2025

03/07

「したい」をささえる

  • 緩和ケア

小田浩之(おだ こうじ)
日本緩和医療学会緩和医療専門医。日本緩和医療学会代議員・日本死の臨床研究会代議員。
一級建築士、技術士(都市計画)の資格を持つ異色の緩和ケア医。現在は緩和ケア病棟(設計)の研究のため、東京都立大学大学院都市環境科学研究科建築学域に在籍中。

「緩和ケア」の現状と課題(4)

患者さんが希望したこととは?

「タコを持ってきて」。

ある日、緩和ケア病棟の患者さんが家族にそう依頼しました。聞けばその方のご商売の関係で魚市場にツテがあって、大きな水ダコの足が手に入るのだと。

そして数日後、手配したタコの足が届くと、今度は私に言いました。「先生、タコ焼き作れる?」ご本人がタコを食べたいのではなく、病棟のスタッフや一緒に入院している患者さんたちに、自分で手に入れたタコを振る舞いたかったのです。

もちろん私は頑張り、週末の昼食に合わせて病棟中にたこ焼きが配られました。その日のその患者さんは(たこ焼きの出来はともかく)ご満悦でした。

患者さんに必要な自律性

「自律存在である人間」という言葉があります。これは村田久行先生が提案された、死の臨床の現場にあるスピリチュアルペインの、意識の志向性から見た一つの次元(考えるための切り口、と私は解釈しています)です。自分のことは自分で行い、自分自身をコントロールし(自立)、何かを生み出し(生産性)、あるいは役に立つ―─ここに価値を置く人間の在り方を自律存在といいます。そして病気の進行などに伴い自分の依存性や不能、役に立たないことに意識が向かうと、自己の存在と世界が無意味で無価値なものとなり苦悩に陥る、という見方(*1)です。

緩和ケア病棟では、この自律存在の不都合が存在します。患者さんの多くは「してもらいたい」だけでなく何かを「したい」と思いますが、それがうまくいきません。

痛みの治療は格段に進歩しました。体のつらさだけでなく、気持ちのつらさにも病棟のスタッフは心掛けて寄り添います。談話スペースなどゆったりした空間で、季節ごとのイベントも盛んに行われます。人・モノ・場所の揃った緩和ケア病棟は、患者さんが安楽に過ごすには良い環境です。

ただ、それでも患者さんの自律性を確保するのは難しい。それは体調の問題だけではありません。

患者さんは、緩和ケア病棟であっても「患者」です。起床、投薬、食事、検査、診察、さまざまなケア、そして就寝。決められたルーチンワークが与えられます。食事は嗜好や摂食の状況に合わせてバリエーションを増やしてもらい、またリハビリテーションも体調や希望に沿ってオーダーメイドでメニューが決まります。しかしそれでも、そこで行われていることが、患者さんがさまざまなサービスを「与えられる」という枠組みから離れることはなかなかありません。どうしても「医療スタッフから患者さんへ何かが提供される」すなわちサービスの流れの上流・下流を消し去ることはできません。「してもらうこと」が多くて「すること」が用意できないのです。

自律性を担保する「自由」と「対等」

緩和ケア病棟の運営のキーワードに「自由」があります。緩和ケア病棟ではお酒を飲んでもいい、24時間いつでも面会できる、ペットを連れてくることもできる……コロナ禍で制約は受けましたが、それでも病棟のスタッフはこの原則を守ろうと闘いました。この「自由」とは、病棟の利便を高めるだけでなく、患者さんの「自律性」を確保するための手段です。

そしてもう一つのキーワードが「対等」です。医者とその他のスタッフの関係だけでなく、「医療者」と「患者」という関係も垂直ではなくできるだけ水平であろうとする姿勢で、これも患者さんの「自律性」を確保するためにはなくてはならない方針です。

もちろん、がん終末期になればいかに医療的介入が行われても患者さんができることは限られてきます。それでも、残された能力が最大限に活用され、患者さんの意図の下に何かが実現する―患者さんを主人公にする取り組みにはいろいろな可能性があります。

私は“たこ焼き”を作りました。これは「作ってあげた」のではなく「作業の部分を引き受けた」と私は思っているのですが、果たして患者さんはどう感じたでしょうか。「対等」というのは常に自問自答して取り組まなければ、「流れ」にあらがうことはできません。

「客」から「主人」へ

「先生、お構いもしませんで……」。

ご自宅での訪問診療が済んでお部屋を退出しようとするときに、寝たきりの患者さんにこんな言葉をかけられてびっくりするやら嬉しくなるやら―こういうことは、実は稀ではありません。病院に入院している患者さんがこんなことを話し出したら、見当識障害(今いる場所や時刻がわからなくなること)が始まったかと心配になります。しかし患者さんのお宅でこれを聞いたら、医者も看護師も、つい笑ってしまいながら「お気遣いなく……」とコミュニケーションを続けます。

患者さんが自分の家に戻ったときに起きる大きな変化の一つは、患者さんが「客」から「主人」に代わることです。医療者が「客」になり「主人」はその役割を果たします。「主人」とはまさしく自律存在でありましょう。

病院から家に帰る良さの一つはここにあります。そして、緩和ケア病棟が一般病棟と違うものであるために目指すものも、ここにあるように思います。

*1:「自律存在」の説明については、次の文献によりました。村田久行,終末期がん患者のスピリチュアルペインとそのケア.日本ペインクリニック学会誌 2011; 1: 1-8.

 

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