2022

01/04

今できることを探して前向きに

  • 特別インタビュー

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オリンピック5大会連続出場という偉大な足跡と、2つのメダルをはじめとするさまざまな記録を持つ三宅宏実さん。満身創痍で挑んだ東京オリンピックの舞台で、最後まで諦めずに挑戦し続ける姿は感動を呼んだ。その興奮が冷め切らない10月初頭、パラリンピック選手の食事指導など、スポーツ選手の栄養サポートに取り組む管理栄養士の内野美恵さん(東京家政大学ヒューマンライフ支援センター准教授)が、ウエイトリフティングの魅力や、アスリートとして輝き続けるための心身の健康法を伺った。

ドクターズプラザ2022年1月号掲載

特別インタビュー/三宅宏実さん(元ウエイトリフティング選手)

どんな困難のときも、全部がダメだわけじゃない

1年の延期を有意義に。年齢を重ねる厳しさも

内野 東京オリンピック、お疲れさまでした。特に今大会は新型コロナ感染症の影響により、開催が1年延期となりました。普段の競技大会とは違う大変なこともあったのではないでしょうか。

三宅 アスリートに限らず、すべての方々にとって特別な日々であり、大変な時期だったと思います。アスリートに関していえば、1年の延期がプラスに働く選手、マイナスに働く選手の両方のケースがあったと思います。私自身は、どちらかといえばプラスの面も少なくありませんでした。東京オリンピックで競技生活に区切りを付けようという思いもあったので、1年間延びたぶん、競技生活を長く続けられた。仲間たちと過ごせる期間も延びた。それと、自宅でトレーニングするという、なかなか経験のできないトレーニング生活を味わえた時期でもありました。

内野 1年間の延期で体調管理も大変だったと思いますが、どうでしたか。

三宅 体調面では1年前の方が疲れがたまっていて、あちこちに痛みも出ていたので、体を休めて治して整えるという面では、マイナスはあまりなかったです。ただ、減量の面では、年齢を重ねるごとに難しくなってくると感じました。昔なら体重を落とそうと思えば比較的簡単に落ちたのに、同じようにしても落ちづらい。脂肪も付きやすくなりました。

内野 減量方法を変えたりするなど、されたのですか?

三宅 今までの減量経験を生かして、しっかり食事を取りながら増えたらその都度落とすことを心掛けました。試合の前に合わせるという人もいますが、私は食べることが好きで、我慢を続けるとストレスになるので、常にあまり増やさないように心掛けています。試合がないときでも1日最低3回程度は体重計に乗りますし、試合を意識する時期になれば、1日10回くらい体重を測ります。

テクニックとパワー。心理的駆け引きも重要

内野 体づくりの基本である食事のことなども伺いたいのですが、その前に、ウエイトリフティングのルールや魅力を教えていただけますでしょうか。自分の体重よりも重いものを頭の上に上げるという、普通の人はなかなか経験しないことですよね。

三宅 ルールを簡単に説明しますと、階級ごとにスナッチとクリーン&ジャークの2種目を行います。それぞれの種目の最高記録による順位と、2種目の最高記録の合計で順位が決まります。持ち上げさえすればいいというわけではなく、動きのスムーズさや姿勢など細かい部分まで審判が審査し、認められてはじめて成功になります。まずスナッチ、次にクリーン&ジャークという順番で、それぞれ3回トライできます。成功すると次は自動的にプラス1㎏に設定されるので、最初に自分で申告する重量がとても重要です。

内野 スナッチは、床に置いてあるバーベルを一気に頭の上へ。クリーン&ジャークは、まず肩の高さまで持ち上げて、次に肩から一気に頭上に上げるということでよいでしょうか。それと、違う動作を行うということは、選手によって得意、不得意があるのでしょうか。

三宅 はい。そうです。得意、不得意はありますね。いずれも技術とパワーを必要としますが、スナッチは特に技術が要求され、クリーン&ジャークはパワーが必要とされています。私はスナッチが苦手で、パワー型のクリーン&ジャークの方が得意なタイプです。

内野 肩や腰、腕などに非常に負荷がかかるスポーツのように見えますが、どんなところが魅力でしょうか。

三宅 基本的にはスナッチもジャークも全身運動で、くまなく筋肉を使います。それがウエイトリフティングの素晴らしいところだと思っています。自分よりもずっと重いものを真上の頭上に持ち上げる。そのためには全身、細かい筋肉から大きな筋肉まで、下から上まですべてが使われます。

私にとって一番楽しいのは、記録に限界がないことです。自分が100㎏を上げれば、次は101㎏になる。その1㎏を伸ばすためにどうしたらいいのか。どんなトレーニングをすれば、次が上げられるのか。1㎏を伸ばすためには時間がかかりますが、結果が数字になって明確に目に見えるのがすごく面白いところです。

内野 筋肉を鍛えている人から「具体的に鍛えたい筋肉をイメージし、話し掛けながらトレーニングをする」という話を聞いたことがあります。体に話し掛ける……。ということはあるのですか。

三宅 体に対して「今からこれくらいの重量を上げるよ。頑張ってね」というようなことを意識しながら体を動かしていくということがあります。いきなり負荷をかけたら体もびっくりすると思うし、最後は体に頑張ってもらわないと上がらない。心と体を一致させるためといえばいいのかな……。最後の最後は体に『何とか頑張ってほしい』と願いながらウエイトを持ちます。心と体がピタリと一致して、“両思い”になって動けたら最高です。なかなかそうはいきませんが、だからこそ挑戦しがいがあるのだと思います。

内野 “火事場の馬鹿力”という言葉がありますが、練習で上げられなかった重量を試合で上げられることはあるのでしょうか。

三宅 あると思います。アドレナリンも出ますし、自国開催のオリンピックというようなシチュエーションなら、特にそういう目に見えない力が作用するかもしれません。私も試合で初めて上の重量に成功したことがあります。そしてそれを可能にするのも、その瞬間までの練習の積み重ね。それがその瞬間に発揮されたということです。めったにない気持ちいい瞬間、最高にいい試合です。

内野 一見、力がものをいう競技のようですが、心理的な駆け引きもあるのでしょうか。

三宅 はい。相手との駆け引きが繰り広げられる心理戦。マインドがかなり影響するのがこの競技の特徴です。

内野 個人競技なので、自分の力を出し切ることに集中するものと思っていました。心理戦とはどのようなものなのでしょうか?

三宅 試技前に各選手が何㎏に挑戦するかを重量申告するのですが、他の選手たちの申告を見た瞬間に、その試合での自分の立ち位置が分かる。『今日は勝てそうだ』『全くダメだ、レベルが違うな』というように。そこからメンタルを保たなければなりません。このメンバーの中でより順位を上げるために、『この3本は絶対に落とせない』とか、スナッチの順位が決まった後なら、『ジャークはどうしたらいいか……』、とか。申告は絶対のものではなく、試合の中で変えることもできます。わざと強気な重量を見せたり、相手の結果を見て変えたり、相手の気持ちを揺さぶるために変えたり。そういう駆け引きが試合中ずっと続くので、メンタルが強くないと戦い抜けないんです。

相手の状況によって対応を変えなければならないけれど、自分のリズムを崩したら終わり。先に相手が成功した後、自分が失敗したら後がない。という状態になったときのプレッシャー。1本しか上げられないからこその、絶体絶命的なピンチ感。それはとても厳しいものであると同時に、私にとって他の競技にはない魅力を感じています。

オリンピックでメダルを!  人生初めての目標に

内野 聞いているだけで息詰まるものを感じます。そういう駆け引きやプレッシャーの中で全力を出し切ることができる、心身が噛み合った選手が勝利を手にするのですね。そんな厳しい世界でオリンピック5大会連続出場。ロンドン大会で銀メダル、リオ大会で銅メダルを獲得した三宅さんですが、子供の頃はピアノに打ち込んでいたとか。

三宅 私は音大を出た母にピアノを教わっていて、父、叔父、2人の兄や従兄弟はウエイトリフティングの選手という環境でした。でもウエイトリフティングには、全く興味がなかったんです。家族が出場する試合を見ながら『何が面白いんだろう』と思っていました(笑)。父や叔父から勧められることもありませんでした。

内野 それなのに、宿命のように引き込まれていった? きっかけは、女子ウエイトリフティングが正式競技に採用された2000年のシドニーオリンピックだったそうですね。

三宅 中学3年生でした。当時の私にはやりたいことがなくて、それを見つけられないことに焦りがあったような気がします。何かを成し遂げて心から達成感を味わうということもない。そんな自分を変えたかった。ウエイトリフティングそのものよりも、シドニーオリンピックを見たことに感動して『私だったら何の競技がいいかな? やっぱり身近なウエイトリフティングかな』という、ある意味、安易な選択だったのかもしれません。人と違うことをしてみたい、夢が欲しいという気持ちもあったのだと思います。

内野 ウエイトリフティングを始めたい、と言った時のご家族の反応はいかがでしたか?

三宅 母はショックを受けていました。大変さも知っているし、女の子にはさせたくないという葛藤がずっと見えましたね。父は最初、半信半疑で聞いていましたが『本当にやるなら、オリンピックのメダルを目指そう』『途中で投げ出すことは許さない』という2つの条件を出されました。

内野 そこからは全力投球ですね。自宅の台所でお父さまと練習して、3カ月後には、お父さまが高校1年生の時に挙げた42.5㎏のウエイトを挙げたそうですね。その4年後には、もうアテネオリンピックへの出場を果たします。お父さまの指導も良かったのだと思いますが、おそらく厳しい練習の日々。お父さまに抵抗を感じたことなどはありませんか。

三宅 父は褒めて伸ばすタイプなんです。気持ちを持ち上げる指導だったので、抵抗はありませんでした。私としては付いていくので精一杯でしたが、記録も伸びていくのですごく楽しかった。何より自分の意志で何かに打ち込むのが初めてだったので、うまくなりたい、強くなりたい一心でした。父も、いつもずっとサポートしてくれて、それは本当に良かったです。

内野 やめたいと思ったことはないですか。

三宅 それがないんです。やめたいと言えばやめていいという両親だったと思います。でも自分自身、ずっと中途半端だったので、オリンピックでメダルを取りたいという夢だけは達成したいと思い続けていました。それに、競技をしていると新たな仲間たちとの出会いがあり、全国大会では全国にたくさんの友達ができる。そういうことが幸せで楽しくて、それが試合の楽しみでもありました。仲間が私の人生の財産です。

悔しさ、喜び、挫折。そして感謝。すべてを出し切った東京五輪

内野 オリンピック5大会連続出場というのは、なかなかできないことだと思います。それぞれのオリンピックにたくさんの思い出があると思いますが、中でも心に残っている大会はありますか。

三宅 選ぶのが難しいけれど……、北京かな。最初のアテネでは、経験を積ませていただくような気持ちでした。その上で臨んだ北京で結果が出せなかったことへの悔しさ、オリンピックの難しさを感じました。日本代表になれるのは限られた選手です。一生懸命頑張りながら、出場を果たせず涙した選手がいる中で、選んでいただいた自分が結果を残せなかったことが悔しくて。4年に1度というタイミングにピークを合わせること、その管理ができていなかった……。自分はダメだと痛感し、自分の心に喝を入れて、変えてくれたのがあの大会でした。メダルを取れた大会はもちろんうれしい思い出ですが、その礎になった北京大会は深く心に刻まれています。

内野 深いお話ですね。つらいときにもうひと踏ん張りするためには、その前の転機がものをいうのかもしれません。その後のロンドンとリオではメダル獲得。そのときはどんなお気持ちでしたか。

三宅 12年間かけて、『やっと取れた』。『長かったけれど、うれしいな』。そういう気持ちでした。ロンドンで初めて夢を達成したこと。そこまでにかかった時間や労力、いろいろな思い。そういうものがあったからこそ、とてもうれしかったです。リオに関しては、心身共に本当にギリギリの状態の中で取れたメダル。同じメダルでも、2大会連続で取ることの難しさを感じて、だからこそじっくり深く味わううれしさもありました。うれしさが違う2つの大会でした。

内野 そして迎えた自国開催ですが……。クリーン&ジャークで2回連続失敗してしまい、3回目に臨むときはどんな気持ちだったのでしょうか。

三宅 『最後のこの1本は取りたい』という気持ちと、『とにかく最後まで諦めないで頑張るんだ』。『でも記録がめっちゃひどいな』。『恥ずかしいな』。そんないろんな気持ちが入り混じっていました。でも、やっぱり何より『諦めないでやろう』という気持ちが強かったと思います。

内野 3回目も失敗。三宅さんのオリンピックは終わりましたが、その時の心境をお聞きしてよろしいでしょうか。

三宅 複雑な心境ではあったんですが、最後に、この東京の舞台に立つことができて良かったな……、と。ただ、5大会を振り返った中で、こんなにも記録が落ちるんだということは衝撃でした。4年前、8年前には、こんなふうになる自分を想像していなかった。これがウエイトリフティングの難しさだと改めて知りました。骨とか筋肉といった人体全体を非常に酷使するので、年齢を言い訳にしてはいけないけれど、この競技の選手生命は28 歳前後だなと痛感しました。

内野 私は最後の三宅さんの表情にすごく感動しました。パイオニアとして真摯にずっと取り組んできて、満身創痍で臨まれた最後の挑戦、最後のシーンは、人々にものすごく勇気や感動を与えたと思います。

三宅 自国開催でなければ、もっと早く引退していたかもしれません。だからこそ、もうちょっとだけ頑張ってほしかったかな、私の体に……。東京での結果を考えると、『うまくはいかないもんだな』、と。でも最後まで諦めないで頑張れたのは事実。ダメかなと思うことは何度もあったのですが、オリンピックへの出場が決まってから試合当日まで、たくさんの人に支えられて舞台に立てました。その上で、悔しいけれど自分の限界。これですべて。そういう感じです。東京オリンピックは、思い出としてはちょっとつらいけれど、今はしっかり前を向いて次のステージに行きたいと思っています。

体をつくる食事は、自分のすべての源

内野 ここで少し食事や心身のメンテナンスのお話をお聞きしたいのですが、好きな食べもの、嫌いな食べものはありますか?

三宅 嫌いな食べものは何もないんです。食べることが大好きで、肉も魚も何でも好き。ラーメンとか脂っこいものも好きです。でも一番は和食、和食が大好きで、海外の大会でも、お米とお味噌など持っていけるものを持っていって、料理して食べたりしています。

内野 普段の食生活で、特に気を付けていることなどありますか?

三宅 基本的に母が作ってくれる食事を取っています。母がいつも食事に気を使ってくれて、1日30品目を意識して用意してくれます。大皿だと何を食べたか把握できないからといって、少しずつ小鉢に入れて小出しにしてくれます。体重キープも必要なので、食べるものの質と量がきちんと分かるようにと。見栄えにも気を使って、おいしく満足感があるよう盛り付けや器にも気を使ってくれています。

内野 日本人の平均が1日22〜23品目。頑張っても25品目といわれていますので一日30品目を意識されていたお母さまは相当頑張られていたことと思います。素晴らしい! しかし、この一日30品目を揃えることで栄養バランスが整うという考え方は、現在は使用されなくなっています。30品目を揃えることがプレッシャーになったり、食品目の考え方が複雑で七味唐辛子で7品目というような誤った数え方をするなどがあった上に、そもそも30品目に科学的根拠がなかったことが明らかとなり、2000年に厚生労働省発表の食生活指針から外されました。現在は、主食、主菜、副菜が揃った食事を心掛け、毎日果物と乳製品も食べるようにという指導となっています。ただし、三宅さんの場合は、お母さまが行っている小鉢に入れて小出しにするなどの食事管理方法で、栄養バランスが整っているのではないかと思います。

話は変わりますが、メンテナンスの面では、膝や腰に負担をかける競技であり、リオでは痛み止めを打って出場したと聞いています。痛みというのはコントロールできるものですか。

三宅 コントロールしないといけないですね。それも体調管理の一部です。アスリートはみんな満身創痍。酷使しながら記録に挑むのがアスリートであり、その中で最低限必要な練習ができる体をつくらないといけない。痛みを軽減することにも食事の見直しは必要です。体をつくってくれる一番の源が食事。その時食べたからその場で変わるのではなく継続が大切ですよね。人間の体というのは全部つながっていて、いつかどこかに結果が出てくると思います。

内野 本当にそうだと思います。食事の効果に即効性は期待できませんが、疲労や痛みで消化吸収率が落ちている時に、ボリュームたっぷりの肉や魚を食べろといわれても消化不良に陥ってしまいますし、減量中だからといってサラダばかりでは、筋力が落ちてしまいます。お母さまがされていたように、いろいろな料理を少しずつ小鉢で出してくださった方法は、体が今何を必要としているのかを、感じ取る上で効果的な食事法だったかもしれませんね。

三宅 若い時は体力がありますし、食生活が少しぐらい乱れても何とか取り戻せます。けれど年齢を重ねると、食生活や生活リズムの乱れが後から出てきますね。食べたものがエネルギーになったり、逆に体調を崩すもとになったり。アスリートにとっては、パフォーマンスを左右するもの。食事とスポーツは切り離せないということを身をもって感じています。

今できることを精一杯。誰かをサポートできる存在に

内野 ウエイトリフティングについて、心理面の安定も非常に重要だというお話でしたが、気持ちの切り替えというのはどのようになさっていましたか。

三宅 この競技を長く経験しているので、切り替えは自然にできるようになっているかもしれません。悲観するとドンドン落ち込んでしまうので、起きたことは仕方がないことと考えて立て直す。自分はどうしてきたか。どうしていきたいか。自分の頭で考えて楽しく前向きになれるようにしています。

内野 今、注目を集めているレジリエンスですね。事が起きた時にそれを受け止めて跳ね返せるような力を三宅さんの言葉から感じました。いろいろなことが起きるけれど、それは当然のこととどっしり構えて、自分の立ち位置をしっかり整えて生きていく。競技の中で身に付けた力が、三宅さんの中にあるのだと思います。良いお話を聞かせていただき、ありがとうございます。ところで、三宅さんは座右の銘などはありますか。もしあるようでしたら教えてください。

三宅 一番好きな言葉は“今できることを精一杯頑張る”ということ。これは父がずっと言ってくれている言葉なんです。どんな困難のときも、全部ダメなわけじゃない。できることが必ずあるから、それを探してやっていったらいいんだよ。そういう言葉をもらってからは、トラブルがあってもとにかくできることをたくさん探して、コツコツ実行していく。そうしていれば、頭でいろいろ考えて悲観することもなく前向きに進んでいけると思っています。

内野 先程の気持ちの切り替えにも通じることですね。引退してもいろいろなことがあると思いますが、三宅さんには指導者をはじめ、セカンドキャリアの可能性がたくさん開けていると感じます。最後に今後の活動予定などを教えてください。

三宅 今後の具体的な予定は決まっていません。ただ、私自身が競技生活の中で多くの人たちにサポートしてもらったことがすごくうれしかった。私も誰かのそういう存在になれたらいいかな。少しでも役に立つことができたらいいかな。どんな形かは分かりませんが、それは強く願っています。英語を勉強して話すことができるようになりたいという目標もあります。目標がないと人生は面白くないですよね。常にゴール設定をしてチャレンジすることを忘れずに、刺激的な日々を過ごしていきたいと思います。

※インタビューはオンラインで行いました。
※写真撮影は、東京都の緊急事態宣言解除後に行いました。

 

◆プロフィール

三宅 宏実さん
埼玉県出身。
中学3年生の時に見たシドニーオリンピックに感動し、ウエイトリフティングを始める。
•主な成績
2001年 全国高校女子選手権大会(53㎏級)優勝
2003年 全日本選手権大会(53kg級)優勝
2004年 アテネオリンピック(48㎏級)9位
2008年 北京オリンピック(48㎏級)4位
2012年 ロンドンオリンピック(48㎏級)銀メダル
2016年 リオデジャネイロオリンピック(48㎏級)銅メダル
2021年 東京オリンピック   出場

内野 美恵さん
博士(学術)・管理栄養士・公認スポーツ栄養士。
東京家政大学ヒューマンライフ支援センター准教授。
東京都食育推進委員会委員。
日本障害者スポーツ協会日本パラリンピック委員会医科学情報サポート栄養担当。