2018
04/12
わたしの性はどっち? ―性別違和とは―
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メンタルヘルス
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『よしこ先生のメンタルヘルス』
立正大学心理学部教授・博士(医学)、大阪医科大学医学部卒業。
公徳会佐藤病院精神科医長、日本医科大学附属千葉北総病院神経科部長、コーネル大学医学部ウェストチェスター部門客員教授を経て現職。
日本総合病院精神科医学会評議員、日本サイコセラピー学会理事、日本カウンセリング学会理事、現在あいクリニック神田にて臨床を行う。
ドクターズプラザ2018年3月号掲載
よしこ先生のメンタルヘルス( 48)
法律の制定から数年、診断基準の世界にも変化が
平成23年11月19日に「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン」が新しく(第4版)改訂されました。平成10年10月16日、埼玉医科大学においてわが国で初めて公に性同一性障害の治療として性別適合手術が施行されて以降、次第に臨床活動が普及するようになりました。「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(平成15年7月特例法)が成立し平成16年7月から施行され、この法律によって性別違和を持つ人々は性別適合手術の実施を含む一定の条件の下で戸籍の性別変更ができるようになったのです。
この法律の成立から数年たつと、ゼミで指導する学生の中にも、女性から男性に戸籍の性別を変え、間もなく郷里の幼なじみと結婚する学生が現れました。IT企業に就職し、人工授精で生まれた子どもと家族3人で、郷里で暮らしています。穏やかな家庭の様子を年賀状で知るたびに、時代の変化を感じます。
数年に一度、戸籍の性別を変える学生が現れているうちに、東京都下では渋谷区や世田谷区で同性のカップルを認めるようになりました。マンションへの入居、住民票の届出等、行政手続きが変化しています。診断基準の世界も大きく変わりつつあります。性対象の障害とされていた同性愛などは、精神科の診断基準から消えていきました。大きな精神医学的議論の結果、性別違和の診断は、なおDSM―5に残されました。
1965年(昭和40年)の「ブルーボーイ事件」(DSM―5の性別違和と考えられる3名の男性に産婦人科医が性転換手術を行った事件)では、優生保護法違反で有罪とされましたが、1998年(平成10年)の埼玉医科大学の性別適合手術は性同一性障害の治療として、正当な医療行為であると認められました。以降、性別適合手術は臨床活動として普及していきました。
メンタル不調を体験する事例は少なくない
Aさんは幼い頃から女の子が好む遊びに興味が持てませんでした。ダンプカーのおもちゃでの遊びや、戦争ごっこが大好きでした。兄や兄の友達と遊ぶことが楽しく、男の子のような格好が好きでした。小学校高学年になり、第二次性徴期に女性らしくなると性違和感が強く感じられるようになりました。同級生が「あの男の子がかっこいい」「あの子が素敵だ」とうわさをしていても、一向に共感できませんでした。密かにクラス委員をしている女子生徒に憧れ、バレンタインには自分が作ったブラウニーを持っていき、「実は○○ちゃんと付き合いたいから、作ったんだ」と冗談めかして伝えたりしましたが、「もう付き合ってるじゃない」と一笑に付されました。
高校になった頃には、明らかに身体的性別と異なる性別を実感していると自覚するようになりました。密かにホルモン治療に通院するようになり、大学に進学するために単身生活となった後は、公然と第二次性徴を抑制する治療を受けるようになりました。服装も青年期の男子が通常好むような服を好み、一見すると男の子のようでした。普段は大きめセーターや厚手の綿のシャツを着て、胸の膨らみはほとんど認めず、体毛の少ない小柄な男子生徒のように見えました。周囲からは、自称している男子の名前で呼ばれていました。
就職時には、戸籍の性別を変えることを前提に就職活動を行い、受け入れてくれる企業を見つけました。高校時代から付き合っているガールフレンドと結婚することを決意し、準備をしていました。その中で自らの外性器への違和感が強くなり、就職前に性別適合手術を受けることを決心しました。
Aさんは受容的な環境の中で成長し、小学校高学年から徐々に性別違和を自己主張し、実際に体験しているジェンダーの髪形や服装を身に着けることを周囲から容認されてきました。しかしなお、心理的な苦痛は強く、大学卒業前に性別適合手術を受けるに至るまでの間、抑うつ的になったり眠れなくなったり、メンタル不調を体験せざるを得ませんでした。もし、Aさんが性別違和に寛容でない環境の中で成長したとすると、さらに強く大きい葛藤に巻き込まれざるを得なかったでしょう。
第二次性徴期以降の青年期においては、劇的に表出してくる身体的性の不一致に悩まざるを得ません。親密な同性の友人に「性対象として付き合ってほしい」と告白し、手ひどい侮蔑を浴びせられることもあるかもしれません。第二次性徴期にこのような事情から不登校になったり、社会的活動から退却したりする青少年は枚挙に暇なく見聞します。
性別違和が認められる頻度は、決して少なくありません。世界的には男児の方が多く、男性200〜70人に1人、女性500〜300人に1人といわれています。日本では女性の方が多く、男性の約2倍程度あると考えられています。私たちの隣人の性別違和に寛容な社会が来ますように。