2014

05/15

子どもたちの春

  • メンタルヘルス

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西松 能子
立正大学心理学部教授・博士(医学)、大阪医科大学医学部卒業後、公徳会佐藤病院精神科医長、日本医科大学附属千葉北総病院神経科部長、コーネル大学医学部ウェストチェスター部門客員教授を経て現職日本総合病院精神科医学会評議員、日本サイコセラピー学会理事、日本カウンセリング学会理事、現在あいクリニック神田にて臨床を行う。

ドクターズプラザ2014年5月号掲載

よしこ先生のメンタルヘルス(25)

学校へ行けなくなった時には

子どもの精神科

新学期が始まりました。新しい学年が始まり、新しいクラスメートと出会います。受け持ちの先生も変わるクラスも多いでしょう。4月の中旬には何となく仲良しグループができてきます。あっという間に家庭訪問が始まり、5月の連休になりました。ゴールデンウイークには、A君一家はおばあちゃんの家に遊びに行きました。東日本大震災以来、3年ぶりに訪れたおばあちゃんの家は何事もなかったように海を見下ろす丘の上に立っていました。変わらない笑顔でおばあちゃんは出迎えてくれました。山や川も変わりなく、元気に走り回って遊んでいましたが、ただ一つの変化はいとこが震災で亡くなったことでした。すでに知らされていたいとこの死でしたが、いとこの家で仏壇に線香をあげた日は、何度も「今はどこにいるの」とおばあちゃんに尋ねていました。次の日には何も聞かないようになり、元気に遊んでいたので、おばあちゃんもお母さんも安心しました。

連休明けの帰京後、熱が出て学校を休みました。かかりつけの小児科の先生に「喉がずいぶん腫れているね。風邪薬を飲もうね」と言われ、薬をもらって病院から帰ってきました。数日で熱が下がりましたが、それからいざ学校に行く時間になると、お母さんに「頭が痛い」「おなかが痛い」と訴えて、登校をしぶります。5月の下旬になると、かかりつけの小児科の先生は、「どうやら体じゃなくて、こころの問題かなあ。子どもの精神科っていうのがあるんだけど、紹介するね」と紹介状を書いてくれました。

すぐに予約を取りましたが、初診予約が取れたのは6月の末でした。お母さんは「6月の末なんて、その頃にはもう学校に行けるようになっているわよね」と愚痴交じりにこぼしましたが、6月になってもA君は学校に行こうとするものの、様々な症状で行けない日が続いていました。何とか行ける日もありましたが、3日と続きませんでした。春の遠足も直前まで楽しみにしていましたが、当日はおなかが痛くて参加できませんでした。お土産を持ってきてくれた担任の先生には会うことができて、「明日は行きます」と元気に宣言しましたが、結局次の日も行けませんでした。児童精神科の専門のB先生に会って、何より安心したのはお母さんでした。A君も初対面の医師と打ち解けた様子でした。お母さんに「先生もガンダム好きなんだって」と嬉しそうに話しかけました。

子どもたちが学校へ行けなくなる事情

A君が学校に行きしぶるようになってから、家族の中で肩身の狭い思いをしてきたお母さんは、不登校があった子供たちの85%は望んでいた水準の教育を修了し、社会的適応において一般人口と有意差がない、統合失調症など合併疾患がない、不登校の予後がよいことなどを知り、とても安心しました。A君も通院を楽しみにするようになりました。面接の中でA君の不登校の理由の一つは、「死への恐怖」だということがわかりました。家を空けている間にお母さんなど大事な人がいなくなってしまうのではないかという強い不安にさいなまれ、どうやら学校に行きにくくなっていたようです。心の中に浮かんできた「死への恐怖」を恥ずかしいことだと感じて、誰にも話すことができなかったのですが、B先生には話すことができました。B先生は「ほんとだねえ。怖いよねえ」と誰にでも起こることと受け止めてくれ(normalization)、その不安を抱えながら学校に行くコツ(SST)を一緒に考えてくれました。おなかが痛かったり頭が痛かったりしても学校に行っても大丈夫、家に帰ってくればお母さんはちゃんと待っている、と実感できるようになった頃には、すっかり続けて学校に行くようになっていました。

子どもたちが学校に行けなくなると、周囲の大人たちはそれはそれは心配します。しかし、子どもたちが学校に行けなくなる事情は、一人一人異なります。児童精神医学の領域では、学校に行けなくなった一人一人の子供たちの事情を聴き取り、個別に対処を考えていきます。統合失調症やうつ病など重篤な精神疾患を合併しない場合の予後は良好とされており、まずは専門医に相談してみることが大事です。現在の日本では増えてきたとはいえ、児童精神科医は少ない現状があります。かかりつけの小児科医にまずは相談してみましょう。

 

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