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人生の岐路でどう選択する その3

診療日誌

灰本 元
医療法人芍薬会 灰本クリニック 院長
ドクターズプラザ2020年5月号掲載

診療日誌(6)

何を捨て、何を選ぶ

1991年2月、不安を抱いての開業だったが、風邪の季節だったことや地主さんら応援団のおかげで大勢の風邪患者が来院、てんてこ舞いとなった。しかし、その3分の1は小児だった。私は小児科を標榜したくなかったのだが、先輩開業医から標榜しないと患者が集まらないと強く勧められた。そのため開業までの1年半に週3回も大病院の小児科外来を担当させてもらい、ゼロ歳児の点滴も刺せる腕前となっていた。ところが、小児患者は季節で変動するし浮気する患者も多い。半年後の夏にはレセプト数は3分の2に減ってしまった。これでは医院の経営は安定しない。胃がんかもしれないと不安になって来院した中年の患者が待合室を鼻水垂らして走り回る子供を見てこの医院へ来て良かったと思うはずはない。思い切って1年半後に15歳以下の小児科診療を完全に止めた。ずっと増え続けていたレセプト数はしばらく横ばいとなったが、その後予想どおり内科の慢性疾患が増えていった。大きな決断だったが、この決断なくして現在の私の医院はあり得ない。自分の中の不本意な領域を多少の犠牲を払っても消し去る勇気が新しい分野の発展につながっていった。

30年前は患者の大病院志向が強かった時代だ。私は小回りが利く開業医の強みを考え抜いて、開業前に大病院に負けない3つの方針を立てた。

⒈看護師だけでなく事務スタッフへも医学教育を行う。看護師には少なくとも3年目の内科研修医レベルの医学知識や技術を会得させる。

⒉漢方をエキスだけでなく煎じ薬(生薬)を使って西洋医薬が無効な患者を治療する。

⒊胃カメラと大腸カメラを市内に普及させ、腹部エコーも合わせて腹腔内のがんを発見する。将来、甲状腺、肺がんから膀胱がんまで内科の全臓器のがん診断を目指す。

職員教育で特に力を入れたのは看護師よりも事務スタッフだった。看護師は医学教育を受けているので志さえ高ければ医師と心を一つにできるが、事務スタッフはそういうわけにはいかない。それで、診察室内に常に一人の事務スタッフを配置し、診療補助しながら私と患者の会話を聞き、検査や投薬のチェック、予約、カルテの一部を記載する方針を立て実行した。これは開業以来、当院の伝統として定着しており“(診療)横付き”と呼ばれている。いつも蚊帳の外に置かれている事務スタッフが当院では看護師や技師さんたちに近いレベルで仕事ができ尊敬されているのは“横付き”のおかげである。

内科の治療は投薬が中心である。薬というなら西洋医薬だけにこだわることはない、漢方も導入すべきだ、漢方と言えばコトコトと生薬を煎じるのが本物でエキス剤は本物とは言えない。私は直感的にそう思った。業界では名古屋は漢方不毛の地と言われていたので、生薬の知識やその組み合わせを学習するのは他を当たるしかなかった。そこで、開業の1年前から東京日本橋の故Y先生へ毎月数日間通い、煎じ薬や生薬の基本を勉強した。後は実践あるのみだった。

幅広い臓器からのがん診断に執念を燃やしたのは、かつて病理医であった私の矜恃かもしれない。本当は肺がんも含めて内科全臓器に対応したかったのだが、当時CTは開業医が購入できるような値段ではなかった。いつかは全臓器のがんをこの医院で見つけられるようになりたい、私はいつもそういう絵を遠い将来に描いていた。私の開業の目的は何でも診ることができる内科医になることだった。それは専門医制度という時代の流れに逆行していたが、そんなことは今も昔もまったく意に介していない。患者は何でも診てくれる開業医を熱望していることを肌で感じているからだ。

開業当時「胃カメラをしましょう」と言うと多くの患者は「名大病院を紹介してほしい」。確かに名大病院は徒歩とJRで35分の近場にあるのだが、何も胃カメラ検査のために大学病院まで……。30年前、胃カメラと大腸カメラ検査ができる医院は市内に2件、そんな時代だった。私は大病院に比べてできるだけ嘔吐反射をなくす工夫を重ねていった。その甲斐あって開業1年半後に胃カメラ専用室を増設、10年後には胃カメラ数は年間1000例にもなった。

一方、私は器用ではないので大腸カメラはS状結腸まで、もし痛がらなければ盲腸まで入れる、入らないときは注腸へ切り替える方法だった。開業1年後、血便を主訴に50歳代女性が来院した。痛がってS状結腸までしか入らず注腸ではS状結腸は小腸と重なって診断は困難だった。3カ月後血便が再発して来院。名古屋の大腸カメラ専門医へ紹介しS状・下行結腸移行部の進行がんと診断された。このとき私は「患者さんには大変申し訳ないことをした。何年かかっても全例盲腸まで入る腕を磨こう」そう堅く決心した。大腸カメラを素早く痛みなく盲腸まで挿入したい。県内にそんな技術を持った医師がほとんどいなかった時代に、その一心で盲腸までの到達時間を短くする孤独な戦いが続き、10年以上も費やしてようやく平均挿入時間は平均5分30秒に到達した。きっかけとなったこの患者さんは現在も高血圧と糖尿病で通院している。28年前、お互いに苦渋だった記憶を今は懐かしく語り合っている。

ドクターズプラザ2020年5月号掲載

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