2018

01/16

対人距離の拡大と虐待

  • メンタルヘルス

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西松 能子
『よしこ先生のメンタルヘルス』
立正大学心理学部教授・博士(医学)、大阪医科大学医学部卒業。
公徳会佐藤病院精神科医長、日本医科大学附属千葉北総病院神経科部長、コーネル大学医学部ウェストチェスター部門客員教授を経て現職。
日本総合病院精神科医学会評議員、

ドクターズプラザ2018年1月号掲載

よしこ先生のメンタルヘルス (47)

増える虐待事例の背景にあるもの

パワーハラスメントやセクシャルハラスメントが職場のコンプライアンス委員会で話題になることが、私たちの身の回りで増えていませんか? 児童相談所に通報される虐待事例もうなぎ上りです。現代社会は、実際には人類の歴史上最も飢餓や戦争で亡くなる人の少ない時代ですが、対人葛藤で苦しむ人や肥満で悩む人が増えている時代かもしれません。

村社会が消えつつあり、対人距離が遠くなり、2013年に発行された「やっぱり見た目が9割(竹内一郎(著)、新潮社(刊))」などという本がベストセラーになるなど、以前よりはるかに外見の重要性が増しているようにみえます。対人距離が遠くなった結果、隣の人がどのように暮らしているか全く分からなくなり、パッと見たりパッと聞いたりする情報が全てになりました。

隣の家との夕食のおかずのやり取りなど都会ではあり得ないことになりました。おかずを持っていくなど迷惑と思われそうですし、約束もなく訪問することも、隣家の子育てを垣間見ることも少なくなっています。孤立した中で、老人の介護や手のかかる子育てをしていくのは、類人猿の時代から集団で子育てや老人の世話をしてきた「ヒト(サピエンス・サピエンス)」には本当に過酷なことだと精神科外来の診察室に座っていると感じます。

教育・矯正のつもりが、虐待と捉えられるケースも

Aさんが血相を変えて受診してきました。数カ月前にアルコールの問題のある夫と離婚し、よく寝られるようになったと受診が途切れていた患者さんです。診察室に入るなり、滝のような涙です。マンションの誰か分からない人に児童相談所に通報されたというのです。しかも通報直後に学校で保護された長女が「ママから叩かれている」と訴えたため、長女は児童相談所に一時保護されたというのです。「確かに娘を叩きました。でも見てください、このあざ。娘が宿題をしないのでゲーム機を取り上げたら私に飛びかかってきて、ゲーム機を取り合って結局私はこんなにあざができて、私も叩いたんですけど……」と訴えます。

保護された娘は自宅に帰ることなく、祖母宅に返されました。2週間ほど後に「児童に関する情報提供依頼」が児童相談所長からクリニックへ送られてきました。児童福祉法第11条及び第12条、児童虐待の防止等に関する法律第13条の4の規定に基づく問い合わせでした。そこには、児童虐待の防止等に関する法律第6条に基づく通報により、精査が必要なため依頼するとありました。第6条では「児童虐待を受けたと思われる児童を発見した者は、速やかにこれを市町村、都道府県の設置する福祉事務所もしくは児童相談所に通告しなければならない」となっています。

マンションで親子が相争い、大きな音がしたことを不審に思った人がいたのでしょう。幸いAさんは、それまで長女を殴ったりしたこともなく、落ち着いて事情を聴かれた長女は「自分もママのことを叩いた。今までママが私を叩いたことはない」と話したので、児童相談所保護とはなりませんでした。

教育や矯正には、常に強制の側面があります。一時代前には、教育や矯正と考えられたことも現代社会では暴力的な強制と判断される場合も増えています。核家族で閉塞的な環境の中で、親が子どものために善かれと思ったことも、客観的には虐待的であることも多い時代になりました。うつ病で収入のなくなった父親の代わりに、母親が深夜まで働いている家庭で子どもたちが充分なケアを受けられないことから、診療所が福祉事務所、児童相談所に連絡したケースもありました。かつては両親が貧しく、その中で子どもたちが育つことは、虐待的環境とみられませんでした。現代社会では、次の世代を担う子どもたちに充分な支援を提供することは、親が貧しい場合は社会の責務となっていると皆が認識しています。

虐待数の増加は社会の大きな変化の表れだと感じます。社会が孤立して子どもを育てる社会に変わり、そこには「ヒト(サピエンス・サピエンス)」本来の子育てとは異なる工夫と知恵が求められています。現実は対人距離の拡大と共に、インスタグラムやツイッターなど見せたい自分については対人距離を著しく狭める社会が目の前に展開しています。私たち「ヒト」は、新たな子育て、老人介護、対人距離を創造する時代になっているのかもしれません。皆で新しい知恵を出せるといいですね。

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