では、女性は、識字率が20%程度で、体調が悪くても自由に医者にかかれないなど、女性の尊厳が保証されておらず、そういう地域でこそ「人間的な出産ケア」をすべきだと考えました。当時は無理だと言われましたが、当時の提言がきっかけとなり、10年たった現在では広がりを見せています。

――コンゴ民主共和国での仕事は。

池田 保健省の次官に対するアドバイザーでした。2013年から4年半の長期派遣を終え、昨年12月に帰国しましたが、短期では2008年から年に2回程度行っており、10年間携わってきたことになります。長く紛争が続き2006年に民主化されたコンゴ民主共和国は、2008年当時、行政が脆弱で、また各国からの団体もそれぞれに支援しており調整する必要がありました。私は次官をサポートする立場でしたので、次官とよく話をし、書類は全て確認し、会議には一緒に出て、次官に情報が集約されるようにしたり、次官が抱えている問題を整理して一緒に解決したり、各プロジェクトを側方から支援したり、複数の局と連携したり、調整メカニズムを活性化したり……、というような仕事でした。

――2008年頃と比べて、現在のコンゴ民主共和国はどのように変化していますか。

池田 随分良くなっていると思います。行政各部署の中でも、特に日本が関わっているところは、自分たちでやっていこうという姿勢、自信を持っているように思います。考え方はいろいろありますが、私は、オーナーシップはあくまでもカウンターパートにあって、彼らがやりたいことをサポートするのがアドバイザーの仕事だと思っています。おそらくNCGMのスタッフは、同じ気持ちで仕事をしていると思います。

やるべきことをわれわれが決め、それをやらせるという方法を採っている国や団体もありますが、早く成果が出やすい反面、支援が終了すると続きません。日本の支援の仕方は、意識を変えることを大切にしているので、相手方が自律して取り組みを継続できる可能性が高いのです。ただ、相手が考えたり、気付いたり、行動するのを待つことが多く、忍耐は必要ですね。

コンゴ民主共和国におけるカウンターパートとの打ち合わせ

命の危険にさらされたことも

――コンゴ民主共和国の保健システムの状況は。

池田 国立病院は1次〜3次までありますが、地域の保健センターには看護師が一人という状態です。体の具合が悪い時に最初に行くのは、薬草などで治療するトラディショナル・ヒーラーと呼ばれる人のところで、西アフリカのエボラ出血熱流行の時も、最初に死亡したのはトラディショナル・ヒーラーたちでした。住民が健康、医療に関する正しい知識を身に付けることは非常に重要ですね。医療保険はなく、公立の病院でも料金は異なります。また地方には医師がいないことも多いです。

医学部や看護学校がどんどん造られているので、医療従事者は増えています。しかしまだ国が教育システムをコントロールできていないため、質の保証はされていません。医師になっても働く場所が少なく、国内では給料が安いことなどから、南アフリカなどに流出することが多いです。

――現地の人たちは、どのようなものを食べるのですか。

池田 タロイモを粉にして、水で練った「フフ」を主食に、肉や野菜を油や香辛料で料理して食べます。コンゴ川で採れた魚をバナナの皮で蒸した「リボケ」という料理はおいしいですね。毛虫を佃煮のようにして食べることもあります。私はスーパーマーケットで買物をして主に自炊していました。値段を気にしなければ、大概のものは手に入ります。

――治安など安全性はどうでしょうか。

池田 治安は良くないので、私が住んでいたのはJICAで指定されているアパートでした。治安や熱帯性疾患の危険性もありますが、交通事故も増えています。私は2回、死にかけました。1回はアパートのエレベーターの事故です。日本のエレベーターのように自動の2枚扉ではなく、1枚の扉を手で押し開けて降ります。普通は扉が開いたら操作できないはずなのに、私が降りようとした時に別の階で操作されて動いてしまったのです。私は頭を強く打って、ICUにも1日入りました。日本のエレベーターは群を抜いて安全基準が厳しいそうですが、海外では止まったり、落ちたりすることも珍しくありませんね。

もう1回は、火事です。しかも昨年12月に帰国する2日前、アパートでのことでした。停電後の通電で強力な電圧がかかったようで、動かしていないエアコンが焼き切れて燃え、部屋全体に火が回りました。その時私は、少し仮眠してから帰国の準備をしようと、アパートの寝室で横になっていたのですが、鼻粘膜で何かを感じて、寝室から出たらそういう状態。パスポートだけ持って逃げました。私物がほとんど燃えてしまったので、とてもシンプルな帰国になりましたが、多少持って帰ってきた荷物を開けてみると、ガラクタばかり。動転していたのでしょうね。でも、命があって良かった。これからはシンプルに暮らそうと思っています。

――10年にわたるコンゴ民主共和国との関わりの中で、忘れられない出来事は。

池田 局長などに何度か「日本が初めてわれわれを『大人』として扱ってくれた」と言われました。それまでは、支援側が決めたことを言われるままにしてきたので、正直な気持ちなのだと思います。日本流のやり方は彼ら自身が考えなければならず、最初は面倒だと思ったようですが、対等に扱ってくれている、尊重されているという印象を持ったようです。アフリカのメディアから取材を受けた局長が「自分たちがやりたいことをビジュアライズしてくれる」と言っているのを聞いて、分かってくれているんだな、良かったなと思いました。これまでに派遣された国には、プライベートで訪れたりしますが、われわれがやってきたことが10年後、20年後に根付いているのを目の当たりにすることがあります。そういう時はとても嬉しいですね。

――今年3月で定年を迎えるとのことですが、その後の計画は。

池田 今までの経験によって、多くのスキルや知識の蓄積ができたと思います。もしそれを使いたいという人がいれば、何かお手伝いしたいですね。プライベートでは、トレッキングを始めようかなと。これからは基礎体力が大事ですから、まずは歩こうと思っています。

――最後に、読者にメッセージをお願いします。

池田 私は疫学をやっていて、介入したくなったとお話しましたが、自分の内なる声、居ても立ってもいられないという気持ちがある方は、自分で危機管理をして、現地に行ってみるといいと思います。人に寄り添うといったことは、専門性がなくてもできることですから。現地で実際に見てみると、衝撃を受けることも多いと思います。

 

◆コンゴ民主共和国
●面積/234.5万㎢
●人口/7,874万人(2016年、世銀)
●首都/キンシャサ
●民族/バンツー系、ナイル系等
●言語/フランス語(公用語)、キコンゴ語、チルバ語、リンガラ語、スワヒリ語
●宗教/キリスト教(80%(カトリック50%、プロテスタント20%、その他10%))、イスラム教(10%)、その他伝統宗教(10%)

平成29年8月7日時点/ (外務省ホームページより)