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医師の家に生まれ、医師になるのがスタンダードだと思っていた

玉城義仁 さん

琉球大学医学部医学科

医療系学生インタビュー (25)

サマースクールでの出会いで「頑張ろう」という気持ちに

――どのような子ども時代を過ごされましたか?

玉城 沖縄生まれの沖縄育ちです。両親ともに医師で二人とも琉球大学の学生だったので、私の先輩にあたります。幼稚園の頃から、みんなが仮面ライダーに夢中になっている時に「医者になる」と言っていました。小学生の時は、朝に食パン一枚を40分くらいかけて食べるような自由な子どもでした。

1年生の時にいじめられていて、上履きをゴミ箱に入れられていたらしいんですけれども、「あー、ゴミ箱の中にある」って拾うだけで、何も思わなくて。いじめられている自覚がないんです。鈍感でいじめ甲斐がない。中学校に入ったら勉強はしていないんですけれど成績が200人中24番目くらいで「あれー、意外と上じゃん」と思って。数学の授業を受けていても「何でこの先生は教科書に書かれてあることをもう一回言っているんだろう」と不思議に感じていましたね。数学の模試は校内で1位だけど国語は最下位(笑)。中学2年生くらいまではテスト期間に早く家へ帰ってWiiでゲームをしていました。

――医師に対する憧れはありましたか?

玉城 病気になっても両親が診てくれていたので、これといって医師に対する憧れはあまりありません。「あの先生に憧れて」という話を聞くと「僕に憧れを分けてください」とすら思います。両親とも医師で親戚も医療関係者が多く、医師になれるのがスタンダードだと思って生きてきたので。幸せといえば幸せなのでしょうけど……。

――今までの人生で、印象に残る出来事はありますか?

玉城 高1の時にHLABという、ハーバードの学生と日本の高校生が参加する8泊9日のサマースクールに参加しました。日本人の参加者は、みんな帰国子女か留学経験者で、英語もペラペラで、最初は「海外に行ってないの僕だけじゃん。みんなすごいなあ」と思っていたのですが、9日も一緒にいると「みんな普通の人間だな。僕も頑張ろう」という気持ちに。

全国で活躍する高校生に出会った影響もあり、沖縄に帰ってからは「物理チャレンジ」という高校生・中学生を対象としたコンテストを目指すようになりました。一次予選の時点で実験をしてレポートを出さないといけないので、毎週のように実験していました。僕の時はテーマが「身の回りの材料を使って温度計を作ってみよう」というもので、7個くらい温度計を作って、全国大会に行けました。1500人の参加者中、全国大会に行けるのは80人くらいなんです。本当に行けて良かったと今でも思います。

物理学者になろうと考えたことも

――医師になろうと思ったきっかけは何ですか?

玉城 物理チャレンジの全国大会に行くことができ、そこで会った研究者の人たちが楽しそうだったので、物理学者になろうかとも考えました。でも、物理は独学でもできると思って。医学部だったら、解剖とか、一人ではできないことがたくさんあるのでそちらに進もうと。明確にどちらがいいというのはなかったので、物理と医学どちらもできるように医学部に進みました。

――将来は何科の医師になろうと考えていますか?

玉城 外科がいいです。父親が内科なので、同じ内科に進むよりも面白いかなと。そういう感じでしかまだ決めていないんですけれども。工作も好きで手先も器用な方なのもあります。ただ、抜けているところがあるので……、ちょっと考え中です(笑)。

――ビジネスなど、他の世界に進む可能性はありますか?

玉城 進む気はしますね。あるいは、週に2日くらい医師として働いて、それ以外の日は他のことをするとか。祖母からは「病院を継いで」と言われるんですけど、兄弟も医師になると思うので、彼らに任せて。または何年か交代でやるとか(笑)。

――後輩へアドバイスがあればお願いします。

玉城 僕は医療系以外にも興味があるので、いつも一冊は本を持ち歩いているんです。何となく学校に来て何となく授業に出ているだけ、という人を見ると「勉強以外の本も読んだ方がプラスになるのになあ」と思います。

また、医療系に限らず積極的にいろんなイベントに参加しても楽しいのにな、ともよく考えますね。旅に関するイベントを開催した時、同級生を誘ったら「旅とか知らないんですけど、こんな私でも行っていいんですか?」と言われたんです。「行きたいけど……」と言って行かない、遊んでいるのに「テスト前だから」などと理由をつけて行かない人が多いと思うんです。そういう時は一回ポーンと行ってみることが大切です。行ってみたら必ず何かしら分かるはずなので。

ドクターズプラザ2018年3月号掲載

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