2022

04/10

人生には無駄な経験や時間は一つもない

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国立研究開発法人国立国際医療研究センター(NCGM)・国際医療協力局人材開発部・研修課の菊地紘子さんは、保健師であり看護師。幼いころから医療+国際協力の仕事に憧れていた菊地さんは、仏語圏アフリカの母子保健分野で働くことを目標に勉強や経験を重ね、夢を実現している。セネガルの母子保健向上のプロジェクトを中心に、これまでの歩みや、思いを伺った。

海外で活躍する医療者たち(35)

サブサハラ・アフリカの母子保健向上に貢献し続けたい

夢は「看護師としてアフリカへ」

――まず、看護師・保健師になろうと思ったきっかけを教えてください。

菊地 幼い頃から「白衣の天使」への憧れがありました。テレビのニュースなどを観ていて「世界には家がない、ご飯も食べられない人たちがいる。なぜだろう」と考えるようになり、小学校の高学年の頃には「看護師になってアフリカに行く」ということが、漠然とした夢になっていました。

――菊地さんにとっては、看護師や保健師と国際協力は1つのことなのですね。

菊地 そうですね。高校生の頃には、青年海外協力隊や国境なき医師団に憧れるようになり、高校卒業後は国立仙台病院附属仙台看護助産学校に進みました。青年海外協力隊から帰国した卒業生の体験談を聞く機会もあり、国際協力に必要なことを学ぶために、宮城大学に編入しました。

――「フランス語圏アフリカの母子保健分野で働きたい」と思ったそうですね。

菊地 はい。大学生のときに、世界の中でも貧しく母子保健指標の低い(母や子の死亡が多い)国が、サブサハラ・アフリカ(サハラ砂漠以南のアフリカ)に集中していることを知りました。同時期にJICAの合宿セミナーに参加し、母子保健分野に関わるフランス語圏アフリカの人たちと意見交換をしました。とても熱心な彼らに魅了され、一緒に働きたい、サブサハラ・アフリカの母子保健分野に貢献したいと思い、独学でフランス語の勉強を始めました。

大学卒業後は、病棟看護師として小児科病棟に勤めました。4年目のとき、青年海外協力隊を受験しましたが不合格。ならばフランス語を磨こうと思い、フランスに留学しました。フランスでの生活を通じて、どんな環境でも強く楽しく生きる処世術、フランス語で言う”art de vivre(アールドヴィーブル)”も学びました。

ソルボンヌ語学学校の仲間たちと(フランス)

フランスから帰国後は、NCGMが主催する研修に参加して、国際協力に携わるための基礎知識を学び、「私は、住民に最も近いレベルの国際協力がしたい」と確信しました。

青年海外協力隊、国境なき医師団、そしてNCGMへ

――2011年には、青年海外協力隊に合格し、サブサハラ・アフリカの国、ベナン共和国に保健師隊員として派遣されました。夢が叶いましたね。

菊地 はい。実際にサブサハラ・アフリカの国で国際協力活動ができる、しかも地方の保健センターで現地スタッフと一緒に母子保健活動ができることは、本当に感無量でした。その一方で、私がいくら頑張っても、私がいなくなれば何も変わらないことに気付き、働きやすい職場になるように、またケアの質も良くなるように、地道な改善活動にも取り組みました。

ベナンでの経験を経て、アフリカの母子保健分野で活動し続けたいという思いから、国境なき医師団に登録しました。中央アフリカ共和国とハイチ共和国に派遣され、医療の面から人道支援活動に取り組みました。

国境なき医師団の仲間たちと(ハイチ)

――その後、NCGMに入局した背景には、どのような考えがあったのでしょう。

菊地 国境なき医師団は、政治や宗教、人種にかかわらず、人道支援として医療を提供するとても素晴らしい活動です。住民が必要とする医療や看護ケアを直接届けることができ、とてもやりがいを感じていました。

でも、緊急援助・人道援助が役割である国境なき医師団は、ずっとその国を支援し続けることはできません。国が自立して国民の健康を守っていくことを支援したいと思うようになり、2016年にNCGMに入局しました。

――NCGMではどのようなことを経験してきましたか。

菊地 2017年4月から1年間は、宮崎県宮崎市に保健師として出向し、国内の母子保健行政を経験しました。

2018年には、国際医療協力局で JICAの課題別研修「アフリカ仏語圏地域 妊産婦の健康改善」を担当したり、ギニア・コナクリで開催された仏語圏アフリカネットワーク会合や、タイ・バンクで行われた国際母子手帳会議に参加したりしました。

2019年6月には、国際緊急援助隊(JDR)感染症対策チームの導入研修に参加し、直後の8月にコンゴ民主共和国東部エボラ制圧ミッションに派遣されました。感染症対策チームとしては、初の看護師でした。

2019~2021年は、JICAの「セネガル母子保健サービス改善プロジェクト」に派遣されました。

母子の本来の力を引き出し、尊重する取り組み

――「セネガル母子保健サービス改善プロジェクト」は、どのような活動なのですか。

菊地 私が派遣されたのはプロジェクトのフェーズ3で、「妊産婦・新生児が尊重されたケア」が全国に普及するよう、保健社会活動省母子保健局母新生児課を支援するものでした。

このプロジェクトは2009年から続いており、最初はセネガルの中でも、首都から遠く、母子保健指標の低いタンバクンダ州という農村地帯を対象に開始されました。医療の専門職がとても少ないへき地で、母子が備えている本来の力を引き出す日本の助産ケアを基本に、行政・保健医療施設・コミュニティーが協働して「母子保健サービスの質」の改善に取り組む活動が3年間行われました。

2012~2018年までの7年間は、タンバクンダ州で取り組んだ仕組みを、全国14州のパイロットサイト(1つの保健センターと3つの保健ポスト)で実施しました。これらは住民に一番近いところを支援するもので、非常に良い取り組みでしたが、一次・二次医療施設に限られていたため、緊急搬送体制の頂点であり、専門職育成の主な臨床実習の場でもある三次医療施設にも、活動を広げる必要がありました。

研修内容の詳細について、熱い議論を交わした小グループ(セネガル)

――そこで、菊地さんが参加したフェーズ3が行われたのですね。

菊地 はい。2019年からは、各州の保健を担当する州医務局がイニシアティブを取り、病院と保健人材養成校や大学と連携して、地方拠点を確立していく取り組みが始まりました。私は特に州医務局と連携し、各州で「妊産婦・新生児が尊重されたケア」に取り組めるよう調整を行いました。

このプロジェクトは、JICAが人間的なお産の取り組みとしてずっと続けているもので、お母さんと子どもが持つ、自然な生む力、生まれる力を大事にしています。出産にあたってお母さんがリラックスできる環境を作る、出産後に生まれた子どもと安心して過ごせる空間を作るなど、妊産婦と新生児を中心にケアしていくことが重要で、私も情熱を持って取り組みました。

――コロナ禍の影響もあって大変だったのではないかと思います。

菊地 そうですね。地方州での活動はかなり制限されましたし、当初の計画通りには進みませんでした。コーヒーブレイクや昼食時の雑談も、重要な情報や現場の声を拾える場だったのですが、黙食が推奨されたことで難しくなりました。

2020年3月ごろにはロックダウンとなり、私たちも退避帰国しました。それから8カ月ほどはセネガルに入国できず、リモートでの活動にならざるを得ませんでした。その間は他の専門家と協力して「妊産婦・新生児が尊重されたケア」の研修マニュアルのアップデートなどに取り組みました。入国が可能になって再赴任してからは、指導者研修、医療従事者研修を行ったり、各地方州の母子保健関係者がそれぞれの地方で医療従事者に向けて研修を円滑に行えるよう支援したりしました。

セネガルは「おもてなし精神」の国

――セネガルとはどのような国ですか。

菊地 フランス植民地から1960年に独立して以降、一度もクーデターが起こっていない平和な国です。おもてなし精神(テランガ)の国ともいわれています。外国人をもてなす、富める者が貧しい者に与えるなど、さまざまな場面でおもてなし精神は見られ、外国人である私も公私ともにとても快適に過ごすことができました。セネガル人家族に食事に招待していただく機会もありましたが、コロナ禍以降はお断りする一方で心苦しかったです。

セネガルの人々はよく、「インシャーラー(神様が望めば)」「アラハンドゥリラー(神様のおかげ)」と言い、人々の暮らしの全てに、神様が関わっているように感じました。

――セネガルの医療事情は。

菊地 一次医療施設から、二次、三次医療施設という体制はあります。保険制度の整備も始まっていますが、遊牧民もいますし、雨期には道が悪くなってアクセスできないなど、難しい課題はたくさんあります。

医療人材育成についても、医学部や看護師、助産師の養成所などがありますが、2018年のデータによると、人口1000人当たりの医師数は、0.07人、看護師・助産師数は0.31人です。日本は医師が2.41人、看護師・助産師が12.15人、世界の平均でも、1.57人、3.82人ですから、セネガルの医療人材は不足している状況です。

――菊地さんは現地でどのような生活をしていましたか。

菊地 私は、首都のダカールで、海の見えるアパルトマンに暮らしていました。停電・断水・雨漏りなどのハプニングは多々ありましたが、ダカールはアフリカ大陸最西端の岬にあって三方を海に囲まれており、年間を通して過ごしやすい気候でした。

職場には車で通勤していました。ダカール市内の朝の交通渋滞はものすごく、10分とかからず通勤できるときもあれば1時間以上渋滞にはまってしまうこともありました。

食事は主に自炊していました。海の幸が豊かで、野菜もたくさんありました。国民食であるアフリカ風パエリア「チェブジェン」、野菜料理や羊料理、トロピカルフルーツ、セネガル特有のミントティー「アタヤ茶」、香辛料の効いた「トゥーバカフェ」など、現地の食べ物もおいしかったです。

心優しいアフリカ人のために生涯を捧げたい

――セネガルからは2021年10月に帰国されたわけですが、今はどのような業務をしていますか。

菊地 現在はライフコース&医療の質・安全チームに所属しており、国内業務がメインです。WHO執行理事会での日本政府発言に対するコメント出しなど、母子保健分野の専門性も維持向上に努めています。来年度開始するJICA課題別研修「UHC達成に向けた看護管理能力向上」も担当しており、研修の組み立てや調整を行っているところです。

また研究では、低・中所得国の保健医療分野における教育・研修プログラムのインパクト評価研究、フランス語圏アフリカ(コンゴ民主共和国)における臨床看護師のコンピテンシー評価研究の2つの研究班に所属し、活動しています。

――今後はどのようなことをしていきたいですか。

菊地 アフリカでは、隣人や家族を愛する心優しい人たちにたくさん出会いました。これからもそんな彼らのために生涯を捧げたいですし、さらに新しい知識や技術を習得して、サブサハラ・アフリカの母子保健向上に貢献していきたいと思っています。

――最後に、国際医療を目指している医療系学生たちにメッセージをお願いします。

菊地 ご自身の進路が思い通りにいかないこともあると思いますが、そんな時は、プランB、プランCと臨機応変に考えてみてください。回り道に思えても、人生に無駄な経験や時間は一つもありません。

つらくて苦しい時は、抱え込まずにプランを変更したり、他の人に相談したりしてください。私たちは世界の人々の健康のために働くのですから、まず自分が健康で幸せであることを大事に、進んでいただきたいと思います。

セネガル共和国(Republic of Senegal)

●面積;197,161㎢
●人口;1,674万人(2020年、世銀)
●首都;ダカール(Dakar)
●民族;ウォロフ、プル、セレール等
●言語;フランス語(公用語)、ウォロフ語など各民族語
●宗教;イスラム教、キリスト教、伝統的宗教
(令和3年10月1日時点、外務省ウェブサイトより)