難波 美羅 さん

慶應義塾大学医学部6年

2026/03/01

正解より、ワクワクを選んできた―寄り道だらけの医学部生活

医療系学生インタビュー(75)

経済格差によらない医療を実現したい

――医師を目指したきっかけを教えてください。

難波 高校2年生のとき、トランプ政権の成立を前にアメリカ社会を取材したルポルタージュを読みました。そこで描かれていた医療の現実は、私にとって大きな衝撃でした。

「国民皆保険制度」が当たり前の日本とは異なり、アメリカでは経済的な理由から必要な医療を受けられず、重い病気であっても治療をためらう人が少なくありません。経済的な背景によって、本来救われるはずだった命が左右されている。その事実に、自分の常識が根底から揺さぶられました。こうした状況を制度の違いとして眺めるのではなく、医療の現場に立つ一人として、現場から向き合いたいと強く感じました。

――慶應義塾大学を選んだのはなぜですか?

難波 慶應義塾大学医学部は、医師としての多様なキャリアパスを提示している点に強く惹かれました。この6年間で臨床にとどまらず、さまざまなキャリアの選択肢の可能性を考えたいと思いました。実際に、医系技官として厚生労働省で働く卒業生や、医療ベンチャーを立ち上げた方など、進路の幅広さは入学後も実感しています。また総合大学として学際的な学びができる点も魅力でした。1年次には興味のある選択科目を10科目以上履修し、試験期間にパンクしていたのも今では良い思い出です。少し本音を言えば、大学ではダンスに本気で打ち込みたいという気持ちもあり、全学のダンスサークルに入り、EXILEの岩田剛典さんの後輩になる、という密かな夢も抱いていました。こうした挑戦を許してくれた両親には、改めて感謝しています。

常に好奇心を持って、たくさんの寄り道をした学生生活

――学生生活はどのように過ごしてきましたか?

難波 講義室の中だけで完結してよいのか悩みながら、「現場」を自分の目で見ることを大切にしてきました。
1年生の夏にはご縁をいただいて厚生労働省のインターンに参加し、その後もアンター株式会社やソニー株式会社でのインターン、大学の総合診療ゼミでの地域活動など、周囲の方に支えられながら、興味の赴くままに挑戦しました。ゼミの中で東京都北区をフィールドに子ども食堂のボランティアや職業体験の企画に携わったことは、医師が地域の中で果たす役割を考える大きなきっかけになりました。

こうした経験を重ねる中で、4年生のときに大学の「国際医学研究会:IMA(アイマ)」第48次派遣団のメンバーに選ばれました。私は企業からの寄付金を集める渉外担当として活動し、6年生の夏、学生3名でブラジルへ渡航しました。アマゾン川を巡回する診療船に1週間乗り込み、無医村を訪れた経験は、今でも強く心に残っています。医療を届ける上ではまずその土地の風土や人々の価値観を知ることが第一歩になります。自ら足を運び、生活の中に入り込むことで初めて見えるものがある。その実感は、将来の進路を考える上で大きな糧となりました。

一方で私は“社会における医療の位置付け”に興味があったので大学では公衆衛生学の研究室に入り、4年生から積極的に論文執筆に取り組みました。論文執筆は学生生活の中で、特に力を注いで頑張ったことだと思います。

――論文執筆について、具体的に教えてください。

難波 主なテーマはHPVワクチンと行動経済学です。HPVワクチンに関する研究では、日本の接種状況を多角的に整理し論文化しました。他の研究で論文が引用されたり、国際学会で海外の研究者から声を掛けていただいたりと国際的にも反響をいただきました。論文執筆は、どのように新規性を出すか、自分の視点をどう取り入れるかがとても難しく、先生方から助言をいただきながら試行錯誤を重ねてきました。もう1つの行動経済学の研究では、青森大学の竹林正樹先生に師事しています。「人は必ずしも合理的に行動しない」という前提に立ち、がん検診の受診をどう促すかなど、医療現場と親和性の高いテーマを扱っています。一見別々に見えるこの2つのテーマが、ワクチン接種行動という文脈でつながっていく面白さも、研究を続ける原動力になっています。

――これまで影響を受けた人や大切にしている言葉はありますか?

難波 本当にたくさんの方々の教え導きや支えがあり今の自分がいます。その中でも亡き母の存在がとても大きかったです。高校教師として教え子をサポートしながらも家族のために一生懸命尽くしてくれた人で、身近な人への愛を教えてくれました。仕事に全力で向き合うことももちろんですが、家族や身近な人からまず大切にするという姿勢や生き方を私も大切にしていきたいと常々考えています。

もう一人は、パートナーで初期研修医の金田侑大さんです。先ほどの行動経済学の研究で出会い、以来論文指導もしてくれています。語り尽くせないほど多くの面で尊敬しており多大なる影響を受けていますが、中でも他人への「Giveの精神」を自然に行動に移している点に強く憧れています。研修医として忙しい立場にありながらも、常に「自分が相手だったらどうしてほしいか」という視点で人と向き合う姿は、私自身が目指す在り方そのものです。

正解がないからこそ、自分のワクワクに従う

――将来はどのような医師になりたいですか?

難波 医療が届きにくい地域のニーズに、柔軟に応えられる医師を目指したいと考えています。アフガニスタンで、地域の人々の思いに全力で応えてこられた中村哲先生のように、現場で出会った方々の痛みを分かち合い、同じ目線で歩む姿勢を大切にしていきたいです。

また、ブラジルで日系移住者の健康を守るために活動されている森口エミリオ秀幸先生も、私の理想とする医師の一人です。「日系移住者の方々のために尽くしたい」という思いから、日本語しか話せない日系一世の方々に向けて巡回診療を続けてこられました。医療アクセスに課題を抱える人々に真摯に向き合い、親子三代にわたって活動を継続しながら、時代や地域のニーズに応じて役割を変えていく姿に、心から憧れています。

私も、地域の人々と顔の見える関係を築きながら、患者さん一人ひとり、そして医療現場に向き合っていける医師でありたいと思っています。

――最後に、後輩たちへアドバイスをお願いします。

難波 皆さんは学生生活の中で、今どんなことに打ち込んでいるでしょうか。勉強、部活動、バイト、恋愛etc. 正直なところ、正解はありません。この「正解がないこと」をぜひ楽しんでほしいと思います。医学部を目指して受験勉強をしてきた私たちは特に、これまで「正解を出すこと」を求められる場面が多かった分、誰かに正解を教えてほしいと感じることもあるでしょう。それでも、選択に迫られたときは、自分がワクワクする直感を大切にしてみてください。たとえうまくいかなかったとしても、「自分には合わなかった」という学びが必ず次につながります。正解がないからこそ、自分の感情を信じ、流れに身を任せながら、学生生活を楽しんでほしいです。

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