橋本麻里奈 さん

神戸大学医学部医学科6年

2025/11/01

「出会う人と共に生きる」そんな気持ちを大切に、いのちを癒せる人に、医師になりたい

医療系学生インタビュー(73)

地元で育まれた想いと、人との出会いが医師への道に導いた

―医師を目指したきっかけを教えてください。

橋本 小学校時代、人間関係で悩むことが多く、その時の担任の先生が生徒一人ひとりに真摯に向き合う姿に魅了されました。卒業時、「将来学校の先生になったらきっといい先生になれるよ」と言っていただいたことがうれしくて、最初の夢は教師になることでした。 私は兵庫県豊岡市出石町という城下町の商店街で育ち、地域の人たちに見守られて育ちました。だからこそ地元への思い入れも強くて……。年を重ねるごとに子どもが減り、街も変わっていく様子を見てきたので、将来この町で何かできないかと思う気持ちが強かったんです。 その中で浮かんだのが医療や教育でした。医師か、より身近に患者さんと関われる看護師か、教師か、たくさん悩みました。高校の恩師に背中を押され、1年間の浪人も経て、最終的にご縁があり、医師の道に来ました。

―神戸大学を選んだのは、なぜですか? 

橋本 地元の高校は医学部の地域枠入試に力を入れていたこともあり、地域枠は自然と視野に入っていました。私自身、地域医療に思い入れがありましたし、経済状況的にも良い選択だと思ったので、神戸大学の地域枠で受験することを決めました。先ほどお話しした高校の恩師が、面接指導を通じて、医学部や地域医療への想いを厳しくも温かく引き出してくださり、自分の想いを言葉にする大切さを教えてもらいました。その経験から、「卒業後は兵庫県で働くことが決まっているけれど、大学在学中はいろんな世界を見て持ち帰るぞ」という気持ちで、1年生の頃から課外活動に積極的に取り組むことができたと思います。

行動し続けた学生時代、出会いが人生を豊かにした

―どんな学生生活を過ごしていますか?

橋本 入学時はコロナ禍で、授業も試験もオンラインでした。当時同大学の6年生だった先輩の山地が立ち上げた、全国の医学生を中心にリベラルアーツを学ぶオンラインコミュニティーに参加し、多くのご縁が生まれました。 そのご縁から、先輩方とオンラインコミュニティー「ちいここ(外部サイトにリンク)」を共に立ち上げ、3年生からは代表として、全国各地でスタディーツアーや合宿を実施する活動に熱を注ぎました。普段とは違う、解放的な場所で、全国から集まる新たな仲間と共に、 さまざまな暮らしの視点を体験する。一人の人間としてどう生きたいのか、どんな医療を実践したいのかを、自分と他者と対話できる場をつくりたかった。今は他のメンバーがそれぞれの色で活動を続けています。

―アルバイトなどはしていましたか?

橋本 2年生までは飲食店のアルバイトや家庭教師をしました。「ちいここ」を始めてしばらくした頃、「一般社団法人HASSYADAI social(外部サイトにリンク)」で、トヨタ自動車との共同プログラムであるproject:ZENKAI」(外部サイトにリンク)にて、業務委託として運営に携わるようになりました。 この法人が掲げる「Choose Your Life! それでもなお、人生は選べる」という言葉が、私の人生に深く刻まれました。どんな環境でも選択の難しさがあり、逆に選択肢があるという幸せを感じながらも、自分で決めて生きることは、自分の内側の痛みとも向き合うことになります。それでも、人生を精一杯生きようとし続けられているのは、この時間があったからです。 現在は、「GP Impact Hub(外部サイトにリンク」という活動を行っています。全国で、大学や行政自治体と協働し、総合診療医に興味を持つ高校生や医学生、研修医等向けて、自分の人生やキャリア、そして総合診療と地域社会を探求するスタディーツアーやリーダーシッププログラムを実施しています。

 ―これまで“影響を受けた人”や“大切にしている言葉”はありますか?

橋本 正直、影響を受けた人が多過ぎて、この場で語り尽くせません(笑)。ただ、自分が今、熱を注いでいることをこの場を借りて伝えるために、「GP Impact Hub」を共に立ち上げようと言ってくれた山地翔太さんを挙げます。 冒頭でも触れたように、山地さんは自分の想いを素直に表現できる場や、多くの出会いのきっかけをつくってくれた存在です。約1年前から共に立ち上げに向けて走り出してからは、私の心の声を常に優しくも厳しくも聞こうとし、私の可能性を信じ、最大限引き出してくれている存在です。 私がこの活動を通して実現したいのは、「医療という側面から、自分の心の痛み、恐れ、そして願いに向き合いながら、他者にもその眼差しを向ける」そんな眼差しが広がって、いのちを互いに癒し合う世界をつくることです。総合診療医は、あらゆる年齢、疾患に対応し、地域の医療機関や資源をつなぐハブのような役割を担います。医療者自身が内面と向き合い、一人の人間としてどう生きたいかを問い続けることが、結果として目の前の患者さんと共に生きることにつながると信じています。

人生の『分からなさ』も楽しみながら、いのちを癒し続ける

―将来はどのような医師になりたいですか? 

橋本 出会う人たちと共に生きるという気持ちを大切に、いのちを癒せる人でありたいです。医師になることは、いのちを癒すための一つの形だと思っています。 専門医としては、総合診療医に進む予定ですが、その先は決めていません。将来挑戦したいこともたくさんあり、10年後、20年後、日本のどこにいるのか、海外にいるのか、病院にいるのか、畑にいるのか、分かりませんが、その時の自分にワクワクしています。いのちを癒す人になれるように、そんな眼差しを広げられるように、ハングリー精神を持ち続け、怖くても挑戦したいことに向き合い続ける、そんな自分の在り方を貫きたいと思っています。

―最後に、後輩たちへアドバイスをお願いします。 

橋本 VUCA時代といわれるように、いろいろな生き方を模索する時代かもしれません。医療者になることが、どのような意味を持つのかは、一人ひとり違うと思います。自分がどのように生きて、どうありたいかを考えることが大事だと思います。 人生の「分からなさ」を楽しめるかが大事だと思います。私自身は、目の前の現実に目を背けず、予想しきれない未来を創造しながら、自分の心に正直でありたいです。自分の人生を必死に生きようとするほど、苦しいこともあります。それでも、共に生きているという感覚が広がり、皆さまにも届いたらいいなと思っています。せっかくの一度きりの人生だから楽しんで生きたいです。行動の前に理由を探しがちになりますが、心のゆくままに行動してほしいです。その道を進んだ理由は後からついてくると思います。 この記事を読んでくださった皆さまとの出会いもご縁です。ご縁に生かされているこのいのちを大切に、皆様が自分の心の声に耳を傾け、より豊かな人生になることを祈っています。

 

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