2015

11/16

それって病気?(3)

  • メンタルヘルス

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西松 能子
立正大学心理学部教授・博士(医学)、大阪医科大学医学部卒業後、公徳会佐藤病院精神科医長、日本医科大学附属千葉北総病院神経科部長、コーネル大学医学部ウェストチェスター部門客員教授を経て現職日本総合病院精神科医学会評議員、日本サイコセラピー学会理事、日本カウンセリング学会理事、現在あいクリニック神田にて臨床を行う。

ドクターズプラザ2015年11月号掲載

よしこ先生のメンタルヘルス(34)

解離症の診断と治療

青年期に見られる健忘

老人人口が増えている現代日本では、コマーシャルで毎日のように物忘れに効くサプリメントの広告がされています。健忘はあたかも国民病のように喧伝されていますが、皆さんは、健忘に二つの種類があることをご存知ですか。

今回は世間でよく知られている老人性の健忘とは別の、青年期によく見られる健忘についてお話しします。青年期の健忘は、解離症あるいは解離性障害と呼ばれます。元々健康な脳は、嫌なことが過ぎ去った後、徐々に傷が癒えていく、つまり忘れ去っていくことを常としています。どうやら私たちは自分の失敗や自分がしてもらったことはいち早く忘れ、自分がしてあげたことはいつまでも根に持つ動物のようです。失恋の体験にしても、試験の失敗にしても、日が経つにつれ色褪せ、挙句の果ては、失恋のおかげで今素晴らしいパートナーと付き合うことができていると思ったり、第2志望で入学した大学がどこよりも素晴らしい母校のように感じてしまう「身びいき」という強い味方がついているものです。「私には身びいきがない」という人がいたら、もしかしたらちょっと健康でないのかもしれません。実際つらい記憶が生き生きとよみがえり、いつまでも傷口がふさがらないような心の状態は外傷後ストレス障害と診断され、病的状態であると考えられています。

つらい体験から心を守る仕組み

解離症は外傷後ストレス障害の対極の症状のようです。解離症ではつらい体験をきっかけに、つらい体験のみならず、つらい体験を中心としてすっかり忘れてしまいます。しかし、つらい体験を契機として起こる日常機能の障害という点では同じように見えます。つらい体験は、私たちにとって何がしの財産ですから、生傷でい続けるのも我々の人生にとっても困りものですが、すっかり記憶からなくなってしまうのもこれまた困ったことになります。

解離症では、記憶喪失という症状が自分を守ってくれているわけですから、健忘によって社会的な様々な機能が障害されていても、あっけらかんと平気のように見えます。健忘という症状がなければ、心の傷はどくどくと血を噴き出すのですから、傷が癒えてないという点では、外傷後ストレス障害に似ていることになります。解離症には、解離性健忘や、解離性遁走、解離性同一症、トランスなどの下位分類があります。いずれにおいてもひどく日常生活機能を損なっているにも関わらず、一見無関心のように見えることが不思議です。解離症は解離性遁走を除いて女性に多く、自分の心を守る防衛として古くから知られています。

解離症のAさんについてお話ししましょう。Aさんは、今年大学院の1年生です。親戚の集まりでは、「Aちゃんは小さい頃から勉強が好きだったものねえ、すごいわねえ」と言われますが、Aさんは嫌でたまりません。実は、就活に失敗して渋々大学院に進学したのです。大学時代から交際していたボーイフレンドは、第1志望の会社に就職しました。出張も多く、生き生きと働いているボーイフレンドとは、会うたびに喧嘩するようになりました。ちょっとしたきっかけから別れることになったのですが、「そんなに自分勝手では誰と付き合ってもうまくいかない」などと、人格を否定するような応酬があり、別れた後はすっかり落ち込んでいました。ふっと気付くとリストカットをしていたり、部屋の中が散らかっていたりするようになりました。

ある日、何日も連絡がないことを不審に思った母親が訪問すると、ボーッとした様子で何日も机に向かっていたようでした。自分の名前や母親のことが分からない様子にすっかり驚いた母の勧めで、救急で脳神経外科を受診することになりました。CTやMRIなど脳器質的な障害を疑われ、たくさんの検査をしましたが、異常はありませんでした。脳外科医から精神科に紹介されました。精神科の医師から、「この物忘れは解離性健忘という自分を守る心の働きだけれども、今のように自分の名前まで忘れてしまっていたら日常生活が立ち行かないので、お薬を飲むように」と言われました。3カ月経った今では、大方の記憶は回復していますが、就活以降大学院までの記憶はまるで濃い霧の中のようにぼんやり思い出すだけです。

解離症は、つらい体験から人を守る脳の仕組みだと考えられています。シャーマンや恐山のイタコのような職業的トランスがあるように、女性には男性より高い感受性があると疫学的には考えられています。健康な脳が嫌なことを忘れることと、日常生活に障害を起こす解離症とは、近くて遠い距離があるようです。

 

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