2024
10/03
トラウマと心理支援加算
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メンタルヘルス
博士(医学)、大阪医科大学医学部卒業後、公徳会佐藤病院精神科医長、日本医科大学附属千葉北総病院神経科部長、コーネル大学医学部ウェストチェスター部門客員教授を経て現職日本外来臨床精神医学会理事、現在あいクリニック神田にて臨床を行う。
よしこ先生のメンタルヘルス(69)
Contents
適応障害とPTSD
2023年の暮れに、同じコラムで「適応障害とPTSD」について、心因となるストレスとトラウマの違いをお話ししました。DSM-5-TRが出版され、心理支援が加算され、状況は様変わりです。しかし、なおも適応障害とPTSDは、現在のメンタルヘルス領域の診断基準の中で「鬼っ子」のような存在です。現在のメンタルヘルスの診断は、適応障害とPTSD以外は今ここで症状があること、その症状が患者さんの適応を妨げていることが診断基準となります。しかし、適応障害とPTSDだけは、横断的な症状のみならず、症状を引き起こす「出来事があること」を診断の条件としています。たとえ同じ症状でも、原因となる出来事がトラウマかトラウマでないかによって、診断が分かれてしまいます。「ええー、それっておかしい!」と思われる方も多いのではないでしょうか。
2024年度の診療報酬改定
実は今年度(2024年)は、2年に1度の診療報酬改定の年でしたが、例年は4月改定のところ、医科は6月改定と変更されました。改定内容では心理的な外傷に起因する症状を有する患者に対して適切な介入を行う目的で、心理支援加算が新設されました。この心理支援加算は、心的外傷に起因する症状を有する者と精神科医が認めた患者に対し、公認心理師が心理支援を行うことが必要と判断した場合に加算されます。この場合の心的外傷が、必ずしも診断基準のトラウマと一致していない場合もあっても良いとのことでした。外傷体験として例示されたものは、身体的暴行、災害、重大な事故、虐待、もしくは犯罪被害等と記載されていました。DSM-5-TR診断基準のトラウマでは、現実の身体的暴行、誘拐、人質、テロ、拷問、戦争の捕虜、天災または人災、重大な自動車事故、強制的な性的挿入、アルコールや薬物の影響下による性的挿入、ポルノ鑑賞の強要、露出狂、ビデオの流出被害、心筋梗塞・アナフィラキシーショックなど生命を脅かす医学的緊急事態、またはこれらの直接的目撃や、テレビなどの媒体による繰り返しの暴露などとされていますが、これはDSM-5の診断の範囲を拡大したものになっています。しかし、今回の医科の診療報酬改定においては、さらに拡大した解釈がされました。従来の患者さんからの訴え、例えば「教師から大声で叱られた」「上司が目の前で机を叩いて怒鳴った」など、診断学的にはPTSDの診断に該当しない場合もPTSDとして心理支援を行うことが許容されるようになりました。今回の診療報酬改定は、PTSDに限って言うと、患者さんの実感に限りなく近づいたものといえるでしょう。
例えば、仲間で集まった飲み会で、Aさんの発案でポルノを観ることになりました。Bさんは、自分だけ「いやだ」というのも雰囲気を壊すような気がして、見たくないながらも見てしまいました。その後Bさんは、恋人との性的な行為に嫌悪感を覚えるようになり、恋人と手をつなぐのさえ嫌な気持ちがするようになりました。些細なことで相手の行動に嫌悪感を抱くようになり、次第に会うことも嫌になっていきました。その時は相手との関係の変化だと思っていましたが、その後、好意を抱く、あるいは好意を抱かれる関係性を敬遠するようになり、何か自分の状態に変化が起こったということが分かりました。これはDSM-5-TRのポルノ鑑賞の強要というより、雰囲気を壊したくないと自ら進んでのことですが、この場合もその後の症状から心理支援加算の対象となります。
今回の診療報酬改定では、すでに診断基準に載っているような、接触を伴わない、望まない性的体験のみならず、いじめやハラスメントの中でトラウマの基準に該当しない体験に由来することから引き起こされた場合も、PTSD症状として心理支援加算の対象とすることが許容されました。
今まで私たち精神科専門医は、適応障害とPTSDだけは診断基準の鬼っ子です。「出来事が診断基準と合致しないとPTSDとは言わないんです」と言い続けてきました。どうやら診断基準のトラウマ項目もDSM-5、ICD-10からDSM-5-TRと時代の変遷の中で拡張さると同時に、一方では臨床症状のあるところに治療のニードがあると考えて心理支援加算をつけるようになりました。こころの傷ができる出来事は、世界中どこでもあり得ることですが、治療のチャンスが拡大されたことを幸いと思います。こころの傷が癒えますように。