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カンボジアというインキュベーター

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国立研究開発法人国立国際医療研究センター(以下、NCGM)・国際医療協力局運営企画部長の明石秀親先生は災害マネージメントを学び、国際緊急援助隊医療チームにも登録している。同センターでは約40カ国で仕事
をした経験を持ち、毎月ラジオで放送している「グローバルヘルス・カフェ」のマスターとしても活躍している。国際協力に進んだ経緯や、カンボジアでのプロジェクト、そこでの稀有な経験などをお聞きした。
ドクターズプラザ2019年5月号掲載

海外で活躍する医療者たち(26)/国立国際医療研究センター

~先のことは分からない。どれだけアンテナを張れるか!?~

モニターばかり見ているのは違う

―なぜ医師になろうと思ったのですか。

明石 子どものころから、薬剤師の父、看護師の母に「医者になれ」と言われていました。私自身はどちらかというと図画工作や美術などが好きで、芸術系に興味があり、大学も芸術系を考えていたのですが、両親から「それは医者になってからでもできる」と言われて、それもそうかなと。結局、刷り込まれていたのかもしれませんね。

―専門は外科だそうですね。

明石 小学校のときに、濡らしたちり紙を乾かして固めて、体の形や臓器みたいなものを作って、手術のような遊びをしていた記憶があります。私にとっては、外科は図画工作の延長のような感じですね。外科系ローテートの後、外科の中では当初、心臓外科に進みました。私が研修医として勤務していた病院で、赤ちゃんのかなり難しい心臓の手術に成功した方がいらしたのがきっかけだったと思います。

―では、国際協力の分野に進んだ理由は。

明石 手術を終えた患者さんはICUに入ります。血圧や心拍、心電図などのモニターが並び、たくさんの薬のラインがつながっていて、モニターの波形に合わせて薬の滴数を調整します。心臓外科医の卵として病院に勤務していたとき、モニターばかり見ていて患者さんを診ていない自分に気が付き、これは自分のやりたいことではないと思いました。例えば途上国で道端に人が倒れていても、これでは処置できないなと。それから災害医療、中でも国際的に助けにいくような緊急援助に興味を持つようになりました。それで、一般外科・消化器外科をということで、大学と医局を移りました。

NCGM入局前は東大病院に勤務していたのですが、ちょうどJICAの国際緊急援助隊医療チームの研修が始まった時期で、1期生として受講しています。その後、国際的な緊急援助には熱帯医学などの知識も必要なので、約4カ月間イギリスに留学しました。私の関心は、災害医療そのものよりも災害マネージメントにあったので、外科の医局を辞めて、そういうコースのあるアメリカのジョンズ・ホプキンス大学にも1年留学しました。医療は患者さんを受け入れて、その場でどう処置をするかということですが、災害時は病院としてどうするか、地域のシステムとしてどうするかなど、トータルなマネージメントが重要だと考えたからです。

渡米を前にした送別会で、「関東大震災級の地震が起こったらどうするんですか」などと話していたのですが、私の留学中に、本当に阪神淡路大震災が起こってしまいました。私も支援のために一旦帰国し、アメリカに戻った後、日本政府がアメリカの緊急援助庁に調査団を派遣したときには、調査団にも参加させていただきました。

NCGMへの入局は1995年です。大学で教わった先生が、当時NCGMの課長をしておられ、誘っていただいたのがきっかけです。

カンボジアではクーデターも経験

―NCGMでは、これまでにどのような国に派遣されましたか。

明石 最初に行ったのはウガンダで、その後フィジー、カンボジア、スーダン、パキスタン……、短期も含めると40カ国ぐらいになります。最初の長期派遣は3年弱のカンボジアでした。

―カンボジアでのプロジェクトの内容は。

明石 1995年4月から2000年3月までの母子保健プロジェクトで、私は後半の1997年6月からリーダーとして携わりました。1997年3月、無償資金協力により新たなカンボジア国立母子保健センターが完成したのですが、プロジェクトの前半は、母子保健センターを病院として機能させるための組織づくり、後半の私たちは、その組織がカンボジア人の手で機能するように取り組みました。

―具体的にはどのようなことを実施したのですか。

明石 大きな取り組みの一つは、診療費制度の運用です。当時公式には医療費は無料とされていましたが、実際には個別にお金をもらっているという不透明な状態でした。社会保障制度とするには、そもそも国にお金がないのでできません。診療費を導入すると、貧困者にとって経済的なバリアとなるという懸念に対しては、貧困者は例外として支払いを免除し、逆にエアコンが完備された個室などは高い設定にするなどして、免除分に補填できるようにしました。運用にあたっては職員を教育し、「診療費を徴収する」ということや料金を掲示すると同時に、不正な支払いをなくすために「個別に医療者に支払わないように」というポスターも貼りました。きちんとしたお金の管理や会計報告も行うようにし、上がった収益は例えば改善に回すとか、目的として正しいと思われるものに使用することを目指しました。

もう一つの大きな取り組みは助産師の研修です。カンボジアでは、1970年代後半のポルポト政権時代に多くの医師や知識人を失っていました。当時の母子保健センターの院長などは、ポルポトの前のシアヌーク時代に医大を卒業していますが、それ以降は先生となる人がおらず医療者としてきちんと教育を受けた人はいませんでした。国立母子保健センターは以前から分娩数が年間3000と多く、新しくなってからは年間6000ほどになっていました。そこで研修をすれば多くの症例を体験できるので、これまできちんとした助産教育を受けてこなかった地方の助産師の研修を始めたのです。プロジェクトが終了するころには、ある程度自分たちで研修コースを実施・改善できるようになり、他の援助団体から研修を受注できるようになりました。

―専門が外科で、母子保健というのは意外でした。

明石 私は小児科のことも産婦人科のことも分からないし、リーダーも初めてでしたが、前任のリーダーから「各専門家がカバーしていない部分を全部やるのがリーダーの仕事」と聞いていました。プロジェクトも後半だったので、現地の人たちの自主性が重要と考えて任せるようにしたところ、だんだん自分たちで考えるようになっていきました。カンボジアの長期派遣終了後にボリビアへ長期赴任になりましたが、そこにカンボジアのプロジェクトに残った日本人調整員の方からメールが来て、「先生がカンボジアでカウンターパートに言っていたことを、院長が自分のアイデアとして言って、どう思うか聞いてきました!」と連絡してきました。このとき、自分が蒔いてきた種がやっと芽を出し始めたと思いました。自分も含めて、人はそんな簡単には変わらないってことですね。

―カンボジアの出来事で特に記憶に残っていることは。

明石 プロジェクトのことではないのですが、実は赴任当初は大きな事件が6月と9月に立て続けに起こりました。まず1997年6月に赴任してすぐ、クーデターが起こってしまいました。その日は土曜日で、前任のリーダーの送別会の日だったので、はっきり記憶しています。不穏な動きがあることは聞いていましたが、予定通りプノンペンの郊外で送別会をしていたところ、プノンペン市内でクーデターが起こり、市外からの敵対勢力の流入を防ぐゲートが設置されました。宿舎は市内にあるため、日本人の車3台の前後を現地の病院のスタッフの車が固めるという車列を組んで市内に戻りました。病院スタッフが優勢な派閥の人たちだったので、ゲートを通してもらえたのです。空港に着いていた全ての荷物が略奪されたこともあり、先輩はこのことを「不運だった」と言っていましたが、自分の中では「幸運だった」と思っています。

その後、私たちはタイに避難しました。1カ月ほどタイで過ごし、8月にカンボジアに戻って徐々に仕事を再開しましたが、研修のスタートが遅れたほか、地方に行く計画は実施できなくなってしまいました。また、私より2週間後にカンボジア入りする予定だった日本人の専門家は、1年ほど派遣が延期になりました。

―9月の事件というのは。

明石 今度は飛行機の墜落事故が起こり、日本人も犠牲になっていました。当時のカンボジアには遺体を収容する施設がなかったため、母子保健センターのエアコンがある個室に収容し、病院のスタッフが毎日氷を交換していたのを記憶しています。

東松島市の支援も継続

―明石先生は、東日本大震災で被害の大きかった宮城県東松島市での支援も担当しているそうですね。

明石 震災発生当初、NCGMはDMAT(災害派遣医療チーム)を派遣しましたが、その後7月までわれわれ国際医療協力局からパブリックヘルスと全体コーディネートのスタッフ、病院側から医師や看護師、薬剤師などを東松島市に派遣し続けました。徐々に、避難所から仮設住宅に移る方も増え、現地の開業医の方々も診療を再開してくると、医師、看護師などの派遣は終了しましたが、協力局は引き続き1〜2カ月に1回、市の保健センターに行って現地の保健師の方と一緒に行動したり、相談に乗ったりする活動を続けています。最初のころは、NCGMだけでなく他の医療チームもいる中で、どこの避難所をどの医療チームが巡回診療するのかとか、カルテをどうするかなどのマネージメントの仕事もわれわれが担当しました。

―阪神淡路大震災や東日本大震災、海外への派遣や現地での事件など、いろいろな経験をしていますが、医療系学生等に何かアドバイスはありますか。

明石 以前、日本国際医療学会の学生部会で「10年後を見据えて何をしたらいいか」というメッセージを言う場があり、もちろん高齢者が増えるだろうなとか、生活習慣病のような慢性疾患が増えるだろうなという予想は私の中にもありますが、私は「皆さんが何をしておいたらいいのかは分からない」と言いました。なぜかというと、私自身が医学部在学中に世の中で流行っていたのはインベーダーゲームだったけれど、そのときにパーソナルコンピューターがこんなに一般的になるとは思っていませんでした。またその後、ジョンズ・ホプキンス大学に留学したときには、何人かがeメールができると言っていましたが、その時にもeメールというテクノロジーについて行くのがやっとでした。その後も新しいテクノロジーが登場しては、私には未知のことが次々と起こっている。10年後を見据えて、何か発想できる人もいますが、私はできなかったし、今も10年先のことは分からない。でも結局はどれだけ自分でアンテナを張っているかということなのだろうと思います。

今考えると、かなり偶然の巡り会わせでここまで来て、たまたま与えられた機会があったので、経験できたこともあるし、出会えた人もいる。人生を振り返るのはまだ先にしたいですが、ただ、そろそろ、芸術系のこともやりたいですけどね。

カンボジア王国

●面積/18.1万㎢(日本の約2分の1弱)
●人口/16.1百万人(2017年I M F推定値)
●首都/プノンペン
●民族/人口の90%がカンボジア人(クメール人)とされている。
●言語/カンボジア語
●宗教/仏教(一部少数民族はイスラム教)
(平成30年10月3日時点/ 外務省ホームページより)

ドクターズプラザ2019年5月号掲載

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