2020

12/23

人生全ての事に意味がある

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1998年長野オリンピックの正式種目になるまでは、マイナースポーツだったカーリング。初出場のオリンピックで日本女子代表チームは5位入賞を果たし、一躍脚光を浴びた。その後、日本女子チームは6大会連続で冬季五輪に出場し、「カーリング娘」の愛称で知られるようになった。今号の特別インタビューでは、これまで3大会に出場し、今もママさんアスリートとして活躍する船山弓枝さんに、東京家政大学ヒューンマンライフ支援センター・准教授で管理栄養士の内野美恵さんがカーリングの魅力や家庭と競技の両立、健康管理、そして今後の目標についてお聞きした。


(写真提供:株式会社PASSPORT)

ドクターズプラザ2021年1月号掲載

特別インタビュー 船山弓枝さん(カーリング選手)

負けから学び感じることが次につながる

子どものころの遊びやスポーツがアスリートとしての体力の基礎に

内野 船山さんが生まれ育った常呂(ところ)町は、平成18年の3市町合併で現在は北見市常呂町になっていますが、どんな町なのですか。それと、合併する前の常呂町はカーリングが盛んだったのでしょうか。

船山 漁業と農業の町です。夏は仕事で手一杯、その代わり冬は仕事が少なく時間があるという家が多かったです。それで冬の常呂町を盛り上げたいということで、日本で初めてカーリングの屋内専用ホールができた町です。1988年にできたのですが、そのリンクができるまでは、屋外でコンクリートの上に氷を張り、ビールのミニ樽やガスのミニボンベでストーンを手作りしたりしていたという時代もありました。

内野 長野オリンピックでカーリングが正式種目になり、日本女子チームも初出場で5位に入賞しました。以来、毎回出場を果たし、2018年の平昌オリンピックでは銅メダルを獲得するまでになりました。今ではメジャースポーツとなったカーリングですが、いつごろから日本で行われるようになったのでしょうか。

船山 カーリングは15世紀に北欧やスコットランドなどで始まったといわれていて、日本でカーリングが行われるようになったのは1930年代と聞きます。山梨県や長野県から始まり、北海道の池田町へ。そして常呂町やその他の地域へと広まっていったようです。

内野 船山さんがカーリングと出会ったのはいつごろですか? そして本格的に競技を始めたのはいつごろからですか?

船山 小学生のころです。両親がカーリングをしていたので、練習を見たのが出会いといえると思います。本格的に競技として始めたのは中学1年生からです。私の両親がカーリングをしていて理解があるので、同級生からチームを組もうと誘ってもらったのがきっかけです。

内野 船山さんは、もともとスポーツがお好きだったのですか?

船山 子どものころからスポーツが大好きで、じっとしているよりは体を動かしていることが多かったです。大自然の中で木登りをしたり、男の子と一緒に野球やサッカーをしたりしていました。小学生のころは、スピードスケートの少年団に入っていましたし、水泳も大好きでした。

内野 その中からカーリングを選んだ理由はナゼですか?

船山 できなかったからです(笑)。自分は、結構スポーツが得意な方ですが、カーリングは私にとってすごく難しいスポーツでした。その難しさにはまってしまったという感じですね。

内野 カーリングは一見簡単そうに見えるかもしれませんが、体幹がしっかりしていないとできない競技だと思います。体幹がしっかりしているというのは、体の軸となる胴体がインナーマッスルと呼ばれる筋肉でバランスよく安定な状態になっているということです。体幹が弱いと体の軸がブレやすく、四肢の動きを安定させることが難しくなります。カーリングのようにターゲットを決めて正確にストーンをコントロールする動きは、頭でイメージした通りに筋肉を動かす必要があるため、体幹が鍛えられていることが重要です。とはいえ、体幹は簡単に鍛えられるものではなく、さまざまな動きを繰り返し経験することで鍛えられていくものなんです。子どものころにさまざまなスポーツをしていたことが、カーリングに生かされているように思います。

船山 子どものころの自然の中での遊びが、カーリングに生かされていると思います。木登りをしたり、実家の農業ハウスの骨組みで足掛け回りをしたりとか、両親に怒られながら……(笑)。それに、家の廊下が手足を伸ばすと壁に触れるくらいの幅だったので、両手両足でつたって上がったりしました。今、思うと全ての遊びが体力トレーニングのようでした。遊びの中で自然と体力や筋力が備わり、今の年齢になってもアスリートとして続けられる基礎が出来たと思います。

(写真提供:株式会社PASSPORT)

失敗を引きずらず、「静」の時間にどう考えるか

内野 コロナ禍での練習は大変だと思いますが、どのような練習を行っているのでしょうか?

船山 週6で、氷上練習やフィジカルトレーニング、ミーティングを組み合わせて行っています。それと、他のことを学ぶ時間に充てています。コロナの状況をみて、フィジカルトレーニングやミーティングをオンラインに切り替えることもしています。週1は、休みで家族との時間を大事にリフレッシュしています。

内野 カーリングのフィジカルトレーニングとはどんことをするのでしょうか? それと、カーリングは集中力も必要だと思いますが、集中力を養うためのメンタルトレーニングもされているのでしょうか?

船山 フィジカルトレーニングは全身です。体幹を中心とし、上半身・下半身。有酸素・無酸素運動、ストレッチなどの柔軟も欠かさずやります。チームにメンタルトレーナーがいます。カーリングは「静」と「動」のスポーツなので、「静」の時間に自分でいろんなことを考えます。そこでの考え方というのが次のプレーにも出てくるので、よくゴルフのメンタルと似ているっていわれます。ミスをした後に、それをいかに頭の中で整理して次に向けた考え方をするか、というのを常日頃取り組みながらやっています。
1チーム4人で、1人2投連続で相手と交互に投げ合いますが、投げた後はスウィープもしないといけない。コールもしなきゃいけない。次の仕事が待っています。そこで失敗を引きずるわけにはいかないですし、私の後に続く選手が挽回してくれることを信じてしっかりサポートしなければいけないので、落ち込んでいる暇はないです(笑)。

内野 あと、カーリングには、それぞれの人の意見をまとめる調整力が必要だと思いますが、チーム内で意見が違う場合の調整は、誰が、どのようにしているのでしょうか?

船山 意見が違う時には、なぜそう思うのか理由を加えるようにしています。すぐにまとまる時もありますし、時間をかけられるときには持ち帰り、それぞれの意見も踏まえた上で考え直し、再度話し合ってみんなでまとめることがあります。氷上の作戦では、持ち時間が限られているので、チームが決めた流れに沿い話し合いを進め決定するようにしています。

小学生の時からの夢だったオリンピック選手

内野 カーリングは、今やメジャーなスポーツだと思いますが、メジャースポーツになったと実感する場面などはありますか。

船山 競技の後のインタビューの際、質問内容がドンドン専門的な話に変わっていくことで、カーリングへの関心が高まっているのを肌で感じました。最初は「あの時どういうことをしたかったんですか」というような、初歩的な質問で説明することが多かったんです。それが注目を浴びるとともにメディアの方の質問が鋭くなってきました。すごく具体的な質問だったり、専門用語が飛び出してきたりします。そういう時に、皆さんが関心を持ってくださっているというのもそうですし、勉強されてその場に来てくださっているんだと思いました。

内野 メディアや観客の変わり方を肌で感じられてきたというのは、貴重な経験ですね。船山さんは2002年のソルトレークシティ、2006年のトリノ、そして2014年のソチとオリンピックに3回出場し、確実に順位を上げられてきています。オリンピックではどんな思い出がありますか?

船山 それぞれのオリンピックに、思い出があります。2002年のソルトレークシティのときは、出場できたこと自体がとにかくうれしくて……。私、小学校の卒業文集に将来の夢として「オリンピック選手になりたい」と書いたんです。まだカーリングを始めていないときです。小さいころからスポーツが大好きで、どんな競技か分からないけれど、すごい舞台に立ちたいと思って文集に書きました。その後、中学1年生でカーリングを始めて、マイナースポーツだったカーリングが長野オリンピックで正式種目になった。そしてソルトレークシティで夢が叶い、喜びで一杯だったんです。

ただ、結果は2勝7敗。7連敗した後の2勝でした。初戦のアメリカ戦では、前半勝っていたのに後半で追い抜かれて逆転負け。良いスタートができたかもしれないのに、そこから7連敗してしまったというすごく悔しい思いがありました。

内野 7連敗の後に2連勝して終わり、次の課題を見つけたということですね。代表になれただけで幸せというところから、野心の塊に変わっていった(笑)。

船山 そうですね。7連敗した後に、応援に来てくれていた家族と会うことができました。負け越している中あったかい言葉を掛けてもらい、みんな大泣きしました。家族の力は偉大ですね、チームの気持ちが切り替わった瞬間でした。悔しさの7敗と未来につながる2勝です。

内野 その想いを維持しながら4年後のトリノに行ったんですね。トリノはどうでしたか?

船山 小笠原歩選手と一緒に青森に移り住んで、新しくチームを作って目指すという4年間だったのですが、それまではチームの中では引っ張ってもらっていたのが、新天地では自分たちが引っ張る立場になりました。ソルトレークシティでの経験を他の選手に伝えながら、またこの舞台に戻ってきたというトリノのオリンピックでした。

内野 1つ順位が上がって7位になりましたが、ソルトレークシティのときの経験が生かされましたか?

船山 4勝5敗でしたが、前半を1勝3敗で終え、4年前と同じ思いをしたくない一心で「このままでは帰れない」とチームで話していました。中盤、自分たちで気持ちを切り替えチームの雰囲気を変えることができました。強豪カナダにも勝ち、成長を感じることができたオリンピックでした。

内野 ソチオリンピックでは5位でしたね。あともう少しでメダルに届いた。その時を振り返ってみてどうですか?

船山 確かに、ソチではもうあと一歩という感じはありました。あと1勝していれば決勝トーナメントに行けたかもしれない。そこでの悔しさというのはすごくありましたが、上位4チームの素晴らしさも自分の中では感じていた。だから悔しさをしっかり受け止めました。

地元北海道でママアスリートへ

内野 トリノの後に一度競技生活から離れましたね。また復帰するまでの4、5年間はどんな生活でしたか?

船山 北海道に戻り結婚、出産をしました。その間、講演会やトークショー、イベントに参加しカーリングの普及をしたり、講習会などの講師を務め、カーリングの強化にも力を注いでいました。

内野 その後、現役に復帰されますが、それは競技から離れる前から計画していたのですか? それとも完全引退と思っていたものの湧き出るものがあって復帰されたのですか?

船山 自分の構想としては、戻ってくることを考えての休養でした。カーリングは息の長いスポーツで、海外の選手は40代、50代まで現役選手として活躍しています。今は、日本もそうなりつつあるのですが、昔はカーリングと家庭を両立するのが難しく、現役を引退してしまう選手が多かったんです。女性は、家庭を持つとどちらを選ぶかの選択を迫られることがあったようですが、今は徐々に結婚しても競技を続けることができる環境ができつつあります。私はそういった環境ができればまた戻ってきたい、という想いは常にありました。

そんな私の思いと北海道銀行が応援したいという思いが合致し、地元北海道でママアスリートとして競技を続ける環境が整い、現役選手に戻る決意をしました。そして、北海道銀行がメインスポンサーとなり、2011年にチームを結成しました。

内野 ママさんアスリートになられたわけですが、苦労や周囲の理解はどうでしょうか?

船山 思っていた以上に大変で、家の中では時間との戦いに追われています。子どもは2人いるのですが、2人目の出産の前後は、少しだけ休養をもらいすぐに競技に復帰しました。私は恵まれています。家族の協力はもちろんのこと、スポンサー、チームメイト、スタッフなど周囲の理解があり、この生活が成り立っています。長い遠征では、子どもたちは主に旦那の両親、私の親や姉家族に預けていたこともあります。子育てサポートを利用して、友人家族にもお願いしていました。たくさんの人の協力を得て活動できています。とても感謝しています。

内野 最近、ママさんアスリートが多くの国々で注目されています。競技によっては、ママさんアスリートになった方が、成績が良くなっているという事例も増えています。とはいえ、アスリートというだけでも大変なのに、母親としてもしなければならないことがドンドン押し寄せてくる。そんな中での調整だと思いますが、ママさんアスリートになったことでのアドバンテージなどはありますか。

船山 すごく要領が良くなりました(笑)。体が資本なので、子育てで忙しい今でも7、8時間は寝るようにしています。寝て体力をつけないと1日踏ん張れないです。そのため、ほとんどフル稼働で、1日の中でやらなければいけないことをすごくうまく組み合わせられるようになりました。「これは今日やろう、これは明日に回せる」と、頭の中で整理し、効率良くコントロールできるようになったと思います。

内野 そういう意味では競技にも良い影響が出ていますか?

船山 はい。今は“量”よりも“質”をすごく大事にしています。以前は安心できるまでストーンを投げていたのですが、“質”を重視するようになると、いいところでしっかり止めて、その良いイメージを記憶する。そういうようなことを、きちんと決めてやることもできるようになりました。

内野 船山さんが、結婚、出産、子育てをしながら競技を続ける女性アスリートのロールモデルになってくるんじゃないかなと思います。「お母さんになっても競技できるんだよ」というような良いエネルギーが船山さんから感じられます。

“もぐもぐ”タイムのこだわり

内野 平昌オリンピックでハーフタイムが“もぐもぐ”タイムと話題になりました。この”もぐもぐ‶タイムで食べる補食の選び方や取り方に、船山さんならではのこだわりはありますか?

船山 公式戦は10エンドあるのですが、5分しかないハーフタイムで補食を食べています。その前に1時間半弱プレーをし、5分間の中で補食を取りながらアイスの状態を確認したり、その後の展開を話したりするので、手軽に食べられるものを、ひと口サイズにするというのがこだわりです。果物が多くて、チームの好物はシャインマスカット。他にもイチゴやみかん、旬の果物を入れて柿や梨など。果物にプラスしてチームで用意するものとしては、ザラメ砂糖の部分を取り除いたカステラをひと口サイズに切ったりしています。たまに、小さな柔らかめのおにぎりを作ったりもしています。特別寒い会場では体が冷えてしまうので、私は白湯を用意したりしています。

内野 何か指導があってそういう補食になったのですか? それともご自分たちの経験から?

船山 小さいおにぎりやカステラは、いろいろアドバイスをいただいた中でプラスされていったものですね。果物はのど越しが良いので、みんな昔から取っていました。

内野 スポーツ栄養士は、補食に果物を勧めるケースが多いです。果物には糖分を取るという目的があります。果物の糖は果糖といって砂糖とは違う種類の糖で、血糖値を緩やかに上げていくという作用があります。空腹時や運動時に砂糖を取り過ぎると、血糖値が急激に上がったり、その後急激に下がったりということが起こりやすく、競技パフォーマンスにとってマイナスに作用するリスクがあります。

果物であれば、吸収が速いけれども血糖値は緩やかに維持できるという効果があるので、とても理にかなった選択だなと感心しました。ただ果物は体を冷やすという作用があります。体温が下がってしまうとコンディショニングに悪影響がでてしまうため、アドバイスによって、カステラやおにぎりなど、吸収されやすくてしっかりエネルギーを取れるものというのがプラスされたのだと思います。それにしても、自分たちで好んで食べていた補食が、栄養学的にも理にかなっているというのは、やはり真剣に競技に向き合っている選手は、あれこれ教わらなくても体が教えてくれるのかもしれませんね。

カーリング人生30年次の目標は金メダル

内野 カーリング人生30年とお聞きしましたが、今の目標は何でしょうか?

船山 2022年の北京オリンピックに出場することです。

内野 平昌では日本が銅メダルを獲得しましたね。やはりメダル獲得を目標にしているのですか?

船山 平昌の銅メダルは自宅のテレビで見ていました。メダルを取った瞬間は自分も同じようにすごくうれしかったです。日本カーリング界でやっとメダルが取れた。そこに向けた準備もすごかったでしょうし、戦っている彼女たちの姿にもとても感動しました。それと同時に、それまでメダルを取りたいと願って戦ってきたのが「金メダルを取りたい」に変わり、自分の目標がさらに上がりました。

内野 その前向きなパワーも船山さんの魅力ですよね。そんな船山さんにとってのカーリングの魅力は?

船山 やっぱりチーム競技なので、4人の息がピッタリ合ったときの爽快感がすごいんです。投げ手と掃き手とコールをする側、これが一つになったときに、1センチ、1ミリ狂わず置きたい場所に置けた。そんな時はものすごく感動します。

内野 カーリングはスポーツマンシップを発揮してセルフジャッジでプレーしていくというところも面白いし、他の競技と違うところですよね。

船山 そうですね。公式戦になると審判はいるのですが、基本はセルフジャッジです。自分たちでまず解決できるところはして、その後できないところに関しては審判を呼ぶ流れになります。例えば動いているストーンに接触してしまうとアウトとなります。自己申告制で「タッチしました」と取り除くのが普通で、スポーツマンシップに則って正しいことを正しくする精神でやっています。

内野 できそうでできないようなことをしているように思います。それを4人で同じ気持ちでやっていくというのは非常に素晴らしいですね。最後に、座右の銘を教えてください。

船山 「人生全ての事に意味がある」。勝負の世界にいるので勝ったり負けたりし、いろいろな感情が巡ります。負けから学ぶこと感じることがたくさんあって次につながる、と前向きに捉えることができるようになりました。その中で、軸(信念)をぶらさずに自分を持っていられる言葉です。

内野 その言葉を支えに戦われてきたわけですね。やはりぜひとも今後の女子アスリートのロールモデルになっていただきたいです。北京オリンピックの出場。そして金メダルの獲得を期待しています! 今後の船山さんの活躍を楽しみにしています。

プロフィール

船 山 弓 枝 さん
北海道北見市常呂町出身。
中学校1年生からカーリングを始める。1998年世界ジュニア選手権で、日本カーリング界初のメダルを獲得。オリンピックには、3度出場している(2002年ソルトレークシティオリンピック8位、2006年トリノオリンピック7位、2014年ソチオリンピック5位)。2010年北海道銀行フォルティウス結成メンバーで、チームを支える存在。2児の母。日本を代表するママ・アスリート・カーラーとして競技に励んでいる。

内 野 美 恵 さん
博士(学術)・管理栄養士・公認スポーツ栄養士。
東京家政大学ヒューマンライフ支援センター准教授。
東京都食育推進委員会委員。日本障害者スポーツ協会日本パラリンピック委員会医科学情報サポート栄養担当。

 

北海道銀行フォルティウス

チーム名の由来

「フォルティウス(FORTIUS)」は、ラテン語で「より強く」を意味する。より強く前進し続けるという思いと、メインスポンサーである北海道銀行の名前を併せて「北海道銀行フォルティウス」とした。

ロゴに込められた想い

ストーンが回転するイメージと、チーム結成時のメンバー4人を組み合わせた「四葉」を形どったデザイン。四葉のクローバーは幸運をもたらすといわれている縁起の良いモチーフ。
チームを、ファンを、北海道を幸せにするであろう「フォルティウスクローバー」をチームのロゴとして起用した。グリーン、ブルー、ホワイトはそれぞれ豊かな木々、大いなる海、そして雪という北海道の大自然を表している。

(写真提供:株式会社PASSPORT)