2026
02/05
在宅医療と“つながり”
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在宅医療
院長
梅野 福太郎
在宅医療(12)
「定年後」に潜む落とし穴
Aさん(男性・当時76歳)は、かつて日本の一流企業で役員を務め、高度経済成長期の日本を最前線で支えてきた、いわゆる「企業戦士」でした。仕事一筋に打ち込み、都心のベッドタウンに一戸建てを構え、まさに絵に描いたような成功を収めて定年退職を迎えました。誰もが、定年後は悠々自適で幸せなものになると信じて疑いませんでした。
しかし、退職から15年後。地域包括支援センターに一通の相談が寄せられました。「Aさんが家から出てこない」「見るからに痩せて衰弱している」「たまに外に出たと思ったら、近隣の庭にゴミを投げ捨てている」という切実な内容でした。かつてのビジネスエリートに、一体何が起きたのでしょうか。
原因は、現役時代に「仕事」以外の居場所をつくってこなかったことにありました。趣味もなく、地域との関わりも持たず、人間関係は会社組織の中に限定されていました。退職後、家庭内での奥様とのやり取り以外に社会的な接点が失われた結果、会話量も活動量も劇的に減少。刺激のない日々は認知機能を徐々にむしばみ、買い物さえおっくうになるほどの意欲低下を招きました。
最終的にAさんは、認知症の進行とともに嚥下機能(飲み込む力)が低下し、誤嚥性肺炎でその生涯を閉じました。この悲劇は、決して特別なケースではありません。現代の日本において、誰にでも起こりうる「社会的孤立」の結果なのです。
「つながり」が認知症・フレイルを防ぐ。社会的処方とは?
Aさんのような事例を防ぐためには、どのような対策が必要なのでしょうか。近年の研究では、人との「つながり」が健康寿命に関係していることが科学的に証明されています。
特定の個人での取り組みでは限界があります。地域単位で住民全体を対象とした予防戦略の方向性を示し、地域全体で健康を支え合う仕組み作りを目指し、2010年度から全国の保険者や市町村と共同研究を行い、大規模な調査を実施している「JAGES(日本老年学的評価研究機構)」のデータは、いくつもの示唆を与えてくれています。
まず、認知症のリスクについてです。配偶者、同居家族、仕事、友人、地域の活動など、複数のコミュニティーに所属している人は、つながりが限定的な人に比べて、認知症の発症リスクが半分になるというデータがあります。
また、千葉県柏市で行われた「柏スタディ」では、身体の虚弱を指す「フレイル」と社会活動の関係が示されました。この調査によると、「身体活動」「文化的活動(趣味など)」「地域活動・ボランティア」の3つの活動のうち、どれにも参加していない人は、全てに参加している人に比べて、フレイルになるリスクが16倍も高くなることが判明しています。
(https://www.iog.u-tokyo.ac.jp/project/?project_category=survey)
上記以外にも、つぎのようなデータが得られています。
○人との交流と要介護・死亡リスク: 愛知県での10年間にわたる追跡調査では、人との交流が毎日ある人に比べ、月1回未満の人は要介護認定を受けるリスクが約1.4倍、死亡リスクも約1.3倍高まることが分かりました。
○高齢者サロンと要介護リスク: 月1回程度の「高齢者サロン」に参加している人は、参加していない人に比べて要介護になる比率が約半分に抑制されています。
○友人と会うことと糖尿病: 月に1〜4回友人に会う人は、そうでない人に比べて糖尿病の発症率が0.51倍(約半分)に減少しました。
○環境と運動: 公園の近くに住む人はそうでない人に比べ、1.2倍頻繁に運動する傾向にあります。
○組織の力と転倒リスク: スポーツ組織に参加している割合が高い地域では、転倒のリスクが最大で4倍以上も改善するというデータがあります。
○役割とうつ: 何らかの役割を担って社会参加している男性の場合、うつの発症リスクは7分の1にまで激減します。
○共食とうつ: 一人暮らしの男性が一人で食事(個食)を続けていると、うつになるリスクは2.7倍に跳ね上がります。
人々の健康(ウェルビーイング)を維持するために、これらの「人とのつながり」や「地域活動」の機会を紹介・仲介することを社会的処方と呼びます。
「サードプレイス」を確保しよう
ブリガムヤング大学のホルトランステッド教授らが148本の論文を解析した結果、「社会的なつながりの欠如」が死亡率に与える影響は、喫煙や飲酒、高血圧といった身体的リスク要因を上回ることが分かりました。現代を生きる私たちは、家庭(第一の場所)、職場(第二の場所)以外の居場所、すなわち「サードプレイス」を確保することがキーとなるのです。
それは必ずしもリアルな場所である必要はありません。昨今ではSNSやオンラインコミュニティーなど、ウェブ上でのつながりも容易に形成できます。大切なのは、現役時代から「仕事以外の自分」を育てることです。
地域の自治会、趣味のサークル、ボランティア活動、あるいは馴染みの喫茶店。そうした小さなつながりの積み重ねが、栄養状態を保ち、身体機能を維持し、最終的には「自分らしい最期」を守ることにつながります。
「つながり」は、単なる気休めではありません。それは、私たちが健康に、そして人間らしく生き続けるための「重要なインフラ」ともいえます。今一度、自分自身の「人生の豊かさ」を見つめ直してみませんか?