2018

10/10

いつもここに居続けること

  • 診療日記

  • 愛知県

灰本 元
医療法人芍薬会 灰本クリニック 院長 

ドクターズプラザ2019年1月号掲載

診療日誌(2)

私はここに内科の医院を建てて28年間も居続けている。患者にとって行けば必ずそこにいるという絶対的な安心感が開業医の本質だと思う。それが時に予想だにしない患者との再会を演出することがある。

女性患者(Aさん)は、幼少時から風邪などで親子ともども来院していた。真面目な素直な子で当時から細く華奢な体型であった。Aさんは高校2年生の時、慢性的な上腹部痛と生理痛が学業に支障を来して母親と一緒に来院した。高校女子がこのような症状を訴えた場合、ほとんどが心因性でカウンセリング面接がよく効く。2週間に1回のカウンセリング面接(男性の臨床心理士B先生が担当)は大学受験が終わるまでの2年間に及んだ。県外の大学に入学した直後に挨拶に来たのが最後となった。

ところが、人生は何が起こるか分からない。その十数年後の初夏、突然Aさんはやって来た。妻の姿を院内で見つけて「あのー、B先生はまだみえてますか?」妻はただならぬものを感じて「Aちゃんが独りで来ている。何かあったみたい」、すぐさま私に伝えに来た。
「お久しぶりです。」
「久しぶりだね、もう十年以上もたったね。今どこに住んでいるの?」
「C県です。結婚してメーカーの研究所に勤めています。」
「結婚したんだ、それは良かった。研究所か、Aさんインテリだもんね。ところでB先生に相談したいと聞いたけど、何かあったの?」
「……実は夫が自殺したんです」
「えっー……」

Aさんは大学の同級生と結婚してC県で働いていたが、結婚して間もなく夫が自宅で首つり自殺した。当日、夫の職場から出勤していないという連絡が入り、自宅へ戻った。そこで夫の変わり果てた姿を目のあたりにした。自殺直後は涙が止まらず抑うつと不眠の状態で抗うつ薬と睡眠剤を服薬して少し良くなっているが、仕事に集中できる状況ではないので休職して実家に戻ってき
た。遺書はないが、夫はパワハラを受けていたようだった。義父母は会社を提訴したが、夫の性格から私は絶対に訴訟をしたくない。しかし、研究職としてのキャリアは積みたいのでC県の職場へ復帰したい。Aさんが語ったのはこのようなことだった。Aさんは涙一つ見せず棒読みするように語った。以前もそうだった。腹痛を表情一つ変えずに淡々と訴えていた。Aさんは感情が平坦な上それを言葉に乗せるのが苦手で、当時私たちは失感情症と診断した。そして、実家の父母は今回の人生の一大事には全くと言って良いほど関与していなかった。

まさかこんな形で再会しようとは。何とかしなくちゃ、私もB先生もそう思った。すぐさま2週間に1回の心理面接が始まった。C県での忌まわしい体験からの隔離、それにこの医院がうまく機能し始めたようだった。Aさんは夜間の中途覚醒に悩まされていたが、2カ月後には薬が不要となりアルバイトを始めるほど回復した。しかし、彼岸の頃から急に襲ってくる不安、中途覚醒などが再発した。夫の一周忌が迫っておりC県へ戻らなければならないからであった。この身体症状の再発はC県での一人暮らしよりも郷里に戻り転職することをAさんに決断させた。一周忌までに姓を戻すことや公務員試験の準備など、次の人生へ正面から向き合い始めたのだった。
そのような時、
「郷里に戻ることを決めました」
「そうか、研究職を諦めたか、今度は何をしたいの?」
「私は土木科出身だから、土木の仕事をしたいので公務員試験を受けます」
「ほおー、公務員になるとどんな仕事になるの?」
「いろいろな土木工事があります」
「えっ、土木工事? あなたの華奢な体で山の中で道路やトンネルを造る?」
「そうです、そういうの私好きなんです」

まるで世の中に出る前の高校生と話しているようなほほ笑ましさがあった。Aさんは夫の自殺を乗り越え、研究職よりも自分が本当にやりたかった仕事に就くことを決めた。両親や夫に左右されず自分の道をつくる人生の再生が始まったのであった。翌年夏の公務員試験に合格し、翌々年の春から山奥へ転居して働いている。

それにしても何という見事な再生であろうか。Aさんは夫の自殺後7カ月間も孤軍奮闘していた。義父母にも実家にも頼れなかったのである。自殺の発見者にもかかわらず、その状況を淡々としか語れないのは“感じられない”からで、それゆえに精神は決してボロボロにはならなかった。逆に、この“感じられない能力”は人生の次のストーリーへの推進力となったのではないか。そして、何よりこの医院は幼少時からAさんの近くに居続けていた。そして、人生の一大事に私たちに素直に助けを求めたのだった。高校生の2年間、面接をここで体験したこともそれを担当したB先生がここに居続けたことも鍵となった。

「B先生はまだみえますか?」全てがこの言葉から始まり、この中には“いつもここに居続ける”開業医の本質が凝縮されていると思う。もしかしたらこの先Aさんが再びここを必要とすることがあるかもしれない。その時も変わらぬこの医院でありたい。