2025

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医療への期待度とは?

  • メンタルヘルス

西松 能子
博士(医学)、大阪医科大学医学部卒業後、公徳会佐藤病院精神科医長、日本医科大学附属千葉北総病院神経科部長、コーネル大学医学部ウェストチェスター部門客員教授を経て、立正大学心理学部名誉教授、現在あいクリニック神田にて臨床を行う。

よしこ先生のメンタルヘルス(78)

世界一の医療と福祉を保つ国

乳幼児死亡率という指標をご存知でしょうか。その国の医療や福祉の極めて重要な指標の一つですが、5歳未満児死亡率の最も低い国はどこでしょうか。ちょっと別の形で考えてみましょう。アメリカ、イギリス、ロシア、中国、スウェーデン、日本の中で、乳幼児死亡率が最も低い国はどこでしょうか。実は、日本とスウェーデンが最も乳幼児死亡率が低い、すなわち医療や福祉が最も進んでいる国ということになります。この国々の中で、乳幼児死亡率が最も高い国はどこでしょうか。「それはロシアだろう」と思った方、「いや、中国だろう」と思った方、いそうですね。実際、先ほど挙げた国々の中で、乳幼児死亡率が最も高い国は中国で1,000人当たり7人、実は次が医療先進国の米国で1,000人当たり6人ですが、米国や日本はここ30年大きな変化はありません。中国やロシアは8分の1、あるいは6分の1に減少(※1)していて、医療や福祉の改善という視点からは、その2つの国はここ30年間で目覚ましい変化を遂げています。逆に言うと、30年以上、日本の医療や福祉は世界のトップランナーであり続けてきたということになります。

皆さんにその実感はありますか? 皆さんは、「この国には世界一の医療と福祉があるんだ」と思ったことはありますか? 「スウェーデンと並んで世界一の医療と福祉の水準を保っている国なんだ」という実感はありますか? スウェーデンは世界的に名の知れた福祉国家です。「日本がスウェーデンみたいだったらいいなあ」と日本人は夢想してきたわけですが、実態から言うと、もう既に30年以上前から、日本はスウェーデンだったのです。「ゆりかごから墓場まで」といわれた英国の国民皆保険制度が崩壊してから35年経過していますが、公的保険外診療が50%以上を占めてもなお、英国の乳幼児死亡率は中国、米国、ロシアよりも低く1,000人当たり4人です。ちなみに日本とスウェーデンは1,000人当たり2人です。

期待値が高くなり過ぎている?

満足度というのは、「達成度マイナス期待度」ということになるので、期待値が高くなってしまえば、世界一低い乳幼児死亡率でもこの国の医療や福祉に満足することはなくなってしまいます。円安の中で医薬品の原末を購入することもままならなくなり、コロナ禍以降、やれ風邪薬が手に入らない、やれ胃薬が手に入らないと、巷間にかしましく言われるようになりました。この国では、政治家が本当のことを言うことが少なく、薬価を下げ過ぎたためにこの国にどの国も原末を売りたがらないのではないかとは言いませんが、邪推しています。財政ひっ迫のため、高額医療費の自己負担上限を上げる(本人負担を増やす)方針が参院選前に出ましたが、世論の猛反対に遭い、消えてしまいました。患者の命や生活に関わる、という訴えも出ていますが、ひそかに「期待値が高くなり過ぎているのではないか」と思っている医療者もいるかもしれません。

医療制度の再生の道

米国での医療状況は、既に人口に膾炙しているのではご存知でしょう。世界のほとんどの国では、なかなか医療機関にかかれず、数週間待ちは許容範囲内です。サッチャー医療革命前のイギリスでは、「がんで死ぬのが早いか、専門医にかかるのが早いか」とブラックジョークがささやかれましたが、日本はいつでも何科でも受診できます。「3時間待ちの3分診療」とよく言われますが、世界のほとんどの国では、一般庶民がその日のうちに受診できることはありません。数週間待ちが当たり前です。しかし、国民の期待値が「お待たせしません」になっていれば、「診てもらって有難い」はどこかに消えてしまいます。しかも、この国の保険診療下では、承認された新薬は1,000万円を超える薬まで、ほとんど自動的に使えます。税の額、社会的地位、病気の予後にかかわらず、保険診療で使われます。独裁国家といわれるロシアや中国はさておき、欧米民主主義国家でも新薬は費用対効果により、一定の使用制限が加えられていることが一般的です。有名なところですと、かつては英国では60歳以上の患者の人工透析に保険適用制限がかけられていたことを、皆さんもご存知だと思います。

今や日本の国民は、日本の医療に慣れきってしまって、有難さが分からなくなっているのではないでしょうか。一方では、日本の国民の強みは、今まで服用していた薬がなくなった、ない袖はふれないと言われると、特に怒りをあらわにせず、新しい状況に順応するところではないでしょうか。このところの医薬品の欠品に対する患者さんの対応を見て、この順応力が日本人の強さだと感じ入りました。

米国留学時代の友人に日本の医療制度と高額医療費制度を説明し、日本では1億3,000万余円のがんの新薬が、3,800万円の薬価で認可され、事実上、誰でも平等に使用できると伝えたら、「日本人の医者は聖人だとヒラリー・クリントンが言っていたが、それは制度が聖人なんだね」と友人が言いました。「自分もがんになったら日本に行こう、その制度は本当に大丈夫なの?」と問われ、私は「あなたががんになるまでその制度が続いているといいわね」と言いました。

この国が健康で破綻しない期待値を取り戻すことが、日本の医療制度の再生の道ではないでしょうか。

 

(※1)世界子供白書2024 要約版 2022 年の国別 5 歳未満児死亡数と 5 歳未満児死亡率 https://www.unicef.or.jp/sowc/pdf/UNICEF_SOWC_2024_data_U5MR.pdf

 

 

 

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